Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 7
同様に徹底的な変化が、体制側民主主義の諸機関に起こっている。これらの諸機関は、今日、メディアが何に注目するかに盛んに順応し、現下の展開に「リアルタイムで」答えるように努めなければならない。こうして、次のような1つの政治的状況が生まれている。関係者たちが互いに対して免疫状態になっているだけでなく、それ以上に互いに疎遠になっているという状況である。つまり、こちら側にいるのが、体制側政治で起こったことがらを、原則として拒絶するソーシャルメディアであり、他方、向こう側にいるのが、「インターネットコミュニティ」の中の混沌状況によってもそれ程強く影響を受けずに済んでいる政治である。このため政治は相変わらずある程度合理的で政治的な決断のプロセスが可能な状況にある、というわけである。

従って、ペギダは「目下機能中のエリートたちの民主主義」に対する抵抗と解釈できるだろう。言い換えれば、次のような政治的秩序に対する反対勢力と解釈できるだろう。つまり、経済的権力と、国家および政権を司る機能を操作するエリートたちが、政治的決断のグランドデザインを描くと同時に、市民たちが主張するものから、ないしは市民たちにとって依然として民主主義的かつ正統的なことと思われていることから遠ざかってしまっているということである。

市民と代議政治が信頼関係で互いに結ばれる基盤、つまり機能的な代議制システムが持つあの両側合同提議は、失われてしまっている。複雑化した、構造、諸機関および手続きからなる体制側代議制民主主義には、ほとんど見通すことのできない帰結が待つばかりという状態だ。

東ドイツでは、すでに一度、生活条件を後々まで尾を引くほど変えることになった、あの転換期の影響が、過去二十年以上にわたって残っているため、民主的システムのこのような変容の帰結が、一層強められているのである。1989年の平和革命の只中で、一部に、民主的決断到達プロセスを強力に単純化した考えが生まれ、一部ではまた、新しい自由民主主義的システムに対する当然の期待が生まれた。これらの期待は、社会的、および経済的奪取の経験という背景もあって、次第に、激しい政治的幻滅モデルをもたらすこととなった。さらにこれに、ドイツ全体の政治文化を、不完全に、一部には、理解できないままに取り入れたことの帰結が加わる。多くのペギダデモ参加者から見れば、この政治文化は、依然として、典型的に西ドイツの、追憶の場所であり、経験の地平線であり、また解釈のパラダイム(理論的枠組)に沿ったものと定義される。集団的な疎外感情、特に自身の生を意味付ける主権の喪失は、今日もなお、新たなオピニオンリーダーや政治エリートによって、文化およびコミュニケーションの没収と記述されているのである。ペギダにおいて、攻撃的な言葉で表現される、あのルサンチマンを充電したエリート排外主義こそが、ペギダという出来事なのだ。


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ペギダがドレスデンで起こったことは必然、東西ドイツの関係で起こるべくして起こったという、フォアレンダー氏の分析です。

Dr. ハンス・フォアレンダー氏の分析はまだまだ続きます。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 16:11 | comments(0) | trackbacks(0) |

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