Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 5
その後も、ドレスデンでは毎月曜にペギダのデモが続いている。

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反イスラム、イスラム敵視は、ペギダにとって、説明不十分なまま、
しかも不手際に実行された難民政策に対する憤慨を、個人の身近な領域
から、根本原理に移し替える、いわゆる「スパーク」だった。
反イスラムによって、戦場は整った。この戦場で、ありとあらゆる
幻滅や欲求不満が、「政治」や「政治家」あるいは「メディア」への
誹謗中傷として、公的に演じられることが可能となったのである。

だからと言って、この現象を単純に、既存の抵抗の研究、および運動
研究のカテゴリ−を用いて記述することはできない。既存の研究は、
伝統的に、時に、市民の不服従という言葉で表現される、とりわけ
「良い」抵抗運動に専ら寄与してきたのだ。「草の根運動」、
「社会運動」あるいは、「新社会運動」これらは、ペギダとは違う。
諸概念は、中身に関してすでに出来上がっていた。
特に、「進歩的」で「啓蒙的」および「開放的」と認められることを
志向する抵抗プロジェクトのために使われてきたからだ。そして、
この抵抗プロジェクトが、資本主義には批判的に振るまい、平和、
平等、環境政策の重心となってきたのだ。

ドイツのいくつもの大都市の通りや広場でペギダの名のもとで、
最初に姿を現した抵抗は、従って、必然的に市民社会の「暗黒の」
側面と見なさざるを得ない。特に、その批判が、不寛容、国家愛国主義、
そして外国人排斥という言葉を、公的に表現しているためだ。

さらに言えば、過剰な感情、対決的姿勢、ポーズ的な憤慨の見せ方、
権威のある場所・通りでコミュニケーション力を生み出そうとする
試みの成功、これらが、ペギダを新しいスタイルの抵抗運動に、
言い換えれば、右派ポピュリズム憤慨運動にしたと言える。

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2015年11月現在、ドイツでは、ペギダだけではなく、ベルリンでも、
『AfD-ドイツのための選択肢』のデモが行われた。しかし、
1938年11月9日から77回目の記念日 Reichspogromnacht
「帝国のポグロムの夜」を迎える9日にペギダデモをさせまいと、
数万人のネット署名活動が行われたり、実際に"Herz statt Hetze"
「扇動ではなく心を」の大規模な反ペギダデモも行われたという。

帝国のポグロムの夜、とは、ユダヤ人のシナゴーグ、商店などが放火され、
ユダヤ人に対する不当な迫害が始まった夜のこと。
ポグロムとは、ロシア語で迫害を意味する。
この日を水晶の夜と呼ぶのは、ナチが破壊した多くの商店の
ショーウィンドウのガラスの破片が散乱したことをシニカルに
命名したもの。しかし、この命名が、実際の迫害の真実を薄める表現
であるということで、この表現に代わるものとして、
Reichspogromnacht 帝国ポグロムの夜、と言うようになった、と次の
サイトに書かれている。

https://www.lpb-bw.de/reichspogromnacht.html

なお、このサイトをずっと下へ読み進むと、1938年の実際の動画がある。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 14:16 | - | - |

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