Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
「抵抗権」を学ぶ 5
沈在宇氏の論文 『抵抗権』から

全くの専門外であるため、かなり難しく、沈氏の論考をまとめるだけの
ものになっています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

掘…餽蓋△領犒燭板餽馨況

(1)反対権としての抵抗権

法治国家は憲法において、言論、出版、集会、結社、示威の自由を
認めている。国民はこのような自由を通じて、国政を批判、抗議、
糾弾、反対することができる。

つまり、憲法で保障された民主主義的政治的自由権の行使によって、
国家権力の濫用を防止し、誤用が是正されることから、これは
予防的抵抗権ということができる。

これは憲法内抵抗権に属し、主に全面罷業(ゼネスト)や
暴力的闘争形態を取ることがあるにしても、あくまでも
「反対権としての抵抗権」にすぎない。

憲法内的抵抗権と、憲法外的抵抗権は明白に区別されなければならない。
これは、合法的暴力と、非合法的暴力の区別であるからである。

「反対権としての抵抗権」は、憲法上許された合法的な暴力行為であり、
現存憲法秩序の保障のもとで、その維持のために行われ、決して
それを否認したり、破壊するために行使されるものではない。

従って、この反対権を行使しながら、抵抗権を援用することは
法的には正当化されず、自己矛盾である。

ナイデルト* は次のように言う。

「法治国家内での合法的な反対権と、不法国家に対抗する正当化された
抵抗権を混同してはならない。反対権は合法的だが、人権と市民権への
侵害が極端な場合に、これを防御する最後の手段として援用される
抵抗権は、抵抗権それ自体に対する特殊な正当化根拠を除けば
非合法な自殺行為であり、法律違反である。このような
反対権と抵抗権を同一視するのは、不法国家の極端な状況を、
法治国家の中に引き込む結果を招く。」

「法治国家内における抵抗権」は、「不法国家内における反対権」と
同様に矛盾する概念である。

にもかかわらず、抵抗権の発動を不法国家内に局限した場合、およそその
実効性が期待されないという理由から、法治国家内に引き込むことを
期待する人びとも少なくない。 **

いったん独裁政権ができ、弾圧が始まると、いかなる国民も抵抗でその
独裁を排除できる可能性は少なくなる。したがって、最も効果的な抵抗は、
独裁政権が確立される前に行わなければならない。なぜ、抵抗がすでに
事実上不可能になるまで、待たなければならないのか。

ロック*** はこのように言っている。

「国民が奴隷になった後、彼らの自由のために闘争するよう命ずるのと
同様なもので、彼らを鎖でつないでおいて自由に行動するよう命ずるのと
同じである。」

独裁政権が確立する前に、日常的に(alltäglich)、小さな(klein)、
部分的(partiell)抵抗が行われることが必要である。


すなわち、批判権や反対権を行使することが必要ということである。
そして、これは抵抗権の行使ではない。

抵抗権と反対権の関係をみる場合、抵抗権は、反対し批判する自由のない
ところで、そのような自由を得るために闘争するものである。
反対権は、そのような自由があるところで、その自由を行使することに
よって抵抗状態が現れないように予防する機能をもっているものである。

全体主義国家は、つねに抵抗状況下にある。民主主義国家は、決して
抵抗状況下にはなく、反対状況と批判状況下にのみおかれている。

反対と批判ができるところでは、あえて抵抗する必要がないからである。

------------------------------------------------------------------

*ルドルフ・ナイデルト(Rudolf Neidert) 
『ショーペンハウアーの法哲学と抵抗権についてのその沈黙』等の著作がある。
"Die Rechtsphilosophie Schopenhauers und ihr Schweigen zum Widerstandsrecht"
引用は、Renaissance des Widerstandsrechts? in: Neue Politische Literatur,14,Jg., 1969. S.248

** ここで名が挙がっているのは、
アルトゥール・カウフマン(Arthur Kaufmann)
フリッツ・バウアー(Fritz Bauer)
マックス・プリビラ(Max Pribilla)など。

*** ジョン・ロック(John Locke)
「抵抗権の最大擁護者」(Wikipedia)
引用は、Two Treatises of Government, by Peter Laslett, 2.edition, 1967,.chap.19,§220,p.429.


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今にして思えば、講演会で、私が「抵抗権」について質問した時に、
講演者が答えた、「抵抗権がなくとも、皆でわらわらとやって
いきましょう」という発言はこのことを言っているのだろうか、と
いう気がする。ロックの言うように、日常的に、小さく、部分的に
抵抗する必要があるのだと。すると、その講演者が、
「ドイツでは基本法に規定されていますが」と前置きした、
その「抵抗権」とはどのようなものなのだろう。

次のパラグラフは「ドイツ基本法の抵抗権」である。

| Till*eulenspiegel | 憲法 - Verfassung | 20:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
「抵抗権」を学ぶ 4
沈在宇氏の論文『抵抗権』から

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

憲法政策的には、最小限四段階にわたって援用できる抵抗権として
みることができる。

(1)法として国家権力を制限する法治国家原則一般

(2)憲法破壊の前段階で法治国家憲法を維持するために行使される
   すべての抗議と示威、批判と反対

(3)憲法破壊の進行段階で法治国家を守護するために行使される
   憲法守護権

(4)憲法破壊後に法治国家憲法を回復するために行使される抵抗権


四段階にわたって行使される抵抗権の機能と目標は、法治国家憲法を
維持、守護、回復すること
である。

(1)(2)は憲法内的抵抗権、すなわち制度化された抵抗権であり、
(3)(4)は憲法外的抵抗権、すなわち制度化されていない抵抗権である。

両者は、シーソーのような力学関係におかれている。
つまり、憲法内的抵抗権が機能を正しく発揮していれば憲法外的抵抗権
は作用する余地はなく、憲法内的抵抗権の機能が弱化、あるいは喪失
すれば憲法外的抵抗権は強化され、発動される。


ケーギは次のように述べている。
「抵抗権と法治国家は、相互に力学的な原則のもとにおかれている。
憲法内的抵抗権が機能を失えば、憲法外抵抗権を呼び込むことに
なる。この法則が、このように作用しない場合には、奴隷状態への道
開かれることになる。」

憲法内的抵抗権と憲法外的抵抗権は、ともに法治国家憲法の構成要素
であり、憲法破壊に対処する憲法守護、憲法回復手段として、
法治国家憲法の内在的構成原理である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この憲法外的抵抗権として、実際、どのような行動が有りうるのか。

憲法破壊が進み、そして、もし、憲法外抵抗権が機能しなかった時、
行使されなかった時に、私たちを待っている、ケーギの言う
奴隷状態への道の怖ろしさ。


特定秘密保護法、安保法制(集団的自衛権容認)と強行採決で決めて
きた現政権に対し、私たちが示しているのは、おそらく(2)なのだろう。

ちなみに、youtube の動画で知った事実を一つ。

首相が「強行採決など考えたことは一度もない」と言ったこと
に対し、私は本当に驚いたのだが、新聞はかつて一度も「強行採決」と
書いたことはなく、朝日新聞は「採決を強行」とだけ書いたということだ。
なるほど、世間は首相の語った通りに流れている。新聞がなぜそうしたか、
それは官邸から厳しいクレームが来るからだそうである。

加えて共謀罪がすぐ控えている。

| Till*eulenspiegel | 憲法 - Verfassung | 23:54 | - | - |
「抵抗権」を学ぶ 3
沈在宇氏の論文 『抵抗権』より (鈴木敏夫訳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

供)ー9餡鳩法の構成原理としての抵抗権


法治国家、あるいは、法治国家憲法と言う時、
それは何を意味しているのか。

現代の法治国家概念は、単純に法として組織され、法として治める
形式的法治国家を意味するのではない。

そうではなくて、法の内容と、法の価値に拘束される実質的法治国家を
意味する。

すなわち、人間の尊厳と価値、そして人権を尊重し保護することを
その目的とする法治国家を言う。

したがって、現代の自由民主主義法治国家憲法は、国家権力を
このような法内容と法価値をもって拘束している。

(この点で、日本国憲法の第97条の基本的人権を削除し、
日本国憲法第98条の、国家権力が尊重しなければならない憲法を、
第102条で、全て国民は、この憲法を尊重しなければならないとし、
拘束されるのは国民になっている自民党の憲法改正草案
では、
法治国家は達成されない。)

拘束するための、憲法上設けられたさまざまな制度が以下である。

権力分立制度

憲法裁判制度

弾劾制度

議会制度

選挙制度

司法権の独立

多党制制度

言論、出版、集会、結社の自由などの保障

表現、批判、反対、示威の自由などの保障


これらの制度は、国家権力の濫用を防止するためのものとして、

制度化された抵抗権

の機能をする。

憲法上の制度がまだ準備されていないか、または準備されていても
憲法的現実としてその規範力が発揮されていない場合は、
「制度化された抵抗権」は援用できない。

ケーギは、「制度化された抵抗権」を<憲法内的抵抗>といい、
「制度化されていない抵抗権}を<憲法外的抵抗>と呼んでいる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これらの憲法上「制度化された抵抗権」について、一つ一つ考えてみた。
権力分立制度は機能しているだろうか。一人一票裁判で繰り返される
「違憲状態」判決を思うと、司法と立法が分立しているとは、
どうしても思えない。

憲法裁判制度は無い。

3分の2の強行採決の連続で、国会が軽視されている今、議会制度は
機能しているとは思えない。

選挙制度はどうだろう。司法権は?『絶望の裁判所』を書いた
瀬木氏の話を聞いた。原発訴訟を思い起こしても、独立しているとは
思えない。これで、共謀罪が強行採決されてしまったら、
言論、出版、集会、結社の自由は? 表現、批判、反対、示威の自由は?

果たして、今もうすでに、この国で「制度化された抵抗権」の規範力は
失われかけているのではないだろうか。

国家権力の濫用を防止するための抵抗の余地はあるのだろうか。


なお、第102条で明らかになったように、自民党憲法改正案が目指して
いるのは、法治国家憲法ではない、ということだ。



| Till*eulenspiegel | 憲法 - Verfassung | 02:08 | - | - |
「抵抗権」を学ぶ 2
沈在宇氏の論文『抵抗権』(北大法学論集,44(6):441-468) から

序言

1991年に書かれたこの論文の背景には、当時、東欧圏で起こった
共産独裁主義の崩壊、1989年のベルリンの壁崩壊と、1990年の
東西ドイツ統一があった。この序言において、沈氏は冒頭に置かれた
中世後期の引用句が、20世紀末のこれらの出来事をあたかも
予言したもののようだ、と述べている。


「東欧で起きた一連の事態は、自由のために共産党一党独裁に
対する国民の抵抗権の発動にほかならない。」

「我々はこの偉大な革命を可能にした抵抗権の意義と機能を学問的に
考察する必要があろう。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで、私は、1991年に、沈氏の本国である韓国では、どのような
ことが起こっていたのか、少しだけ調べてみた。

当時は盧泰愚大統領の時代。真っ先に検索できたのは、
韓流映画に興味のある人なら知っているであろう、韓国で未解決の
3大事件、即ち、『殺人の追憶』で描かれた、華城(ファソン)連続
殺人事件の最後の被害者が出た年であり、『カエル少年失踪殺人事件』で
描かれた、この名そのものの事件が起こった年であり、『あいつの声』で
描かれた、イ・ヒョンホ君誘拐事件が起こった年なのだった。

なお、金泳三大統領の文民政権が始まるのは1993年、金大中大統領の
国民の政府が始まるのは1998年である。弁護士から身を起こした
盧武鉉大統領の参与政府が始まるのは2003年である。


| Till*eulenspiegel | 憲法 - Verfassung | 14:21 | comments(0) | trackbacks(0) |

Calendar
SUNMONTUEWEDTHUFRISAT
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>

SELECTED ENTRIES

RECENT COMMENTS

CATEGORIES

ARCHIVES

LINKS

PROFILE

OTHERS

PageTop