Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 8
従って、ペギダには、過去25年の間に生じはしたが、これまではほとんど可視化していなかった、東西の断絶も反映されているのである。実証結果では、確かに、東西のドイツ人の、政治的かつ文化的考えの様々な側面はほとんど違わない。これらの側面は、民主主義という理念のための一般的な一致点として重要な意味を持つ。しかし、この民主主義が果たして本当に上手く機能しているかどうなのか、という点で、両側の見解は常に異なっている。ペギダの参加者の中には、日々の民主主義への強い不満があるのだ。

1つには、彼らは、連邦ドイツの、メディアによって媒介されるディスカッション文化に慣れ親しみを感じず、政治的諸機関を「自分たちのもの」ではなく、「西側によってすっぽり被せられた見せかけの民主主義」の道具と感じてしまう。従って、この「システム」にのっとった代議士たちも、意思決定プロセスも、「固いかさぶたのようであり」、「眩惑するようであり」、あるいはまた「腐敗している」とも思えて、DDR 旧東ドイツへの漠然とした追憶を呼び覚ましてしまう。また1つには、もっと直接的な民主主義の到来が呼びかけられてもいる。すなわち、そこでは、「素朴な市民」が発言権を持ち、政治家たちは、無力で、従属的で、直々に釈明しなければならない「民衆の意志の雇われ者」として行動するというわけである。

このような「野卑な民主主義」(エルンスト・フレンケル)という立場は、政治的意見形成と意思決定プロセスの、複雑性も時間的徹底性も妥協の必要性も否定する。「純粋な」民衆意志の達成、すなわち直接性から生まれた住民投票という手法が、救済策を作り出すはずだ、というわけである。政治的プロセスは、「正しいか誤りか」、「原因と影響」、あるいは「問題と解決」という厳しい二者対立によって評価される。「分配しないものは解雇だ」、このようにペギダの支持者の一人は言う。民衆が代議士を解雇するというわけだ。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 17:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

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