Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
Ein Notizbuch 1 から Nr.4
2014年2月18日付けの投稿

フランスとドイツの和解1-2

アウシュビッツの悲劇を知っていても、オラドゥールの悲劇について知るにつけ、言葉を失い、なかなか先へ進めなかった。
恥ずかしいことに、自分はこの悲劇について全く知らなかった。
(この悲劇は、ウィキなどさまざまなサイトで報告されています)

1月1日の記事の後半は、この虐殺を指揮したナチス親衛隊の一人ハインツ・バート中尉の戦後についての報告である。 以下、記事の抜粋。


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ハインツ・バートは、1981年に戦犯として逮捕されるまで、オラドゥールから遠く離れた旧東独のベルリンの北の町、グランゼーに身を隠していた。

生前を知るシュミトケ牧師の証言。 「町の人は誰も過去を知らなかった。
国営雑貨店で働き、愛想が良く、誰からも慕われていた。」

裁判でのバートの証言。 「あれは戦争だった。仕方ない。」

終身刑判決後の1997年、体調不良を理由に釈放され、グランゼーに戻る。

息子二人とも誰とも付き合いを絶ち、死を迎えて、シュミトケ牧師に語った。

「私のような者も埋葬してもらえますか。」 牧師がうなずくと、「匿名の埋葬にしてほしい。極右ネオナチらが墓を聖地化しないように。愚か者は我々だけで十分です。」

現在、虐殺の生存者はエブラスさんを含め2人。記念館の依頼で廃墟を歩き訪問客に当時の体験を説明するエブラスさんの言葉。

「今の若いドイツ人に責任はない。ただ、悲劇が忘れ去られないよう、私は死ぬまで語り続ける。」

領土を巡る争いが生んだ悲劇は今なおその傷痕を残すが、人々は過去と向き合い、未来へと歩み続けている。

フランスとドイツの和解1−3に続く


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オラドゥールで、広島で、姉妹都市イギリスのコヴェントリーで、ドイツのドレスデンで、戦争に勝っても負けても、犠牲となった多くの町や村で、このように語り続ける人々がいることに感謝します。

次回はアルザス・ロレーヌ争奪戦を、記事にならい年表形式で報告。

ウィキなどによれば、アルザス・ロレーヌ地方はもともと神聖ローマ帝国の一部だったが、17世紀から18世紀にかけ、フランス王国に占領されることとなった。
以下、記事の抜粋。


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フランスとドイツの和解1-3

その後
1871年  プロイセン(ドイツ)が普仏戦争で勝利し、鉱物資源が豊富な
     アルザス・ロレーヌ地方を獲得

1919年  第一次大戦に勝利したフランスが奪還

1923年  フランスが工業地帯のドイツ西部ルール地方を占領
     (1925年まで)

1940年  第二次大戦でドイツ軍がパリ占領、再びアルザス・ロレーヌを支配

1945年  ドイツ降伏

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昔から領土紛争にさらされてきたこの地方に平穏をもたらすきっかけとなった
のは、1950年5月9日フランス外相シューマンが資源の共同管理を提唱したことだった。
これはシューマン宣言と呼ばれ、この日は後にヨーロッパ・ディと呼ばれる。

以下、記事の抜粋。

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1952年  資源をフランス・西ドイツなど6カ国で管理する欧州石炭鉄鋼共同体
     (ECSC)発足

1963年  独仏友好条約 (エリゼ条約)調印


この後、ベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一を経て、この ECSC が EU 欧州連合(1993年)に発展してゆく。


1995年には、シェンゲン協定で、独仏などで国境の旅券審査廃止、
2002年には、欧州共通通貨ユーロ流通開始
2003年には、独仏が米英主導のイラク戦争反対
2013年には、エリゼ条約50周年

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アルザス・ロレーヌを巡って両国が争うことはもうあってはならないという決意がここにあると思う。


| Till*eulenspiegel | 世界−die Welt | 11:30 | - | - |
Ein Notizbuch 1 から Nr.3

<共感の技法>についていろいろと思いめぐらす。
政治についてだけではなく、単に映画一つをとっても、自分が感動した映画を他の人々に伝えようとするとき、それが親でも、配偶者でも難しい。

<共感の技法>は、果たして在りうるのだろうか。

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2014年2月18日付けの投稿

フランスとドイツの和解1-1


以前友人から質問を受けた。
「戦後、ドイツは近隣諸国とうまくやっているのに、なぜ日本はうまくやれないのか。ドイツも、明確に謝罪したわけではないのではないか。」

それに対し、自分の答え。
「戦後、ブラント首相がワルシャワ・ゲットーの記念碑の前で正式に謝罪してるよ。」

改めて、ウィキでそのことを読むと、その行動の大きさに感動するが、友人の問に対し、自分の答えは、ドイツを学ぶ者として恥ずかしい。

そんな気持ちを抱えていたところ、NHKのニュース番組で、先月22日が独仏友好条約(エリゼ条約)締結50周年ということで、ドイツとフランスの若者たちが共に、それぞれの言語を自在に混ぜて、ラップに載せ、メッセージを発信していることを伝えていた。

司会者は、若者が活動の主役であることに意義があると述べていたが、それは、少し違っている。 政治家ではない大人たちが和解の行動を少しずつ起こしていたからこそ、それが若者たちに繋がったのだ。

それを証明する事実として以下のレポートを読んで欲しい。


エリゼ条約締結50周年ということで、日本と近隣諸国との問題を考えるヒントとして、毎日新聞の1月1日朝刊から7日まで、『 領土と主権 第一部 独仏和解の現場から 』 というタイトルで両国の戦後の和解の達成、未だ続く対立の克服について書かれていた。

友人への返答の代わりとして、日本に何が欠如していたか、今でも欠如しているか、考えるヒントになれば、とまとめることにする。

毎日新聞1月1日付朝刊  連載のタイトルは

フランス中部の村  ナチの虐殺に同胞協力


フランスとドイツの国境に位置するアルザス・ロレーヌ地方、その主権を巡ってフランスとドイツが争ってきたことは、歴史でも学んだ。
鉱物資源の産地だからだ。 以下、記事の抜粋。

オラドゥール(仏中部)宮川裕章記者、グランゼー(独東部)篠田航一記者

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今から69年前の1944年6月10日、ハインツ・バート中尉率いるナチス親衛隊120人がフランス中部オラドゥール村を襲撃。住民全人口に近い642人を虐殺。生存者は6人。

理由は、ドイツ側資料によると、村民が武器を隠しているとの誤情報。

廃墟はフランス政府がそのまま史料として残すことを決定。
現在もがれきがそのまま残っている。

そして、その部隊の中に、当時ドイツ領アルザス地方出身の「マルグレ・ヌ」(自らの意思に反して)と呼ばれるナチスに強制徴用されたフランス人が13人いたのだ。

1953年、13人は有罪判決の後、恩赦で釈放されたことで、禍根を残す。

和解の象徴としてアルザス、ストラスブール市から贈られた彫像が破壊されたり、他方、生存者の一人エブラス氏が自らの書物の中で、13人が強制徴用であることを疑うような表現をしたため、アルザス住民が訴訟を起こしたり。

そんな中、互の首長の相互訪問など、地域間の交流を続けてきた。

たとへば、1999年オラドゥール村にできた虐殺記念館を訪れる年間15万人以上の来館者のうちドイツ人は500〜1000人と少ない。
事件の風化を防ぐため、記念館では約5年前から、ドイツの中高生を招く事業を始めた。

フランスとドイツの和解1−2に続く


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フランス、ドイツによるアルザス・ロレーヌ争奪戦はすさまじい。

友人の話では、ストラスブールのクリスマス市は、まさにドイツのクリスマス市なのだという。そのような地方に生まれること自体、困難な状況にさらされることを意味する。
| Till*eulenspiegel | 世界−die Welt | 11:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
Ein Notizbuch 1 から Nr.2
2014年12月6日の投稿

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ドイツのドラマ Dr. Klein



ある時、ふと、ZDFのサイトでクリックしたドラマが、『Dr. Klein』 ドクター・クライン だった。
一度目はドイツ語字幕付きで見れるとはわからず、なしで見た。やはり、かなりドイツ語が早くて、探したら、字幕がついていた。

試しに見るかたは、UT をクリックして欲しい。UT=Untertitel
オフィシャルサイトは末尾の URL へ。(2月現在も有効。2019年1月5日より第5シリーズが始まった。)


初めて見たのは第5話で、主人公の小児科医 ヴァレリー・クラインが診察した少年の叔父、かつてのボーイフレンドと再会し、家族との時間を割いて、かつてボーイフレンドと楽しんだダンスをしにいく。ボーイフレンドは、ヴァレリーが既婚者で子供も2人いると知ってはいるのだが、心のどこかに自分が存在する場所があるなら、とアプローチしてくる。
ある日、ヴァレリーの赤い小さな(klein)車に赤い薔薇の花びらが車が見えないほどプレゼントされていて。。。。つづく。

このドラマの魅力は、何と言っても、主人公ヴァリーを演じている Christine Urspruch クリスティーネ・ウアシュプルフの人間的魅力、女性的魅力、そして声だな、と思う。

オフィシャルサイトで初めて正確に知ったのだが、正確な身長は132cm。小人症の女性だ。第5話に登場する昔のボーイフレンドはさらに小さい。2人は、ドイツ語で Zwerg 、英語では dwarf 。
ちなみに『白雪姫と7人のこびと』は、ドイツ語では、" Schneewittchen und 7 Zwerge " という。

ヴァレリーは、ローゼンシュタイン病院の医長 Oberärztin で、それをよく思わない ドクター・ラング ( lang=長い)から、事あるごとに、"Zwerg " と言われる。しかし、実力もあり、誇り高い彼女は、全く動じることなく、医長として生き生きと働いている。その姿が頼もしく、美しい。

10月から始まって、現在進行中のドラマだから、現在第8話になる。
例へば、第3話。これはかなりハードなストーリーだった。

ある日、妊娠7ヶ月の女性が初めて、ローゼンシュタイン病院を受診。素敵な分娩室を紹介され、出産を心待ちに。だが、告げられたのは、胎児が小人症として生まれてくるという事実。ショックのあまり、妊婦は、たまたま出くわしたヴァレリーを見ただけで、気絶してしまう。そして、絶対に産まないと7ヶ月での堕胎を希望する。

胎児と自分とを切り離して考えられないヴァレリーは妊婦を説得するが失敗。ドクター・ラングは妊婦の希望をかなえるべきと積極的に行動する。苦しむヴァレリーが帰宅すると、娘のパムが、家族が計画したギムナジウムの生徒を招待してのパーティを絶対いやだと拒否。その理由は、小さなお母さんを見られたくない、というのだった。

初めて、ヴァレリーが泣くのを見た。 この苦しみをどうやって乗り越えるのかな。人事ではない苦しみだ。

一人でブランコに乗って泣いていたヴァレリーのところに息子のマックス(7才くらい?)がやってきて言う。
「ぼくは大きくならないよ。そうしたら、ママ、寂しくないでしょ。」
これで乗り越えられないわけがない。

7ヶ月の妊婦の手術の日を迎え、着々と準備が進む手術室。
「執刀はあなたなの?」という彼女の質問に、「ええ。」ときっぱりと答えるドクター・クライン。注射を打とうとした時「やめて」と妊婦が叫んで、胎児の命が救われる。

このラストシーンのちょっと前に、ヴァレリーが、今は認知症で苦しむかつて医師であった父に、自分が生まれるときのことを初めて聞くシーンがあって。そこで、父が、ヴァレリーに、

「客観的にならなければならない」と、諭す。
「おまえが生まれたとき、家族は本当に大変だった」と話す。

父は認知症。夫は売れない本を書く哲学者。パムは思春期。病院長はホモセクシュアル。看護師長の子は父との子?という疑惑。病院の同僚の他の医者にも様々な事情がある模様。

赤い小さな車に乗って颯爽とした姿。意地悪するドクター・ラングに仕返しを忘れない自己主張力。そしておしゃれ。
登場人物がそれぞれに輝いていて、見ていると、見ないではいられない魅力のあるドラマだ。


Dr. Klein
https://www.zdf.de/serien/dr-klein

| Till*eulenspiegel | ドイツの文化 - die deutsche Kultur | 10:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
Ein Notizbuch 1 から Nr.1
以前 FC2 のブログに掲載していた投稿を、例えば、今の時点で読んだらどうだろう、とか、メルケル首相が今来日中だが、ドイツとフランスについて投稿したものはどうだっただろう、そんな思いでいくつかこちらのブログにメモしておく。

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2014年12月17日付けの投稿

0円ショップ Schenkladen


最新号の The Big Issue 日本版に紹介されていたのがタイトルの 0円ショップ - Schenkladen だ。

schenken は「贈る」の意味。laden は shop の意味。

今ドイツには、商品が無料のもはやショップではないショップ、Schenkladen という無料ショップ ( Umsonstladen ) が60軒以上あるという。umsonst は無料の意味。

家賃は、大家さんの好意で無料。週3日、午後3時間だけの開店で、スタッフは全員ボランティア。

不要になった物を持ち込めて、必要なものをいただく。
ただしこれは物々交換ではない。

キャリーバッグ、リュックサック、大きいバッグを持ってお店に来てはダメ。一人につき一日5品までいただいてOK。
このルールを守らなくてはならない。

たとへばということで紹介されているのが、ベルリンの旧東ドイツ地区フリードリヒスハイン地区の『システムエラー』という Schenkladen に置かれたパン。

ドイツ ( Deutschland ) はパンの国 ( Brotland ) と呼ばれるほど美味しいパンは、賞味期限が切れていないのに、一日で商品価値を失うため、捨てるしかなくなる。そこで、パン屋からもらってきてこの店においてある。

お店のスタッフに話を聞くと、お客はあまりお金を持っていない
人がほとんど。しかし、このお店の目的はチャリティーではない。
では一体目的は何かというと。

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「システムエラー」という名が示す通り、消費社会のシステムの欠陥に対するアイロニーを込めた、非常に政治的な活動として始まった。しかし、この活動にエコロジー的な意味を見出して参加する人もいれば、相互支援という社会的側面を支持する人もいるという。これら3つの要素が合わさった<政治プロジェクト>を標榜している。

  中略

運営はすべて寄付による。ゴッドファーザーと呼ばれる寄付者の数は現在114人。彼らによる寄付金総額は、一ヶ月平均 Euro 564 。 このほか店舗内に置かれた募金箱には月平均 Euro 58 が集まる。

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自分を振り返っても、昔、不要品をネットの「差し上げます」コーナーで譲っていたのに、今、ヤフオクで売ってという考え方に変わっている。生活が苦しいあまり、余裕を失い、飲み込まれているのを感じる。

夕方に撮った写真だろう。暖かく照らされた店内で仕事らしい仕事のないスタッフがコーヒーを沸かしたり、常連客と話し込んだり、という文章を読むと、入って見たい気持ちが沸き起こってくる。

ページをめくると、東京・世田谷区で月2回開催される0円のフリーマーケット「くるくるひろば」が紹介されていた。

「お金に依存しない小さなネットワーク」

ほっとすると同時に、何か行動を起こさなければ、と思う記事だ。

| Till*eulenspiegel | ドイツの文化 - die deutsche Kultur | 10:41 | comments(0) | trackbacks(0) |

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