Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
君はどこにいるのか? 2
P.M.HISTORY トーマス・レブケ氏の記事。

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画家、版画家、そして彫刻家であったケーテ・コルビッツは1867年〜1945年を生きた。彼女の作品が創りだしたのは、表現主義と写実主義の間に位置する独自のスタイルだった。1891年、彼女は医者であったカール・コルビッツと結婚し、夫とともに、ベルリンのプレンツラウアー・ベルク地区バイセンブルガ―通りに居を移した。現在この通りは、コルビッツ通りと呼ばれている。1892年、彼女は、息子のハンスを出産。4年後に次男のペーターを、愛くるしい男の子を出産した。ペーターは、母と同様に画家を目指していた。

戦争がやってきた時、息子たちは二人ともすぐに戦争に志願した。ペーター・コルビッツは、戦場に来てまだ一週間にもなっていなかった、1914年10月23日の夜にフランドルのディスクムイデ近郊で死んだ。18歳だった。


ケーテ・コルビッツにとって、このことは「中間休止、区切り」を意味した。なんとか彼女が造形創作に再びとりかかることができたのは、亡くなった息子のために碑を創ろうという強い願望に急き立てられた時だった。

後に孫娘のユッタ・ボーンケ・コルビッツが日記の前書きに書いているように、

「彼女は、17年という長い間、様々に変転する構想、常に新たに取り掛かるものの続かない創作、疑念と抑圧とほんのわずかな信念しか得られない状態と悪戦苦闘する。」

「それは、1932年、息子が埋葬されている兵士の墓地に、ようやく、あの悲しみに沈む両親の像が設置される時まで続く。」



画像は Wikipedia から。


この長い年月、ケーテ・コルビッツは自分の日々の考え、感情を、文字で書き留めていた。第一次世界大戦の最中でも。以下、いくつかを抜粋する。


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1914年10月30日 「貴方のご子息は戦死しました。」

1914年11月14日
ペーターの去年の日記を読むといつも、一人ぼっちで置き去りにされた気持ちになる。できることなら、若者たちのために、私たちが死にたかったのに、それなのに置き去りにされて、誰もが一人ぼっちだ。まるで、息の吸えない真空に取り囲まれているように一人ぼっちだ。君はどこにいるのか?どこを彷徨っているのか?なぜ君は私のところへ来ないのか?君が生きていた時よりもずっとずっと寂しい。もうハンスしかいない。

1914年12月1日
夜、ペーターのために碑を創ろうという構想が浮かんだが、また諦めてしまった。創り果せるとは思えなかった。朝になって、突然ライケを通じて、自分に場所を提供してくれるよう、市に頼めるかもしれないという考えが浮かんだ。もし、お金がかかるなら、かき集めなければならないだろう。
碑はハーフェル川を見晴らせる場所で、旅館シルドホルンの高さに建立されなくては。素晴らしい夏のうちには完成して、除幕式が行われるはずだ。


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die Zäsur「中間休止、区切り」とは、

詩学上の専門用語で「詩の行の中間での、特に意味の切れによる休止」を表し、読者にインパクトを与える手法である。また、

音楽上の専門用語で「楽節中の中間休止や、動機や主題の切れ目」を意味する手法でもある。


| Till*eulenspiegel | 反戦-gegen den Krieg | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) |

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