Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
西宮こしき岩アスベスト裁判 第5回口頭弁論のお知らせ
6月20日、神戸地方裁判所にて、午後3時開廷です。
アスベストへの関心を広めるために、より多くの方々に知らせていただき、
裁判を是非、傍聴していただきたいと思います。

よろしくお願いいたします。

右下に、ストップ・ザ・アスベスト西宮HPへのリンクがあります。
| Till*eulenspiegel | アスベスト−Asbest | 15:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
年老いた天皇とのゲーム
先週の Der Spiegel 22号に、小さく掲載された記事が気になって
訳してみた。おそらく日本のメデイアで、今上天皇がご不満を示された
と話題になったことを受けての記事だと思う。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本の総理大臣、安倍晋三は、君主国・日本の従順な下僕という姿を自ら好んで示そうとする。が、この度、安倍は明らかに天皇明仁(83)の怒りを買ってしまった。聞くところによれば、その背景には、隠れた軋轢があると言われる。

このことは、日本が改革を遂行することがどれ程難しいかを浮き彫りにする。また、さらに、安倍がこの表向きは尊敬しているかに振る舞う天皇と、いかに問題的なゲームをしているか、を示している。

この一件は、まず、天皇の退位を可能とするべく皇室典範の改正という懸案として、差し障りなくスタートした。明仁自身が昨年、退位したいと表明したのだ。この時、後継者問題と共にようやく認識されたのは、日本社会の高齢化が天皇家をも襲っていたということだった。

19人の親王と内親王らが控えているのみで、天皇からすれば、それでは、すべての天皇の責務を果たすにはあまりに少なすぎる。そのうえ、19人のほとんどが、相応の年齢に達している。天皇と日本人の多くは、天皇の人としての役割が現代的な法律によって継続的に広がっていって欲しいと願っている。内親王らが一般市民と結婚した後も、宮廷に留まることが許されることで。

しかし政府が計画しているのは、それとは異なり、明仁に対する特別法の制定だ。批判者たちは、安倍が改革のチャンスを故意に捨ててしまっていると非難する。というのも、民主主義的な思想を持つ明仁とは違って、安倍は、皇室の人員不足こそ適当と思っていると、言うのだ。

安倍の反動主義的支持者たちは--第二次世界大戦中、敗戦まで、神として崇められた--天皇を、再び、この宗教的な役割に、強引に留めおきたいと思っているのである。そして、そうすることによって、天皇を大衆から遠ざけたいと思っているのだ。天皇は、正に、このことを阻もうとしているのである。

天皇は、戦後、比較的オープンにやってきたこの君主国を維持したいと思っているという。けれども、そのためには、強力なスタッフと改革が不可欠なのだが、安倍は、天皇に対し、お辞儀をしながら、改革することは拒否しているわけである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

全国民の象徴として、国民に近づき、責務を果たそうと努めてきた
今上天皇と、天皇を大衆から遠ざけたいと思っている安倍と、安倍の
反動主義的支持者たち、という構造を的確に捉えた記事。

国内の当事者である私たちからすれば、事は一層深刻だ。
すでに安倍と安倍の支持者たちの勢力は、明仁天皇を辞めさせるほどの
権力を持っているように見える。
彼らにとって都合のいい天皇を据えたいと思っているように見える。

私たちは、彼らが勝手に決めてしまったことに抗議も示さなかった。
私たちは、憲法が定める、日本国民総意の象徴天皇を守れなかった。
今上天皇は、誰よりも憲法を大事に思っていたからこそ、
象徴として生きるにはどうしたらいいのか、とずっと努力されて
きたのに。

ああ、今なら解る。石川健治氏がおっしゃっていた。
「天皇が憲法の重しだった。」

| Till*eulenspiegel | 日本-Japan | 03:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
クーデターの完成に向けて
今朝、共謀罪法、政府の言う、テロ等準備罪法が可決成立した、という。
あちこちのブログを読むと、NHKは、本会議の様子をほとんど報じなかった、
ということだ。

20日後にはこの法律は施行されるということである。恐ろしい。

昨年だったか、緊急事態条項でお試し憲法改正が行われるのでは、と
憲法学者や、弁護士たちが、様々に発言し、市民の勉強会も行われた。
その時、升永弁護士が強調していたのが、緊急事態条項によって、
発言力ある人々が政府を批判したとの理由で抹殺され、その後成立した
全権委任法で、全体主義国家の体制を整えていった、ナチスドイツの
やり方だった。

発言力のある政治家、ジャーナリスト5000人ほども
粛清すれば十分だ。それによって、真実は、一切人々に知らされなくなる。

そういう趣旨のことを升永弁護士は語っていた。

今、緊急事態条項ではなく、共謀罪法によって、それが実現しようと
している、と感じる。平成の治安維持法、と共謀罪についてはこの間、
ずっと語られてきた。

私は、この間、三宮の東遊園地からフラワーロード、センター街を、
「監視社会を許すな!」と、2度デモに参加した。もちろん、たった
2度に過ぎない。

先週は、元町駅前で行われた、コッカイオンドクのデモにギャラリー
として参加した。一人でも多くの人に立ち止まって聞いて欲しい。
コッカイでは、こんなアホらしい答弁がまかり通っている現実を
知って欲しい。NHKを見ていたってだめなんです。心の中で
叫びながら。

20日後には、施行されるこの法律で、人々はどう行動するだろう。
密告を奨励する仕組みになっているという。これまた、旧東ドイツが
そうであったように。旧東ドイツがどれほどの監視・密告社会であったか、
最近の映画では『善き人のためのソナタ(原題 Das Leben der Anderen)』
『東ベルリンから来た女(原題 Barbara)』を見ると、
ある程度は解ると思う。

旧東ドイツのザクセン州では、約30年前まで存在した監視社会の実態が
すでに若者たちの間では忘れられていることを懸念して、ギムナジウム
での教育の一環として、俳優が シュタージ Stasi (国家保安省)職員役を
演じ、生徒たちが市民役となり、小さな罪を咎めて、長時間の尋問を行い、
密告を促し、密告すれば罪は咎めないよ、という甘い言葉にそそのかされる
実体験をするという授業を行っている、と以前、
フランクフルター・アルゲマイネで読んだことがある。

思い出す努力、忘れない努力をしなければ、人はすぐ忘れてしまう。
しかも、それを経験していない人々にも伝えていかなければ
ならないのだ。

5月3日、安倍総裁が、日本会議で流したメッセージが今日も流れた。

「憲法とは、国の理想を語るものです。」

まことしやかに。自分だけの理想で市民を縛ろうとする権力者。

しかし、これは嘘だ。憲法とは、権力者が守らなければならない
ルールブックなのだ。


クーデターがもう少しで、完成する。おそらく、憲法が改正されたら、
完成だ。
| Till*eulenspiegel | 憲法 - Verfassung | 09:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
「抵抗権」を学ぶ 6
ドイツ憲法(基本法)20条はこうなっている。


(1) ドイツ連邦共和国は、民主的かつ社会的連邦国家である。

(2) すべての国家権力は、国民より発する。国家権力は、国民により、選挙および投票によって、ならびに立法、執行権および司法の特別の機関を通じて行使される。

(3) 立法は、憲法的秩序に拘束され、執行権および司法は、法律および法に拘束される。

(4) すべてのドイツ人は、この秩序を除去しようと企てる何人に対しても、他の救済手段が存在しないときは、抵抗権を有する。



沈在宇氏の論文 『抵抗権』から

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この4項、「この秩序(自由民主主義憲法秩序)を排除しようと試みるすべての者について、他に救済手段が不可能な場合に、すべてのドイツ国民は抵抗する権利を持つ。」これがドイツ基本法に規定された、

「憲法守護権としての抵抗権」

である。
この抵抗権は、クーデターや革命によって国家権力の作用が排除されている権力真空状態にあって、その簒奪に対応する抵抗権であり、目的は自由民主主義憲法秩序を守護することである。

従って、この抵抗権は暴力に対抗する抵抗権ではない。

抵抗しようとする国民は決して自己の人権や市民権を防御するために抵抗するのではなく、国家緊急権に該当する抵抗権を行使するためである。

憲法体制を簒奪から守護する責任は、本来、国家にあるもので、国民にあるものではない。

いかなる国家憲法も、自己の存立を否認する革命に対し無防備状態でいることはできず、自己存立のための国家緊急権を持っているが、それが不意の奇襲によって緊急権を行使出来ない時、国家に代わって、国民が憲法守護の緊急援助に出てくるよう呼びかけることが、この第20条4項の趣旨である。

この抵抗は、反対権のように、法治国家内に位置するわけではない。
この抵抗は、本来の抵抗権のように、不法国家に位置するのでもない。
この抵抗は、両者の中間に位置する。

すなわち、法治国家憲法が麻痺しているとは言え、まだ不法国家憲法が確立されてはいないからである。

暴政に対抗する抵抗権の保護法益は、直接的に人間の基本権である。
簒奪に対抗する抵抗権の保護法益は、間接的で、人間の基本権を保護する基本秩序である。

この基本秩序を排除する憲法破壊行為に対処することが憲法守護権、ないし、憲法緊急権としての抵抗権である。

この抵抗権は、既存の憲法秩序を守護するためのものであるから、本質からみて保守的なものである。

スラデチェック* は次のように説明している。

「憲法守護権としての抵抗権は、憲法上、革命のように既存の法秩序への攻撃に向けられるのではなく、その防御に向けられるものである。抵抗のモラルは、正当な憲法状態の死滅を防止することである。従って、このモラルは保守的である。抵抗において、既存の憲法状態との関係は肯定的である。

抵抗は憲法を破壊するのではなく、極端的な緊急状況下で、憲法を守護するための最後の手段としてなされる。あらゆる権利のなかの権利(Recht aller Rechte)である。

したがって、暴政にたいする抵抗権が、その本質からみて革命的であるのとは対照的である。


* H.Sladeczek, Zum konstitutionellen Problem des Widerstandes, in: ARSP, Bd.53, 1957, S.370.


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あくまでも既存の自由民主主義憲法秩序を守るための、憲法守護権としての抵抗権。

日本国憲法第99条で、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」はずの首相が、自民党総裁という二枚目の舌を使って、この5月3日の憲法記念日に、一方的に、憲法改正の期日を述べ、与党にその準備を命じた
私は、これは憲法改正とは名ばかりで、憲法排除、簒奪(クーデター)だと思う。これが簒奪でなくてなんだろう。**

権利のなかの権利。憲法守護権としての抵抗権が私たちの憲法にもあったら。ないものねだりをしても仕方がないが、そう強く思う。

講演会で、関西学院大学の教授が、さほど必要ではないような風だったが、この憲法守護権としての抵抗権を是非、憲法改正するなら規定してほしい、と思うがどうだろう。

それにしても、この権利の中の権利をどう行使すれば、憲法は守れるのだろうか。


** そう言えば、安保法制の議論の時、憲法学者の石川健治氏が、2014年7月1日に安倍政権が行った集団的自衛権に関する閣議決定を、「クーデターだ。」と語っていたのを思い出す。だとすると、私たちは、そのクーデターの最中にあると認識すべきではないか。

そう言えば、今年5月4日のSession22で、やはり、石川健治氏は、こう述べていた。今思い起こすと、身震いするほど恐ろしい。

「天皇陛下が、廃位させられたのでなければ、いいのですが。」

天皇のメッセージは、象徴として責務を果たしてきたが、その責務を果たせなくなる前に、その責務が継続して果たせる仕組みを作って欲しい、国民に考えて欲しい、というメッセージだったはず。

憲法の第1条で、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」と書かれているのに、国民の総意などそっちのけに、1回限りの生前退位で片付けた現政権。
象徴としての責務など、あなた限りで結構、と言わんばかり。

「天皇陛下が、廃位させられたのでなければ、いいのですが。」

いや、廃位させられたのだ。おそらく。そうでなければ、今上天皇の
怒り Unmut が表明されるはずがない。Der Spiegel 22 号は、その
83ページで、この怒りについて報道している。

| Till*eulenspiegel | 憲法 - Verfassung | 16:39 | comments(0) | trackbacks(0) |

Calendar
SUNMONTUEWEDTHUFRISAT
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>

SELECTED ENTRIES

RECENT COMMENTS

CATEGORIES

ARCHIVES

LINKS

PROFILE

OTHERS

PageTop