Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
東ドイツ人の作り話 3
東ドイツ人は、DDR(ドイツ民主共和国)時代、同じポジションで比べると、西ドイツ人よりもはるかに少ない資産しか得られなかった。従って、三世代ともなれば、大富豪の数は、東側よりも西側のほうがはるかに多い。しかし、人生の満足度は、数百万の富を持たないことで決まるというのか。西側でも、大多数は、大富豪ではないという事実と向き合って暮らしている。

誰一人、東ドイツ人が二級市民と感じるように強いてはいない。が、もし東ドイツ人がそう思い込むなら、誰一人、そう思うことを阻止することもできない。トータルで見て、統一のプロセスにおいて、東ドイツ人の幸福のためには十分に政策がとられなかった、このような靴を西ドイツ人が履く必要はないのだ。もちろんこれ程の大転換のプロセスにおいては、特に厄介な状況にあって十分に配慮されないままであった人々のグループや小グループが生じるものだ。それを基に、統一のプロセスの特徴をあげつらうことは悪質である。しかも、ドイツ統一の過程において、あたかも、東ドイツ人が40年間も DDR ではなく、BRD(ドイツ連邦共和国)で生活していたかのように想定されなければならないのは、それは
不当な要求というものだ。ちなみに年金計算では、それがおよそ想定されて実践されており、さもなければ、東側には、実際の保険料の支払額から算出された、飢餓年金しかないことになるだろう。

旧東側の連邦州のトップのポジションの3分の2は西ドイツ人によって占められている。そのことに私は異論を唱えるものではない。しかし、二つの疑問がある。東ドイツ人の大多数はそれを外部からのコントロールと感じるのか?だとするなら、どのようにしてそのような事態になったのか?

| Till*eulenspiegel | 東ドイツと西ドイツ - Ostdeutschland und Westdeutschland | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケムニッツはドイツのマンチェスター
11月16日、8月26日のこの度のケムニッツでの主に極右の人々による移民に対する暴行事件後初めて、連邦政府メルケル首相がケムニッツを訪れて、人々との対話集会に臨み、ライブ中継された。

冒頭、司会者に紹介されて、メルケル首相は、「非常に緊張している」とまず挨拶。質問者の第一問は、なぜこの日にケムニッツを訪問したのか、すなわち、言い換えれば、なぜこんなに遅くなってケムニッツを訪問することになったのか、というものだった。

ケムニッツを3度ではあるが、訪問して、短い期間だが市民生活に加わり、町の様子を垣間見て、移民への暴行は別として、AfDへの投票など、今のケムニッツを理解できる、と思えないわけではない。というのも、ケムニッツの経済が疲弊している、というのは訪れてみれば一目瞭然だし、通りを分け入っていけば、ため息をついてしまうほどだから。

若者が歩きたくなるような通りはなく、入りたくなるような喫茶店もなく、あちこちに廃屋があり、解体中の建物があり、石畳がでこぼこで、大きく陥没した場所に雨水がたまっている。そんな石畳を通って、やっと探し出したクリーニング店の店長は、明日閉店で、もし衣類を預けたければということで、知り合いの
クリーニング店のリストをくれた。改装されることもなく長年使われてきた店内。そう言えば入る時、ここが店?と首を傾げたくなる建物。

豊かな経済力を誇るドイツに、これほど疲弊している地域がある。ドレスデンからケムニッツに向かう電車の中で、ケムニッツ出身で現在はドレスデンで働く造園業の若い男性とずっと話していた。ドレスデンもライプツィヒも経済は好調なのに、ケムニッツだけがそうではない。若者が暮らしていけず、どんどん町を出て、ますます疲弊している、と彼は言っていた。

Pension の管理人にケムニッツの過去について質問した時、彼がこう言ったのが、印象に残った。

−ケムニッツは、ドイツのマンチェスターと呼ばれるほど、重工業の盛んな、豊かな町だったんです。

同じく旧東ドイツ・ザクセン州の中核都市でありながら、ドレスデンのように観光都市としても、ライプツィヒのように学研都市としても輝けず、重工業が去った後、苦しみ続けている。
ケムニッツに対しそんなイメージを私は抱いている。

| Till*eulenspiegel | 東ドイツと西ドイツ - Ostdeutschland und Westdeutschland | 13:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
東ドイツ人の作り話 2
西のマルク?それとも東のマルク?

多数の東ドイツ人が自らを二級市民であると感じている、その通りだ。
多数の西ドイツ人が東ドイツの重役の肘掛け椅子に座っている、その通りだ。
しかし、それが、多くの東ドイツのデモで示された怒りと憎しみを本当に
説明するというのか? カイデルは西ドイツの町だが、ここでも極右の
デモは行われている。

二級の市民、あるいは二級のドイツ人であるという感情は、ドイツ統一で
生じたものではない。東ドイツ人がその感情を統一の中に持ち込んだ
のだ。私の子供時代から、DDR という省略形は、「向こう側へ切り離され
てしまったわけではない」という哀れみのこもった "Der Dumme Rest"
(愚かな余り物)と揶揄されていた。(西の)親戚がDDR市民を訪問することが
許されても、DDR市民が西側の親戚を訪問することは許されなかった時、
西のメルセデスベンツが東のトラバントの隣に止まっていた時、
DDR市民は自信を失っていった。

西ドイツ人はブルガリアの黒海沿岸にあるネッカーマンホテルに泊まって
快適な休暇を過ごした。私たち東ドイツのキャンパーは、このホテルの
コーヒー一杯さえ、自分のお金で飲むことはできなかった。
「社会主義の兄弟国」だったのにである。誰かがドイツ語を
話そうものなら、当地の人たちは尋ねたものだ。

「ドイツ人?それともDDR ?」

このことは助力を惜しまない親切心というものに決定的に影響を及ぼした。
なぜなら、それは、西のマルク?それとも東のマルク?という意味だった
から。なぜこんなことになったのか? 4つの占領諸国はその功績によらず
配分されたが、人生の様々なチャンスを叶えるという点で
全く異なる結果をもたらした。

| Till*eulenspiegel | 東ドイツと西ドイツ - Ostdeutschland und Westdeutschland | 18:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
東ドイツ人の作り話 1
8月末、ケムニッツで起きた、極右の人々による難民移民の狩りという
出来事からバイエルンの州議会選挙を経て、まもなくヘッセンの
州議会選挙が行われる。

今のドイツを知るための一つの資料として、10月3日の統一記念日に
フランクフルターアルゲマイネ紙に掲載されたリヒャルト・シュレーダー氏
の『東ドイツ人の作り話』"Die Erfindung des Ostdeutschen" を
訳したいと思う。


https://fazarchiv.faz.net/document?id=FAZN__20180930_5814890#start

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最初はペギダ、そして今ケムニッツ。東は一体どうしたのか?
東ドイツ人は統一のプロセスで自尊心を傷つけられたから、その怒りから
AfD (ドイツのための選択肢)を選ぶのか? 寄稿論文でお届けする。

東の複数の州の選挙でのAfDの躍進、および、移民による刺殺事件後に
ケムニッツで発生したデモが、ドイツ全体を混乱に陥れている。
統一後28年を経て、再び次ぎの問いがなげかけられているのだ。

東はどうしたのか?

東から帰ってくる注目すべき答えは、こうである。

東ドイツ人は統一のプロセスの中で自尊心を傷つけられた、当時受けた
侮辱が今、激しい怒りとなっている。


ここで、侮辱論の論拠となっている二つの言説を検証してみなくては
ならない。一つは、世論調査によるものである。すなわち、世論調査に
よれば、自分が二級市民であると感じる東ドイツ人がますます増えている、
という事実。もう一つは、ライプツィヒ大学が2015年に中央ドイツ放送
(MDR)の委託で行った調査によるものである。それによると、
東の各州の政治、行政、司法および経済の中枢のポジションの3分の2を
西ドイツ人が占めているという。この西ドイツ側の、外部による
コントロールという事実が東ドイツ人たちを憤慨させた、というのである。



| Till*eulenspiegel | 東ドイツと西ドイツ - Ostdeutschland und Westdeutschland | 13:01 | comments(0) | trackbacks(0) |

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