Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
君はどこにいるのか? 3
 彼女は何百年も存在し続ける彫刻を創ろうとする。なぜなら、
 最も尊いものが破壊されてしまったからだ。それは、若者の生命。


                        トーマス・レブケ

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1914年12月4日
私は君を記念碑で讃えたい。君を愛してくれた人達みんなが心のなかで
君を覚えてくれているし、これからも、君が、君を知っていた人達や、
君の死を聞いた人達に影響を及ぼしてゆくだろう。けれども、私は
もっと別の方法で君を讃えたい。君たちの死、若くて自ら戦争に志願した
君たち全員の死を、私は、君の姿で具現化したい。鉄とブロンズの
中へと、その死は鋳込まれて、そうして、何百年も存在し続ける。

1914年12月9日
私の息子!君の記念碑の上では、私は、君の姿を両親の上に
置きたい。君は手足を伸ばして寝そべっていてほしい、必死な呼びかけに
両手が答えて言う。「ぼくはここだよ。」目は、おそらく、
大きく開いたまま、だから、君は君の上に広がる青空を見れるし、
雲も鳥たちも見れる。口は微笑むようにしよう。胸には、私が君に
あげたナデシコを飾ろう。

1914年12月23日
去年のクリスマス、君はピエロの衣装を着た。今年のクリスマス、
君は腕に小銃を持って大地の下で固くなって横たわっている。

1914年12月24日
クリスマスイブ。.....君のベッドの後ろには、一本の低い若木を
置いてある。ロウソクの炎が次から次へと燃えていって、その後で、
再た、真っ暗になってしまった。


| Till*eulenspiegel | 平和運動-Friedensbewegung | 12:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
カール・マルクスの言葉


Working Men Of All Countries Unite !

Proletarier Aller Länder Vereinigt Euch !

すべての国の労働者よ、団結せよ!


旧東独時代カール・マルクスシュタットと呼ばれた、現在のケムニッツ市には
遺物のように、巨大なマルクスの頭の記念碑がある。
背後の建物も、旧東独を思わせる巨大なもの。ほとんど使われていないような
建物をバックにしながらも、彼の言葉は、力強く訴えかけてきた。
これは、共産主義でも、資本主義でもなく、人権を訴える言葉だよ。

現在、マルクスは見直され、読み直されて、学び直されているそうです。

かつては共産主義の偉大さを表すためにこれ程の大きさにしたのでしょう。
今は、マルクスの頭脳の偉大さを表すもののように思えました。

訪問された方は、是非この画像をコピーして、拡散していただけると
嬉しいです。
この画像は、昨年末、実際に訪れて私が撮影してきたものです。

| Till*eulenspiegel | ドイツ-Deutschland | 10:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
君はどこにいるのか? 2
P.M.HISTORY トーマス・レブケ氏の記事。

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画家、版画家、そして彫刻家であったケーテ・コルビッツは1867年〜1945年を生きた。彼女の作品が創りだしたのは、表現主義と写実主義の間に位置する独自のスタイルだった。1891年、彼女は医者であったカール・コルビッツと結婚し、夫とともに、ベルリンのプレンツラウアー・ベルク地区バイセンブルガ―通りに居を移した。現在この通りは、コルビッツ通りと呼ばれている。1892年、彼女は、息子のハンスを出産。4年後に次男のペーターを、愛くるしい男の子を出産した。ペーターは、母と同様に画家を目指していた。

戦争がやってきた時、息子たちは二人ともすぐに戦争に志願した。ペーター・コルビッツは、戦場に来てまだ一週間にもなっていなかった、1914年10月23日の夜にフランドルのディスクムイデ近郊で死んだ。18歳だった。


ケーテ・コルビッツにとって、このことは「中間休止、区切り」を意味した。なんとか彼女が造形創作に再びとりかかることができたのは、亡くなった息子のために碑を創ろうという強い願望に急き立てられた時だった。

後に孫娘のユッタ・ボーンケ・コルビッツが日記の前書きに書いているように、

「彼女は、17年という長い間、様々に変転する構想、常に新たに取り掛かるものの続かない創作、疑念と抑圧とほんのわずかな信念しか得られない状態と悪戦苦闘する。」

「それは、1932年、息子が埋葬されている兵士の墓地に、ようやく、あの悲しみに沈む両親の像が設置される時まで続く。」



画像は Wikipedia から。


この長い年月、ケーテ・コルビッツは自分の日々の考え、感情を、文字で書き留めていた。第一次世界大戦の最中でも。以下、いくつかを抜粋する。


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1914年10月30日 「貴方のご子息は戦死しました。」

1914年11月14日
ペーターの去年の日記を読むといつも、一人ぼっちで置き去りにされた気持ちになる。できることなら、若者たちのために、私たちが死にたかったのに、それなのに置き去りにされて、誰もが一人ぼっちだ。まるで、息の吸えない真空に取り囲まれているように一人ぼっちだ。君はどこにいるのか?どこを彷徨っているのか?なぜ君は私のところへ来ないのか?君が生きていた時よりもずっとずっと寂しい。もうハンスしかいない。

1914年12月1日
夜、ペーターのために碑を創ろうという構想が浮かんだが、また諦めてしまった。創り果せるとは思えなかった。朝になって、突然ライケを通じて、自分に場所を提供してくれるよう、市に頼めるかもしれないという考えが浮かんだ。もし、お金がかかるなら、かき集めなければならないだろう。
碑はハーフェル川を見晴らせる場所で、旅館シルドホルンの高さに建立されなくては。素晴らしい夏のうちには完成して、除幕式が行われるはずだ。


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die Zäsur「中間休止、区切り」とは、

詩学上の専門用語で「詩の行の中間での、特に意味の切れによる休止」を表し、読者にインパクトを与える手法である。また、

音楽上の専門用語で「楽節中の中間休止や、動機や主題の切れ目」を意味する手法でもある。


| Till*eulenspiegel | 平和運動-Friedensbewegung | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
国会-参議院予算委員会 3月18日 「核兵器の保有と使用」
この議論が気になって文字起こししてみたので、メモしておこうと思う。

白:白眞勲氏(民主党・維新・緑風会)   横:横畠内閣法制局長官

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白 「昨年8月5日、あなたは、憲法上、核兵器の保有は許されていると、おっしゃいましたが、そのとおりですか?」

横 「憲法上、核を保有してはならない、ということではない。」

白 「核の保有は、憲法違反ではないということは、核の使用も憲法違反ではないということですね。」

横 「もとより、核兵器は武器の一種でございます。核兵器に限らず、あらゆる武器の使用につきましては、国内法上、国際法上、の制約がございます。国内法では、憲法上の制約、わが国防衛の為の必要最小限度のものに留めるべきという、第3要件がかかっている。国際法では、国際人道法、いわゆる戦時国際法の遵守、様々な制約があり、これを遵守しなければならない。国内法では、自衛隊88条第2項もある。あらゆる武器の使用については、国内法、国際法の許す範囲内。」

白 「使用は憲法違反ではないのか?」

横 「核兵器というものにも様々なものがある。お尋ねの憲法上の制約について申し上げれば、わが国を防衛するための必要最小限度のものに限られるということですが、憲法上、すべての、あらゆる種類の核兵器がおよそ禁止されている、という風には考えていない。」

白 「大きい問題だと思いますね。政策論は別として、自衛の措置として、日本は憲法上、保有もできれば使用もできる、ということですね。Yes or No でお答え下さい。」

横 「いろいろ前提条件がございますので、いきなり保有も使用もできると言われても、はいそうです、とは申し上げにくいが、これまで述べた通り。」

白 「今回、海外での自衛の措置が容認された。自国が攻撃されていないにもかかわらず、他国で核を憲法上使用できるということになりますよね。」

横 「そうはならないと思います。今回の新3要件のもとでの法整備が行われたわけですが、いわゆる海外派兵は、わが国防衛のための必要最小限度を超えるということで許されない、という考え方は全く変わっていない。そういう意味で、海外で武力行使をできるようになったのだろう、と言われる方もおられますけれども、そのような前提ではございません。」

白 「新3要件のもとで、憲法上ですね、核が使用できるということになりませんか?」

横 「核兵器をはじめ、すべての武器の使用についての制約というのは、国内法、国際法ともにある。新3要件のもとで、何か武器使用基準の考え方が変わったのかというと、そこは変わっていない、ということでございます。」

白 「前と変わっていないんだったら、今回の安保法制で海外で自衛隊が活動できるんだから、海外における核の使用というのはできる、という論理展開にならないか?」

横 「そうはならないと思います。新3要件のもとで、海外で武力の行使ができるようになる、ということではございません。あくまでも、わが国が武力行使が可能となるのは、新3要件のもとにおきましても、わが国を防衛するための必要最小限度のものでございます。また、海外での武力行使というものは、わが国を防衛するための必要最小限度を超えるのだ、という風に解している。それはこれまでと変わらない、ということです。」

白 「議論を深めなければいけない。今日はここまで。」


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思う。白さんはあくまでも自衛隊と言い、横畠さんは決して自衛隊とは言わず、海外派兵、武力行使としか言わない。自衛隊は、兵ではないし、武力ではないよね。一体この議論は咬み合っているのか、ひょっとして、全く咬み合っていないのではないか。


| Till*eulenspiegel | 日本-Japan | 18:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
『フクシマ ・モナムール』 Gruesse aus Fukushima
ドリス・デリエのフクシマ映画

http://www.faz.net/aktuell/feuilleton/kinotrailer-gruesse-aus-fukushima-14119696.html#GEPC;s2 

上記のリンクでトレイラーが見れます。




フランクフルター・アルゲマイネ3月11日付文芸欄で紹介されていました。

『フクシマ・モナムール』"Grüße aus Fukushima" 2016年ドイツ映画。監督:ドリス・デリエ。 出演:ロザリエ・トマース、桃井かおり。

トレイラーを見る限り、フィクションとノンフィクションが入り混じった感じ、と言ったらいいでしょうか。オフィシャルのFacebook によりますと、3月10日以降ドイツ各地で上映のようですね。ちなみに20日は バート・フュッシンクで。私たちも映画館で見れますように。タイトルはベルリンネットの六草いちかさんのサイトからいただいてきました。英語のタイトルが "Fukushima, mon Amour"なんですね。広告柱が見れます。

https://twitter.com/OGURISaori/status/709515589887385600/photo/1?ref_src=twsrc%5Etfw


2月のベルリン映画祭で上映されたようです。
オフィシャルHPはこちら。トレイラーはこちらでも見れます。

http://www.gruesseausfukushima.de/


| Till*eulenspiegel | 原発−Atomkraftwerk | 18:28 | - | - |
グリーンピース・ジャパンからのメール
グリーンピース・ジャパンから、以下のメールが届きました。

今日は上牧行動の方々は、朝から晩まで、関電本社前で
スタンディングデモということです。

田中原子力規制委員長の訓示を聞きました。冒頭、福島の桜についての
話があり、遅まきながら、田中氏が福島の生れであることを知りました。

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こんばんは、グリーンピース・ジャパン事務局長の佐藤潤一です。

今日3月11日で、東日本大震災から5年となりました。この震災により犠牲となられた全ての方々に対し、あらためて哀悼の意を表します。


写真:東京で行われたイベントPeace on Earthにて、2時46分に追悼の黙祷。




しかし、この悲劇はまだ終わっていません。東京電力福島第一原発事故によって、およそ10万人の方々が今でも住み慣れたふるさとからの避難を余儀なくされたまま。飯舘村や浪江町などの避難地域では、除染作業で剥ぎ取った汚染土がつめられたおびただしい数の袋が仮置き場や道沿いに並べられています。

原発事故を経て、わたしたちは原子力発電は過去の産物とし、安全で環境にも優しい自然エネルギーに移行するべきだという教訓を学びました。にもかかわらず、九州電力の川内原発が、火山灰のリスクを軽視して再稼働するなど、政府や原発産業の原発にしがみ付く姿勢は、変わっていません。

それでも、市民のあいだで、原発やエネルギーに対する意識が高まっているのは確かです。3月9日には、滋賀県の住民のみなさん、弁護士団のみなさんの尽力により、滋賀県の大津地裁で、関西電力の高浜原発3,4号機が、運転停止の差し止め決定を受け運転停止となりました。運転中の原発が司法の力で止まるのは、史上初。5年目の節目を前に、市民の力が政府や原発産業の力を乗り越えた瞬間を見ることができました。




「原発事故は終わっていない」5年たった今だからこそ、改めて原発からの卒業をめざし、市民の声を高める必要があります。

ぜひ今日、こちらの投稿をシェアして、多くの方に広めてください。

グリーンピース・ジャパン事務局長 佐藤潤一

虹の戦士号から、クルーと一緒に追悼の献花をしました。こちらのブログでも、虹の戦士号で福島沖を航行した際のことをブログにしています。



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国際環境NGO グリーンピース・ジャパン
〒160-0023 東京都新宿区西新宿8-13-11 NFビル2F
TEL:03-5338-9810 FAX:03-5338-9817
www.greenpeace.org/japan


| Till*eulenspiegel | 原発−Atomkraftwerk | 21:14 | - | - |
君はどこにいるのか? 1



愛しい息子

子供の頃はまるで女の子みたいだった、あの優しいペーターが
何が何でも戦争に行くという。
これがペーターの最後の写真だ。



そして、ペーターは従軍直後に戦死した。
母であり、ドイツで最も名高い芸術家の一人である
ケーテ・コルビッツ Käthe Kollwitz は、自分の息子のために
碑を刻んだ。ピエタ Pieta である。




ケーテ・コルビッツは、一人の母の身に起こり得る最悪の出来事、
すなわち、子どもの死を体験した。日記の中で、芸術家は
その苦悩について語っている。それは、その苦悩に耐えて生き延びる
ためである。


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上記は、ドイツ発行で、自称、ヨーロッパ最大級の歴史雑誌という、
P.M. HISTORY 2016年1月号 の中の、
Thomas Röbke トーマス・レブケ氏による興味深い記事である。

ドイツの、ある程度の都市ならば、どこにでも存在する

「ケーテ・コルビッツ通り」

の名の芸術家が残した日記についての記事だ。

沖縄にある佐喜真美術館に彼女のいくつかの作品が収蔵されている。
まだその作品群を見たことがなく、ベルリンの美術館でも見るチャンスに恵まれず、いつか見たいという気持がつのるばかり。ここ1年、「だれの子どもも殺させない」という言葉と彼女の彫刻とがいつもリンクしていた。
いつか見る時のためにも、彼女の日記からいくつか訳してみたいと思う。

彼女の日記の紹介文には次のように書かれている。

「ドイツの三つの帝国を生き、二つの世界大戦を生きた、
ケーテ・コルビッツの35年間にわたる日記は、ドイツ史の激動のエポックを
記しているのみならず、革命の熱狂から批判的冷静さを取り戻すまでの
政治的立場の変遷をも包括するものである。

とりわけ、驚くほど飾り気のない、しかし的確な表現で、これらの日記が
描き出すのは、母であり芸術家である一人の女性の、不安と疑念、
そして、苦悩と希望である。」

Käthe Kollwitz Die Tagebücher 1908〜1943

『ケーテ・コルビッツ 日記 1908〜1943』2012年

画像は P.M.HISTORY 1月号から。

| Till*eulenspiegel | 平和運動-Friedensbewegung | 02:01 | - | - |

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