Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 2
月曜ごとのデモによって、有に一年間をかけて、この東ドイツの
模範的な州の明るく描かれた絵の上に、黒いシミは広がっていった。
経済的な繁栄、財政上の一致団結、政治的安定、風景の美しさと
文化的な輝きとが、あたかも規範を示すかのごとくに、互いに
調和しあっているように見えた、この州の絵を覆うように。

他のどの州よりも強力に、絶え間なく、このザクセンの路上で
行われてきたことは、その間それに対する対抗運動が著しく弱く
見えることも相まって、不安を増幅させてきた。その結果、
外国人憎悪やイスラモフォビア(イスラム恐怖症)的な考え方が
他の連邦州のどこよりもザクセンで広まり、この自由国家が
1つの右派扇動運動の揺りかごになるかもしれない実態だ。
では、ペギダとは何だったのか、何なのか?

ペギダとは、統一された運動でもなかったし、今でもそうではない。
組織的でも、部局的でも、動機的でも、綱領的でもない見地に立って
いた。ペギダ-ドレスデンが考えてきたこと、それは、
1つの新しいドイツの運動の核になることだった。

しかし、この一地方の、言い換えれば局地的な分派の人々は
集合体となって違う様相をみせた。特に、路上で彼らが成果をあげた
時がそうだった。あちこちで極右の勢力が影響を及ぼそうとした。
ドレスデンでは、ルッツ・バッハマンをスポークスマンとするグループが
いつも支配的だった。至るところで、常に、多数の反ペギダデモ者
たちの姿があったが、「夜のお散歩」をするドレスデンのペギダは
常に、数の上で、反対者たちを圧倒していた。

様々に異なる分派やその代表者たちを繋ぐ鎹(かすがい)が、
イスラム教徒や政治的難民および外国人に対する、拡散しやすく、
平易なルサンチマンの、攻撃的表明であり、
連邦共和国を司る政治とメディアのエリートたちに対する
ヘイトスピーチとアジ演説(扇動的演説)だったのである。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 11:12 | comments(0) | trackbacks(0) |

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