Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
たぶん『スローターハウス5(Schlachthof 5)』の風景(追記あり)
3月の上旬、ドレスデンを訪れた。

ここ数年ペギダについて学んできた。ネオナチの町・ドレスデンという実態を
知った。シュトリッツェル・マルクト(シュトレン・マルクトという意味の
クリスマス市)の素晴らしさに触れた。聖母教会の再建のドラマに感動した。
はっきり言って、良きにつけ悪しきにつけ、ドレスデンの魅力に
はまってしまった。

今回はどうしても『スローターハウス5』の場所に実際に行ってみようと
市電を乗り継ぎ乗り継ぎ、かつての屠殺場を捜した。

タブレットで検索した情報では、Schlachthof 5 は現在 Gothaer Strasse
になっているという。アルトシュタットのホテルから聖母教会へまず
向かった。教会は、前回と全く同じように美しかった。3月11日で、
教会前のルター像の前に真っ黒に塗られたオブジェが置かれており、
いくつもの立て看板に見慣れた福島原発についての情報が書かれていた。
グリーンピースの反原発のアクションだった。

声をかけてみた。

これらはあなたたちのアクションですか?

彼は Ja 今日は11日だから、Gedaechtnistag メモリアル・デイだからね。
と言った後、今朝ラジオで聞いたんだけど、福島からの避難者が
差別されているって本当か?と質問した。

私は、本当です。と答え、昔、広島と長崎に原爆が投下された後、
被爆者たちも差別された、それと同じです。と答えた。

私の世代は、テレビでも映画でも、その差別の光景を見てきて記憶して
いる。差別の構造は、何も変わらない。

バッグについていた、「さようなら原発」の世界共通マークを
見せて、「さようなら」は通常ドイツ語では Wiedersehen
「また会おう」だけど、これじゃだめだね、と言うと、
彼は、Nie Wiedersehen 「二度と会わないよ」だよね、と
訂正してくれた。ちなみに、ドイツでは、このマークには

Nein danke, Atomkraft. と書かれていて、その意味は

No thank you, Nuclear power.

「原発はもう結構」という意味である。

ああ、今日は11日だったな、と教会の裏の道を
エルベ河に架かるアウグストゥス橋のたもとまで歩き、河の対岸の
ノイシュタットにある現在のGothaer Strasse に行くために、
市電に乗ることにした。

念のため若い女性に質問したら、この市電で間違いないと言う。
彼女は親切にも離れずに、にこにこと気にしてくれて、降りる駅も
教えてくれる。市電の中でも話が続いた。

ドレスデンに住んでるの?と質問すると、

Ja と答えて、ドレスデンの大学に通っている、と言う。

専攻は?と聞くと、

Architektur 建築学と答えた。

Schlachthof5 はカート・ヴォネガットというアメリカ人作家の小説で、
彼は、ドレスデンで捕虜となって、このSchlachthof 5(第5屠殺場)で、
イギリスとアメリカの連合国空軍の爆撃を受けたんですよ、と伝えた。
ドイツ語にも訳されているはずだから、読んでみて。と言うと、

そうします、と言ってくれた。

小さな停留所で降りて、歩いて歩いてやっと探し当てたSchlachthof 5は
ここだった。壁に以下の文字が読める。

Alter Schlachthof

Gothaer Strasse





やっと探し当てた、と思ったら、今はライブハウスで、しかもこの
日は閉館日。ベンチに腰掛けていた年輩の男性たちに Schlachthof5 に
ついて尋ねてもよくわからない、ということで。そこに、建物から
一人のさらに年輩の男性が出てきて教えてくれたのは、
そこは、エルベ河を挟んで全く反対側だよ、というのだった。

お礼を言って再び市電に乗ろうとして、二人連れに Dresden Messe 方面に
行きたいのだけど、と尋ねると親切に、何番目の停留所で降りて、
何番の市電に乗り換えて、さらに何番目で降りて、何番に乗り換えてと
教えてくれた。それで、一生懸命にその通りにしたはずが、
結構ドレスデンの市電は複雑で、初めての私には難しく、
どういうわけか、市電の中でまたさっきの二人連れに出くわすことに。

二人連れは、親切にも向こうから近寄ってきて、
あなたは間違えてるから、今度はここで降りて、乗り換えて、
何番に乗って、とそれはとても親切だった。

ネオナチの町・ドレスデン。ペギダの町・ドレスデンで出会う、
一人のアジア人に親切な地元の人々。

そしてやっとたどり着いた Schlachthof 5 はおそらくこのあたり。
もう夕方で、寒かった。Schlachthof は通の名前で残っているだけで、
そこは車と市電が頻繁に通る橋だった。その下にこんな風景が
広がっていて、きっとここに違いない。屠殺場跡では、民家を
建てるわけにはいかないだろうから。そう結論づけて、
撮ってきた画像を貼っておくことにする。

市電停留所 Messering からの風景



ちなみに、ドレスデンが州都であるザクセン州は、ドイツでも
最も差別がキツい州として有名で、難民収容所の放火や難民への暴力
など、事件も多い。ドレスデンは、観光地だから、私のようなアジア人も
見かけるが、一度ドレスデンを出れば、そこは田舎で、
私が滞在したケムニッツ(ドレスデンから電車で1時間)には、
日本人は2家庭しか住んでおらず、アジア人ということで言えば、
中国人と韓国人がもう少しだけ多く住んでいるとのことである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つい先日、このページでupした最初の画像 Alter Schlachthof が
どうしても気になって、そのまま検索してみた。
それで解ったことは、この建物が1904年まで、屠殺場として
使われていた、古い屠殺場、すなわち、Alter Schlachthof に
間違いないということだった。

Wikipedia によると、ドレスデンの人口が増え、古い屠殺場では
賄いきれなくなって新しい屠殺場を建設した。それが Ostragehege
と呼ばれる地区。間違いない。Messe方面だ。

そして、解ったことがもう一つ。1945年2月の米英空軍による
ドレスデン戦略爆撃(絨毯爆撃とも)の目標地点が当時の
DSCドレスデンスポーツクラブ・サッカースタジアムだった
ということだ。その地点が、Messe の入り口に位置する現在の
Heinz-Steyer-Stadion である。

このページに up した2枚めの Messering から撮った画像は、
間違いなく Ostragehege オストラゲへーゲと呼ばれる地区であり、
1900年代初頭に屠殺場が建設され、1945年の爆撃を受けたことも
記録されていた。そして地下室がそれに堪えたことも。

焼夷弾で地上は焼かれ、瓦礫の山となったが、地下室に収容されていた、
カート・ヴォネガットと約100人のアメリカ人兵士たちの
生命はこの屠殺場で助かったのだった。

書きそびれていたが、カート・ボネガットは、ドイツ系アメリカ人であり、
だからこそ、ドイツ戦線に送られたのだろう。




| Till*eulenspiegel | ドイツ-Deutschland | 02:30 | comments(0) | trackbacks(0) |

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