Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
ケムニッツ関連2ー ハンス・ゲオルク・マーセン
論争含みで長官をスタート

当時マーセンは、内務部局の外国人法課長の職に就いていた。アメリカの
グアンタナモ刑務所に拘留され、拷問を受けながら、クルナーツは、
ドイツへの帰国を待っていた。ブレーメン生まれのクルナーツは、
パキスタンで空港へ向かう路上の定期的なコントロールで逮捕され、
その後身代金目的で、アメリカ当局に引き渡されたのだった。

ドイツ連邦政府は、このドイツ生まれのトルコ人の解放のために
尽力すべきではない、という見解をリードしたのがマーセンだった。
彼は、法的文書を作成し、これを、赤緑連立政権は、クルナーツの
再入国を拒否する根拠とした。クルナーツは、ほぼ5年間、アメリカの
収容所で拘留され続けたのだった。

2007年、BND(連邦情報局)委員会開催を前にして、マーセンは
以下の決定の正当性を証明しなければならなかった。すなわち、
クルナーツのビザは、6ヶ月以上外国に滞在し自分のビザの延長を
申告しなかったために、法によって無効であるという決定である。
この決定に際して、外国での滞在が自由意志によるものか、そうでないか
は重要ではない、とされた。ブレーメンの行政裁判所は、全く異なる
見方をした。すなわち、クルナーツは2006年の8月にやっと解放
されたと判断したのである。アンゲラ・メルケルがアメリカ合衆国への
公式訪問の際に、個人的に彼の解放のために尽力したのだった。

ジャーナリズム報道に圧力をかけようとした

2012年長官の職に就いて以降、マーセンがスキャンダルに巻き込ま
れなかった年はない。2013年、『南ドイツ新聞』がある報道を
行った。それによると、連邦憲法擁護庁が、マーセンの指示のもと、
定期的に、機密データをアメリカ合衆国の最大の秘密情報機関である
NSA(国家安全保障局)へ伝えていたというのである。内部告発者の
エドワード・スノーデンが、アメリカの秘密情報機関のITスペシャリスト
として12年間勤務した後に、このことを暴露するドキュメントを発表
したのだった。

さらに、ドイツの秘密情報機関がアメリカの"XKeyscore"という名称の
スパイソフトウェアを使用していたことも明らかになった。
このプログラムを使えば、インターネットユーザーの接続データを把握
できるし、分析もできる。この暴露に関し、連邦憲法擁護庁は
とりあへず沈黙したが、しばらくたってからソフトウェアのテストを
したことだけは認めた。これを使い続ければ、マーセンは、
収集した全データをアメリカの秘密情報機関に引き渡さなければ
ならなかったのである。このソフトウェアによって、アメリカのNSAは
毎年総計5億件のデータベースレコードにアクセスしていた。

NSA事件は、XKeyscoreプロジェクトグループのリーダーが、
連邦憲法擁護庁において、このシステムはIT保証がなければ投入されない
ことを明らかにした2016年まで長引いた。「我々はこのシステム
がインターネットに接続された場合、どうなるかは分からない。」
"netzpolitik.org"にはこのように、リーダーの言葉が引用されている。
マーセンは、当時この記事に食ってかかった。

マーセンがこの情報プラットフォームと衝突したのは、この時一度だけでは
なかった。すでに2015年に、この連邦憲法擁護庁長官は、連邦検事総長
ハラルド・ランゲの力を借りて、表向きは国家反逆罪という名目で、
"netzpolitik.org"の二人のブロガーに対し法的措置を執った。この
"netzpolitik.org"で一つの機密ドキュメントが公表されたからで、
そこから明らかになったのは、連邦憲法擁護庁では「大量データ取得」
のために、ほぼ300万ユーロが自由に使えるようになっているという
ことだった。

以前からマーセンは、役所の職員のどんなミスもスキャンダルに
しないよう警告していた。実際のスキャンダルが全く気づかれなくなった
結果、「機密と証拠資料」がメディアに届くのは連邦議会に提出された
後だった。マーセンは起訴することで、二重スパイが誰なのかを
突き止めようと、躍起になっていたと言われている。

レナーテ・キュナスト(元緑の党党首)や、クリスティアン・リントナー
(現自由民主党党首)を含む多数の政治家が当時からすでにマーセンの
辞任を要求していた。キュナストはマーセンについて、「民主主義原則を
妨害する人間」であるとさえ述べていた。二人のブロガーに対する
マーセンの訴訟は失敗し、連邦検事総長であったランゲは辞職に
追い込まれた。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケムニッツ関連1−ハンス・ゲオルク・マーセン
その後、19日になって、8月26日未明にケムニッツで起きた殺人事件の
容疑者の一人、22歳のイラク人男性が、目撃者もなく、凶器のDNA鑑定
からも全く事件に関与していなかったとして、釈放されたという報道が
あった。さらに、別の容疑者が一人、容疑者として追われていると
いうことである。

この殺人事件が、極右の人々によって悪用されて、扇動的なデモや暴動に
つながったわけだが、19日付けの SZ Sueddeutsche Zeitung
『南ドイツ新聞』によれば、連邦議会で第3政党となったAfDの幹部らは、
AfDが、例えばフーリガンの Kaotic Chemnitz などの極右団体と
混同されることを嫌がり、今度デモをする際の注意点などを、AfD組織に
通達したようである。

また、ドイツ国内の極右団体がこのころ、ケムニッツに集結していたという
文章も読んだ。極右的な動きとザクセン、そしてケムニッツ(ドレスデンも)
との関係から目が離せない状況が続いている。

この状況に関連し、連邦政府に問題が生じた。
連邦憲法擁護庁の長官である、ハンス・ゲオルク・マーセンが、
ケムニッツで撮られた動画に疑義を表明したこと、それを内務大臣の
ゼーホーファーが容認したことである。
連立政権からは、マーセンの解任を求める声がやまず、メルケル政権
は18日、マーセンを解任したものの、内務省次官に任命する人事を
発表した。記事によると、給料も上がるということだ。

連立政権から、さらなる非難が起こっているようである。

以下、フランクフルター・アルゲマイネの18日13時57分発表の
レベッカ・ロライ氏の記事から。


http://www.faz.net/aktuell/politik/inland/hans-georg-maassens-umstrittene-entscheidungen-im-ueberblick-15793951.html?GEPC=s2


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スキャンダルが無い年はなかった

今日、ハンス・ゲオルク・マーセンが連邦憲法擁護庁長官を解任される
という。マーセンにたいする批判はケムニッツでの事件の後、ずっと
続いてきたのだ。しかし、これは単に彼に対する最も熟慮の欠けた、
かつ問題含みの決定であると言うしかない。振り返ってみる。

2012年8月1日、ハンス・ゲオルク・マーセンが連邦憲法擁護庁の長官の
職に就いたときから始めなければならない。当時、彼はこう告げた。
「憲法擁護庁の失われた信頼を再び回復するつもりである」と。
なぜか?なぜなら、12年間この職にあった彼の前任者である
ハインツ・フロムがその信頼を失わせたからである。

2011年、3人の右翼のテロリストたちが9人の移民と一人の警官を殺害して
いたことが明らかにされた。(NSU事件)連邦憲法擁護庁はこの事実を
何も知らず、対処することとなった。この直後、役所の一人の職員が
重要な公文書をシュレッダーにかけてしまった。それは、このNSU事件
(国家社会主義地下組織)についての諸官庁の失敗が相当深く解明される
ことになるだろうと言われていたものだった。世間の懐疑は最高潮に
達した。


扱いが難しい遺産を、マーセンは引き継いだ。彼自身、長官の仕事に就く
前からすでに一つの論争と格闘しなければならなかったことは、長官と
いう仕事のスタートを一層困難にした。2002年、マーセンは、
連邦内務大臣オットー・シリーのもとで、ムラート・クルナーツ事件を
担当することとなったのである。


| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 20:18 | comments(0) | trackbacks(0) |

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