Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
一人一票を求める裁判の判決について
昨日、一人一票を求める裁判の最高裁判所大法廷判決が出ました。

2014年12月14日に行われ、全選挙区で違憲の訴えがなされた衆議院選挙は、

違憲状態にあるが、
違憲・選挙無効を棄却する。

以下の動画を見て欲しい。

https://www.youtube.com/watch?v=NIxhilb88oY&feature=share

この記者会見で、各弁護士の方々は、昨年11月の判決にあった
最高裁判事の少数意見にある「正統性」、また今回の判決の中の
補足意見にある同じく「正統性」という言葉から、
そもそも昨年12月にすでに違憲状態であった中で行われた選挙で
選ばれた国会議員には「正統性」はなく、現在の政権、国会が、
「正統性」のない国会議員によってなりたっていることを明言、
にもかかわらず、

憲法98条の条文

「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、
詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を
有しない。」

すなわち、違憲立法審査権を行使できない最高裁判所が最大の問題で
あることを特に升永弁護士は指摘して、

「もはや日本には三権分立は、ない。」

と述べ、記者たちには次のように要望しています。

「2倍と書くのは意図的だ、0,5票と書いて欲しい。」


ちなみに私の選挙権の価値は、衆議院 0,51 票、参議院 0,43 票です。

自分の投票価値を自分自身の目で確認し、より多くの人々にこの事実を
知らせるなど、次の投票行動に活かすしかありません。
最高裁判所に信頼がおけない以上、私たちにできることは、もはや
それしかないのです。

一人一票実現国民会議HP
http://www.ippyo.org/index.html

| Till*eulenspiegel | 日本-Japan | 14:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
草の根
「沖縄を思うとやりきれない、暴動でも起こしたいくらいだ。
でも一人では起こせない。」と宇沢先生が語ってから、もう5年。
宇沢先生も亡くなってしまった。

権力をもたない私たちが、どうやったら権力者に立ち向かっていける
だろう。

最近はいつもそんなことを考える。

『世界』11月号、高橋真樹氏のルポルタージュ
「パレスチナはどうなっているか」によると、
イスラエルによるパレスチナ入植をめぐっては、今年7月に起こった
ナブルス放火事件がイスラエルのみならず国際社会を震撼させたという。
ヨルダン川西岸都市ナブルス近郊の村で、7月31日未明、ユダヤ人入植者
とみられる容疑者が、パレスチナ人の住宅に火炎瓶を投げ込み、
一歳の乳児と両親が焼死、4歳の長男が重傷で治療中という事件だ。

そして問題は、このような事件が日々起きていることであり、
国際法違反の入植地政策を続け、入植者の暴力を野放しにしてきた
イスラエル政府の政策にある、という。

このあまりに酷い状況に絶望するしかないパレスチナの
人々の中に、非暴力で戦い続けている人々がいる。
高橋氏のルポから、そのことをメモしたいと思う。

人口約6000人、ベツレヘム近郊の、約2000年前ローマ時代に作られた
段々畑と灌漑システムが保存されてきたバティール村は、多様な
作物を育て都市部に出荷してきた。
この村を貫く線路はイスラエルのものだが、かろうじて線路の向こうの
農地で作物を作り続けてこられた。が、そこにイスラエル軍は、
分離壁を建設すると発表したのだ。

村人たちの抵抗が始まる。弁護士を雇い裁判。敗訴の連続。国際社会
に訴えるプロジェクト開始。イスラエルの許可がなければ測量さえ
できないという事情。ユネスコに協力を依頼、測量にこぎつける。
ようやく、地形、水資源などカテゴリーごとの17枚の地図が完成。
村の記録、歴史を収集。それに4年を費やす。

国家資格を持たないパレスチナに国際賞へのエントリーは、
イスラエルの妨害もあり、困難だったが、ユネスコとギリシャ政府
共催の「メリナ・メルクーリ国際賞」に繰り返しエントリーして、
2011年に受賞。同年10月、ユネスコの正式な加盟国として承認される。

イスラエルとアメリカはこれに反対、アメリカ政府がユネスコへの
分担金拠出を拒否した。

パレスチナは、世界遺産申請が可能となり、ベツレヘムの
キリスト生誕教会を申請、2012年登録された。そして、2014年、
バティール村が、

「オリーブとワインの地、エルサレム南部バティールの文化的景観」

という名称で、世界文化遺産に登録された。同時に、分離壁の脅威に
さらされているということで、危機遺産リストにも載った。
そして、これを受けて、イスラエルの最高裁判所が、分離壁建設計画
の差し止めという判決を下したのだという。

イスラエル政府が分離壁建設を断念したわけではない。彼らの戦いは
続いている。ここにこぎ着くまでに10年。
パレスチナ自治政府は、2012年、国連でのオブザーバー国家に認定され、
2015年4月には、国際刑事裁判所に正式加盟。パレスチナの国際社会での
存在感は急速に高まり、イスラエルの孤立化が深まっている、という。

この息の長い、踏まれても、大地に根をはってへこたれない非暴力の
抵抗が唯一の希望に思える。日々、伝えられるイスラエルの強権的な
政策と、パレスチナの困難。

宇沢先生、暴動を起こさないで、バティール村の人々のように、
権力と闘うしかないようです。

| Till*eulenspiegel | 世界−die Welt | 01:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドイツの政治教育3原則
昨日、yahooニュースで読んだ記事で、とても参考になったのでメモした。
こちらで記録しておこうと思う。
すでに見た方も多いと思うが、こちらで今一度 url. を。

http://news.yahoo.co.jp/feature/61

動画が見れるので、是非見て欲しい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1972年に、ドイツが選挙権を18歳に引き下げた時に設けた3原則、
ボイステルバッハ・コンセンサスというもの。これによって、
現場の教師は安心して政治教育に取り組めるようになった、という。


 ゞ技佞琉娶が生徒の判断を圧倒してはならない。

◆\治的論争のある話題は、論争があるものとして扱う。

 自分の関心・利害に基づいた政治参加能力を獲得させる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

歴史教育も政治教育もおざなりにされていた、と感じる自分の中学生・
高校生時代のことを思うと、残念だ。ただうっすらと、中学時代の
記憶として、当時、水俣病に関する新聞記事をスクラップした記憶が
あり、それはやはり自分が社会を見る1つの目となった、という
実感がある。

SEALDsのメンバーは、高校生の時に、東北の大震災、福島原発事故を
経験した世代、それが大きく、現在の活動に影響を与えた、と聞く。
先日、SEALDs KANSAI の第一回目 SALON に参加することができた。
質問者の一人として手を挙げた一人の女性が、「私は中学生です。」と
言った時、会場はどよめいた。

教師たちと、生徒たちと、保護者たちと、周囲で見守る私たちとで、
民主主義を一歩一歩進めていけたら。

1972年当時、高校教師で、政治教育に携わってきた、
シビル・ラインハード博士(教育学)は、動画の中で、その目的は、
民主主義 Demokratie のためである
と語っている。

| Till*eulenspiegel | ドイツ-Deutschland | 07:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 5
その後も、ドレスデンでは毎月曜にペギダのデモが続いている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

反イスラム、イスラム敵視は、ペギダにとって、説明不十分なまま、
しかも不手際に実行された難民政策に対する憤慨を、個人の身近な領域
から、根本原理に移し替える、いわゆる「スパーク」だった。
反イスラムによって、戦場は整った。この戦場で、ありとあらゆる
幻滅や欲求不満が、「政治」や「政治家」あるいは「メディア」への
誹謗中傷として、公的に演じられることが可能となったのである。

だからと言って、この現象を単純に、既存の抵抗の研究、および運動
研究のカテゴリ−を用いて記述することはできない。既存の研究は、
伝統的に、時に、市民の不服従という言葉で表現される、とりわけ
「良い」抵抗運動に専ら寄与してきたのだ。「草の根運動」、
「社会運動」あるいは、「新社会運動」これらは、ペギダとは違う。
諸概念は、中身に関してすでに出来上がっていた。
特に、「進歩的」で「啓蒙的」および「開放的」と認められることを
志向する抵抗プロジェクトのために使われてきたからだ。そして、
この抵抗プロジェクトが、資本主義には批判的に振るまい、平和、
平等、環境政策の重心となってきたのだ。

ドイツのいくつもの大都市の通りや広場でペギダの名のもとで、
最初に姿を現した抵抗は、従って、必然的に市民社会の「暗黒の」
側面と見なさざるを得ない。特に、その批判が、不寛容、国家愛国主義、
そして外国人排斥という言葉を、公的に表現しているためだ。

さらに言えば、過剰な感情、対決的姿勢、ポーズ的な憤慨の見せ方、
権威のある場所・通りでコミュニケーション力を生み出そうとする
試みの成功、これらが、ペギダを新しいスタイルの抵抗運動に、
言い換えれば、右派ポピュリズム憤慨運動にしたと言える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2015年11月現在、ドイツでは、ペギダだけではなく、ベルリンでも、
『AfD-ドイツのための選択肢』のデモが行われた。しかし、
1938年11月9日から77回目の記念日 Reichspogromnacht
「帝国のポグロムの夜」を迎える9日にペギダデモをさせまいと、
数万人のネット署名活動が行われたり、実際に"Herz statt Hetze"
「扇動ではなく心を」の大規模な反ペギダデモも行われたという。

帝国のポグロムの夜、とは、ユダヤ人のシナゴーグ、商店などが放火され、
ユダヤ人に対する不当な迫害が始まった夜のこと。
ポグロムとは、ロシア語で迫害を意味する。
この日を水晶の夜と呼ぶのは、ナチが破壊した多くの商店の
ショーウィンドウのガラスの破片が散乱したことをシニカルに
命名したもの。しかし、この命名が、実際の迫害の真実を薄める表現
であるということで、この表現に代わるものとして、
Reichspogromnacht 帝国ポグロムの夜、と言うようになった、と次の
サイトに書かれている。

https://www.lpb-bw.de/reichspogromnacht.html

なお、このサイトをずっと下へ読み進むと、1938年の実際の動画がある。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 14:16 | - | - |
11月25日 一人一票裁判 判決期日指定
以下のメールが、一人一票事務局から送られてきました。
いよいよ、判決です。




1人1票実現サポータの皆様 

こんにちは!

1人1票裁判(2014衆院)の大法廷判決期日が

2015年11月25日(水)午後3時に指定されました。

平日ですが、できるだけ多くの人が判決に立ち会えるよう、呼びかけをお願いいたします!

今回の判決が1人1票判決ではなく、来夏の憲法改正で、47条が自民党改正案で改正されれば、日本は、事実上、国民主権国家ではなくなります。

日本の最高裁が、憲法の下に独立し、健全な判断をすることを期待しています。

先月の弁論の様子、今後の判決言渡当日の予定など、HPにアップしましたので、ぜひご覧いただいき、

ツイッター、フェイスブック、ブログなどで情報発信をお願いいたします。

http://www.ippyo.org/topics/2015110501.html

HPの更新も、全てサポーターの方のボランティアによって行われております。

感謝、感謝です。

是非、みんなの草の根活動で1人1票を実現しよう!

一人一票実現国民会議 事務局より☆


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで、もし一人一票という判決が出なければ、来年、参院選で
自民党憲法案で戦うと明言している安倍政権のもとで自民党が勝利し、
憲法が改悪された場合、国民主権では、なくなってしまい、もう、
このような裁判を起こすことさえできなくなってしまう、と、
記者会見で、弁護士の方々が訴えていらっしゃいます。

さらに、自民党憲法案第98&99条は、非常事態法であり、
これは、ヒトラーがナチス政権で行った共産党を始めとする
反対派の粛清を可能とするものだと、升永弁護士は非常な危機を
表明しています。

是非とも、上の url のサイトに行き、10月28日の
口頭弁論後の記者会見を、Videonews.com で見て下さい。
現在無料放送中です。

また、25日の判決言い渡しに、可能な方は行っていただきたいです。


なお、ペギダについての記事は、金曜〜火曜に仕事が集中している為、
水曜以降の更新となります。


| Till*eulenspiegel | 日本-Japan | 21:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 4
ペギダ抵抗運動の成立段階では、多数の要因が作用し合ったと
考えられる。いわゆる「イスラム国」(IS) の暴力行為に関し、
強化された公式報道、また、ドイツの諸都市での民族的・宗教的に
動機づけられた衝突の数々、北部イラクのクルド人たちに武器を供給して
きたPKK(クルド労働者党)支持者たちが行ったドレスデンでのデモ、
さらに難民収容施設についての地方自治体の計画の公表である。
これらが1つに結晶した。そしてその周りにいくつかの反抗の動機が
堆積していったのだ。

1つは、すでに広まっていて、ドイツ中で確認できた反イスラム、
および反外国人ルサンチマンに結び付けられたこと。
もう1つは、感情をたっぷりと充電したこの触媒が、政治とメディア
のエリートたちに対する長期に渡って鬱積していたとみられる怒りを
解き放ったことだ。ここで言う感情とは、ペギダの場合、社会経済的な
原因によるのではなく、言ってみれば、経済的な不利を被ることへの
恐怖、社会的な没落への恐怖だった。支配していたのは、日常の体験
でほんの少ししか知らないイスラム教によって、伝統を喪失するの
ではないか、地方の、ひいては国家的なアイデンティティをも喪失するの
ではないか、という漠然とした不安だったのだ。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 21:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 3
この運動は、ドレスデンに端を発したものである。運動の担い手は、Facebook 上で結集が呼びかけられ、メディアでの反響が数を増やすことにもなったのだが、最初は友人や知人のサークルだった。
公開批判、注意深さ、「今がその時」というリアクション、これらが、25,000人もの参加者が集まるほど、この抵抗運動を膨張させた。

2014年から2015年への変わり目にこの運動が迎えた最盛期において、ドレスデンのペギダの大多数は、すぐに世間が推測したような反イスラム、また反外国人という極右主義者たちの運動ではなかったのである。集会や「夜のお散歩」の参加者の約3分の1はあちらこちらでイスラムフォビアの動機また立場を示していたものの、多数は、政治・メディア、そして実践的な民主主義の機能方法への根本的な批判をしていたのである。

ペギダは、最初はザクセン市民の中間層とその脆いセグメントをも構成員としていた。社会人口統計学上の構成体という点で、目を惹いたのは、自営業者と被雇用者の参加率が比較的高かったことで、ザクセンの所得構造に関して言えば、この人達は単純に平均以上の裕福な人達だった。主催者たちの伝記的な背景は、多方面に渡っており、変則的かつ、困難な職業生活にあることをうかがわせた。

ドレスデンのペギダは分裂後の、2015年の2月以降は、2000〜3000人がせいぜいで、それ以上の動員はできなかった。2015年6月のドレスデン市長選の際、最初の投票で、ペギダの立候補者が約21000票、つまり9,6%得票したこと。この相対的な成果がペギダを1つの戦略選択と認めることになった。将来的に、地方自治体選挙、また州議会選挙でも、候補者が擁立されるだろう。
「ドイツの選択肢」(AfD)などの既存の政党との選挙協力に頼ることを、ペギダは拒んできた。その代わりに、主催者たちが努めてきたのは、国際的な右派、しかも右派扇動的なネットワークとのコンタクトを取ることだった。これまで、成果はなかったけれども。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「Segmenten セグメント」という言葉が気になって調べてみた。

Sanseido Word Wise Webから

幅広い分野で登場する語です。例えばマーケティングの分野では「消費者全体を何らかの基準で分けた、同質なグループ」のことをセグメントと呼んでいます。また経営の分野では、企業グループの財務状況を事業別・地域別などによって区分して算出・開示する情報のことを「セグメント情報」と呼んでいます。さらに情報通信の分野でも、CPU・ネットワークケーブル・デジタル放送など、さまざまな技術分野においてセグメントの語が用いられています。

日本語に言い換える場合は、「分節・細分・切片・断片」」など。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 17:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 2
月曜ごとのデモによって、有に一年間をかけて、この東ドイツの
模範的な州の明るく描かれた絵の上に、黒いシミは広がっていった。
経済的な繁栄、財政上の一致団結、政治的安定、風景の美しさと
文化的な輝きとが、あたかも規範を示すかのごとくに、互いに
調和しあっているように見えた、この州の絵を覆うように。

他のどの州よりも強力に、絶え間なく、このザクセンの路上で
行われてきたことは、その間それに対する対抗運動が著しく弱く
見えることも相まって、不安を増幅させてきた。その結果、
外国人憎悪やイスラモフォビア(イスラム恐怖症)的な考え方が
他の連邦州のどこよりもザクセンで広まり、この自由国家が
1つの右派扇動運動の揺りかごになるかもしれない実態だ。
では、ペギダとは何だったのか、何なのか?

ペギダとは、統一された運動でもなかったし、今でもそうではない。
組織的でも、部局的でも、動機的でも、綱領的でもない見地に立って
いた。ペギダ-ドレスデンが考えてきたこと、それは、
1つの新しいドイツの運動の核になることだった。

しかし、この一地方の、言い換えれば局地的な分派の人々は
集合体となって違う様相をみせた。特に、路上で彼らが成果をあげた
時がそうだった。あちこちで極右の勢力が影響を及ぼそうとした。
ドレスデンでは、ルッツ・バッハマンをスポークスマンとするグループが
いつも支配的だった。至るところで、常に、多数の反ペギダデモ者
たちの姿があったが、「夜のお散歩」をするドレスデンのペギダは
常に、数の上で、反対者たちを圧倒していた。

様々に異なる分派やその代表者たちを繋ぐ鎹(かすがい)が、
イスラム教徒や政治的難民および外国人に対する、拡散しやすく、
平易なルサンチマンの、攻撃的表明であり、
連邦共和国を司る政治とメディアのエリートたちに対する
ヘイトスピーチとアジ演説(扇動的演説)だったのである。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 11:12 | comments(0) | trackbacks(0) |

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