Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
責任主義 −憲法−
昨年12月21日に、東京都北区北とぴあで開かれたシンポジウム
『衆議院議員選挙をどう戦うか〜立憲政治の再生を〜』で語った憲法学者の
石川健治氏の話から、ポイント的にまとめたいと思う。

石川氏が立憲主義の要として語ったのが、「責任主義」という考え方だった。

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責任主義には2つの責任がある。

責任の一つは、政治家の責任
憲法前文には、「国政は国民の厳粛な信託による」と書かれており、
これこそ、責任主義の現れである。
国民がいったんはすべてをまるごと議会(政治家)に預ける。
だからこそ、預けられた側の政治家には責任が発生する。
信託された政治家はやりたい放題でいいわけがない。
むしろ、国民に対して議会政治家には重たい責任が発生する。

憲法66条3項には、「内閣は、行政権の行使について、国会に対し、
連帯して責任を負う。」とあるように、不信任決議がされれば、
内閣は総辞職をしなければならない。

責任主義にはもう一つの責任がある。
それが、国民自身の責任である。
すなわち、現在の国民が過去の国民と将来の国民に対して持つ責任である。

憲法97条には、過去の国民から、現在と未来の国民に人権が
信託されたのだ、と書かれている。

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる
自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に
堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利と
して信託されたものである。」

この預けられた基本的人権を煮て食っても、焼いて食ってもいいという
ものではない。預けられた方には責任が生じる。
過去の責任、戦争で亡くなった人々に対して我々は責任を負っている。
勝ち取った人権というものを繋いでいかなければならない、という責任を
負っている。誰のためになのか?

それは将来の国民のためである。

国民と、国政を委ねられた議会政治家たちの責任の関係というのは、
まずは説明責任というものである。それが十分でなければ、選挙で負けて
辞職となる。

ここで国民自身の責任について考えてみる必要がある。
選挙権とは何なのか。選挙権とは権利であるだけではなく、公務でもある、
という考え方が通説である。責任を負っているのであり、公務である、と
強調している。一体誰に対する責任なのか。過去の国民と将来の国民に
対してである。

権利ならば、行使しない自由があるというわけだが、本来は過去と将来の
国民のために投票しなければならないはずだ。

こういう考え方が、個人の尊厳というところから出てくる。

将来の国民のために投票する。この中には、自然環境を不可逆的に
破壊してはいけないとか、やっと獲得した自由を失ってはならないとか、
あるいはまた、平和が含まれている。

この責任というコンセプトを大事にしていってほしい。

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石川氏は、このシンポジウムの主催者である市民連合に対し、
聴衆に対し、こう述べて、責任主義という考え方について考えてほしい、
と要請した。

石川健治氏の言葉の引用は、iwj 1月12日配信の動画による。

| Till*eulenspiegel | 憲法 - Verfassung | 16:50 | comments(0) | trackbacks(0) |

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