Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
東ドイツ人の作り話 3
東ドイツ人は、DDR(ドイツ民主共和国)時代、同じポジションで比べると、
西ドイツ人よりもはるかに少ない資産しか得られなかった。従って、
三世代ともなれば、大富豪の数は、東側よりも西側のほうがはるかに多い。
しかし、人生の満足度は、数百万の富を持たないことで決まると
いうのか。西側でも、大多数は、大富豪ではないという事実と向き合って
暮らしている。

誰一人、東ドイツ人が二級市民と感じるように強いてはいない。が、もし
東ドイツ人がそう思い込むなら、誰一人、そう思うことを阻止すること
もできない。トータルで見て、統一のプロセスにおいて、東ドイツ人の幸福
のためには十分に政策がとられなかった、このような靴を西ドイツ人が
履く必要はないのだ。もちろんこれ程の大転換のプロセスにおいては、
特に厄介な状況にあって十分に配慮されないままであった人々のグループや
小グループが生じるものだ。それを基に、統一のプロセスの特徴を
あげつらうことは悪質である。しかも、ドイツ統一の過程において、
あたかも、東ドイツ人が40年間も DDR ではなく、BRD(ドイツ連邦共和国)
で生活していたかのように想定されなければならないのは、それは
不当な要求というものだ。ちなみに年金計算では、それがおよそ想定されて
実践されており、さもなければ、東側には、実際の保険料の支払額から算出
された、飢餓年金しかないことになるだろう。

旧東側の連邦州のトップのポジションの3分の2は西ドイツ人によって
占められている。そのことに私は異論を唱えるものではない。しかし、
二つの疑問がある。東ドイツ人の大多数はそれを外部からのコントロール
と感じるのか?だとするなら、どのようにしてそのような事態になったのか?

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケムニッツはドイツのマンチェスター
11月16日、8月26日のこの度のケムニッツでの主に極右の人々による移民に
対する暴行事件後初めて、連邦政府メルケル首相がケムニッツを訪れて、
人々との対話集会に臨み、ライブ中継された。

冒頭、司会者に紹介されて、メルケル首相は、「非常に緊張している」と
まず挨拶。質問者の第一問は、なぜこの日にケムニッツを訪問したのか、
すなわち、言い換えれば、なぜこんなに遅くなってケムニッツを訪問
することになったのか、というものだった。

ケムニッツを3度ではあるが、訪問して、短い期間だが市民生活に加わり、
町の様子を垣間見て、移民への暴行は別として、AfDへの投票など、
今のケムニッツを理解できる、と思えないわけではない。というのも、
ケムニッツの経済が疲弊している、というのは訪れてみれば一目瞭然だし、
通りを分け入っていけば、ため息をついてしまうほどだから。

若者が歩きたくなるような通りはなく、入りたくなる
ような喫茶店もなく、あちこちに廃屋があり、解体中の建物があり、
石畳がでこぼこで、大きく陥没した場所に雨水がたまっている。
そんな石畳を通って、やっと探し出したクリーニング店の店長は、
明日閉店で、もし衣類を預けたければということで、知り合いの
クリーニング店のリストをくれた。改装されることもなく長年使われて
きた店内。そう言えば入る時、ここが店?と首を傾げたくなる建物。

豊かな経済力を誇るドイツに、これほど疲弊している地域がある。
ドレスデンからケムニッツに向かう電車の中で、ケムニッツ出身で
現在はドレスデンで働く造園業の若い男性とずっと話していた。
ドレスデンもライプツィヒも経済は好調なのに、ケムニッツだけが
そうではない。若者が暮らしていけず、どんどん町を出て、ますます
疲弊している、と彼は言っていた。

Pension の管理人にケムニッツの過去について質問した時、彼が
こう言ったのが、印象に残った。

−ケムニッツは、ドイツのマンチェスターと呼ばれるほど、重工業の
 盛んな、豊かな町だったんです。

同じく旧東ドイツ・ザクセン州の中核都市でありながら、
ドレスデンのように観光都市としても、ライプツィヒのように学研都市
としても輝けず、重工業が去った後、苦しみ続けている。
ケムニッツに対しそんなイメージを私は抱いている。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 13:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
東ドイツ人の作り話 2
西のマルク?それとも東のマルク?

多数の東ドイツ人が自らを二級市民であると感じている、その通りだ。
多数の西ドイツ人が東ドイツの重役の肘掛け椅子に座っている、その通りだ。
しかし、それが、多くの東ドイツのデモで示された怒りと憎しみを本当に
説明するというのか? カイデルは西ドイツの町だが、ここでも極右の
デモは行われている。

二級の市民、あるいは二級のドイツ人であるという感情は、ドイツ統一で
生じたものではない。東ドイツ人がその感情を統一の中に持ち込んだ
のだ。私の子供時代から、DDR という省略形は、「向こう側へ切り離され
てしまったわけではない」という哀れみのこもった "Der Dumme Rest"
(愚かな余り物)と揶揄されていた。(西の)親戚がDDR市民を訪問することが
許されても、DDR市民が西側の親戚を訪問することは許されなかった時、
西のメルセデスベンツが東のトラバントの隣に止まっていた時、
DDR市民は自信を失っていった。

西ドイツ人はブルガリアの黒海沿岸にあるネッカーマンホテルに泊まって
快適な休暇を過ごした。私たち東ドイツのキャンパーは、このホテルの
コーヒー一杯さえ、自分のお金で飲むことはできなかった。
「社会主義の兄弟国」だったのにである。誰かがドイツ語を
話そうものなら、当地の人たちは尋ねたものだ。

「ドイツ人?それともDDR ?」

このことは助力を惜しまない親切心というものに決定的に影響を及ぼした。
なぜなら、それは、西のマルク?それとも東のマルク?という意味だった
から。なぜこんなことになったのか? 4つの占領諸国はその功績によらず
配分されたが、人生の様々なチャンスを叶えるという点で
全く異なる結果をもたらした。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 18:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
東ドイツ人の作り話 1
8月末、ケムニッツで起きた、極右の人々による難民移民の狩りという
出来事からバイエルンの州議会選挙を経て、まもなくヘッセンの
州議会選挙が行われる。

今のドイツを知るための一つの資料として、10月3日の統一記念日に
フランクフルターアルゲマイネ紙に掲載されたリヒャルト・シュレーダー氏
の『東ドイツ人の作り話』"Die Erfindung des Ostdeutschen" を
訳したいと思う。


https://fazarchiv.faz.net/document?id=FAZN__20180930_5814890#start

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最初はペギダ、そして今ケムニッツ。東は一体どうしたのか?
東ドイツ人は統一のプロセスで自尊心を傷つけられたから、その怒りから
AfD (ドイツのための選択肢)を選ぶのか? 寄稿論文でお届けする。

東の複数の州の選挙でのAfDの躍進、および、移民による刺殺事件後に
ケムニッツで発生したデモが、ドイツ全体を混乱に陥れている。
統一後28年を経て、再び次ぎの問いがなげかけられているのだ。

東はどうしたのか?

東から帰ってくる注目すべき答えは、こうである。

東ドイツ人は統一のプロセスの中で自尊心を傷つけられた、当時受けた
侮辱が今、激しい怒りとなっている。


ここで、侮辱論の論拠となっている二つの言説を検証してみなくては
ならない。一つは、世論調査によるものである。すなわち、世論調査に
よれば、自分が二級市民であると感じる東ドイツ人がますます増えている、
という事実。もう一つは、ライプツィヒ大学が2015年に中央ドイツ放送
(MDR)の委託で行った調査によるものである。それによると、
東の各州の政治、行政、司法および経済の中枢のポジションの3分の2を
西ドイツ人が占めているという。この西ドイツ側の、外部による
コントロールという事実が東ドイツ人たちを憤慨させた、というのである。



| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 13:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
バイエルン州州議会選挙の結果
バイエルン州州都ミュンヘンで右傾化に反対するデモがあった後の、
10月14日の州議会選挙の結果が興味深い。

http://www.faz.net/aktuell/politik/inland/landtagswahl-bayern-warum-gruene-in-staedten-erfolgreich-sind-15841635.html

フランクフルターアルゲマイネによると、CSU(キリスト教民主同盟)の
牙城だったバイエルンで、CSU が前回の選挙から10,5%も減らすことに
なった。第二政党だったSPDも減らしており、第二政党になったのは
緑の党である。

上記の記事から、得票%を書き出してみる。


−10,5% CSU (キリスト教民主同盟) 47,7% → 37,2%

+ 8,9% Gruene (緑の党) 8,6% → 17,5%

+ 2,6% FW (自由な有権者バイエルン) 9,0% → 11,6%

+10,2% AfD (ドイツのための選択肢) 0 % → 10,2%

−10,9% SPD (社会民主党) 20,6% →  9,7%

+ 1,8% FDP (自由民主党) 3,3% → 5,1%

+ 1,1% Linke (左派党) 2,1% → 3,2%


0%だった「ドイツのための選択肢」が第4政党になった。上記の記事では
むしろ第2政党になった「緑の党」に注目して、バイエルン南西部の
小さな町Giesing の町がどのように変わり、人々の気持ちがどう
変化したのかを書いている。

この選挙結果を受けて、バイエルンのCSUからは、CSU党首で内務大臣の
ゼーホーファー氏の党首交替への要求が高まっている、という。
ゲオルク・マーセンを何があっても支持し続け、限りなく右へと
舵を切ったゼーホーファー氏を地元バイエルンの人々は許さなかった、
と言えるだろうが、AfDが第4政党になったということは、限りなく右へ
と向かう人々もそれ相応に増えたということである。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 13:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
"Internationale Solidalitaet." 「国を超えた連帯を」
2018年10月3日東西ドイツ統一記念日(南ドイツ新聞)

https://www.sueddeutsche.de/muenchen/muenchen-grossdemo-jetzt-gilts-1.4154404?sc_src=email_315166

「答えが AfD (ドイツのための選択肢)ですって。だったとしたら、その質問が愚かな質問だってことでは?」 


ミュンヘンの路上で数千人が社会の右傾化に反対の声を挙げる。

"Bayern ist bunt." 「バイエルンは多様な州」 レインボーのように。

"Internationale Solidalitaet."「国を超えた連帯を。」

人々はそうも呼びかけている。少しずつ分かってきた。
統一を成し遂げるためには有効だったスローガン”Wir sind das Volk." ではもうだめだ。それは Identitaet. アイデンティティー。ナショナリズムへと傾きかねない。それを超えていかなかればならない。

この頃、中野晃一氏が講演で語っていた。
今必要なのは、ソリダリティー(連帯 )だと。

イデオロギーよりアイデンティティー。
しかし、それを超えていかなかればならない。

だから、"Wir sind mehr." これこそ、
"Internationale Solidaritaet" 「国を超えた連帯」でしょう。


| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 08:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケムニッツ関連3−ハンス・ゲオルク・マーセン(追記あり)
AfD(ドイツのための選択肢)との不愉快な関係

2017年、次なる大胆不敵な仕業がこれである。マーセンは、
アニス・アムリ事件、あのベルリンのクリスマス市でのテロ攻撃に
関するフェイク情報を、連邦議会開会前に、故意に広めたのである。
彼自身のコメントによれば、連邦憲法擁護庁はアムリの周辺には
情報提供者を配置していなかったというものだ。2018年、全く反対で
あったことが判明した。さらにマーセンは、公的な弁護士の書状を使って
連邦憲法擁護庁のスパイについての報道を阻止しようとした。

この時点でマーセンはすでにかなり圧力を受けていた。というのも、彼に
ついては、AfDの上層部との「助言のための会談」が複数回
行われていると噂されていたからである。この会談においては、
機密の数字も複数伝えられたと言われている。一説にはマーセンは、
連邦憲法擁護庁による監視をどのようにすればすり抜ける
ことができるか、をこの政党に教えていたのだ、と言われている。 
会談が複数回行われたことは、連邦内務省も確認した。
なるほど、その際、いかなるアドバイスもなされなかったと言われて
いるのではあるが。

2018年8月になって、現在のAfD代表アレクサンダー・ガウラントも、
当時の代表であったフラウケ・ペトリーも含め、党首脳部との複数回に
わたる会談があったと断言した。「私には引っかかる事があったのだ。
それは、我々の会派内にモスクワのスパイがいるのではないかという疑惑
だった。このことを私は解明しようとした。マーセン氏は、いくつか
審査した後で、こう言ってくれた。そのようなことはないと。」
こうガウラントは語った。

AfDと連邦憲法擁護庁との間の不愉快な関係は、ケムニッツとケーテンの
事件以降、公的な議論の真ん中に躍り出ることになった。ケーテンでは、
9月始め、一人の男性がアフガニスタン人らと乱闘となった結果、心不全
で死亡した。AfDは、ケーテンで「弔いの行進」を開催、これには550人が
参加した。

ケーテンとは異なり、ケムニッツでは、極右のフーリガンたちの激しい
暴行が起きた。ケムニッツでは、市民祭りで、35歳の男性が刺し殺された。
容疑者と見られていた22歳のイラク人男性は、すでに釈放された。

これまでの捜査の結果、この男性の人身保護の点でも、通常の事情聴取の
点でも、この男性に対する緊急の容疑はもはやかけられないと、
警察は発表した。第二の容疑者に対する逮捕状はもちろん出たままである。
この男性に対しては、殺害の共犯の容疑が固まったという。多数の
目撃者が、この男性を凶器のナイフを持っていた中の一人と証言した、
という。イラク出身と言われる第3の犯罪関与者は緊急国際手配中である
という。

ケムニッツにもAfDはいた。ここ何年もAfDの代表者たちと極右の者たち
との接触について複数の報道がされ続けている。連邦憲法擁護庁は、この
政党を全体的に監視することを当然ながら拒否してきた。この役所は
たった二党の青少年団組織を監視しているだけだ。このことが、多数の
政治家の激しい批判に晒される結果となっている。

マーセンの辞任要求は、すでに繰り返しなされてきた。がこれまでは
何の結果ももたらさなかった。毎日の政治への彼の介入、および、
ケムニッツで「人間狩り」があったことを示すビデオの信憑性に
対して示された彼の疑義は、しかしながら、メルケルが決断する際、
ことわざ通り、樽を溢れさせる一滴に、すなわち、
我慢ならないものとなったはずだ。SPD(社会民主党)の首脳部では、
週末にはすでに、マーセンが辞職しなければならないことは確実視されて
いた。「彼は辞めるだろう」とSPD代表アンドレア・ナーレスは予告
していた。内務大臣ホルスト・ゼーホーファーは沈黙していた。


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このような詳細な記事が出た後、マーセンは、連邦憲法擁護庁長官は
解任されたものの、内務省次官の地位に就くことがわかった。
この内務省次官の権力は、連邦憲法擁護庁長官の権力よりも大きい
とのことだ。

ドイツはどこへ行くのだろうか。


(追記)

フランクフルターアルゲマイネ9月24日付け記事によれば、結局
SPD ナーレス党首の強い意向があり、マーセンは内務省次官ではなく、
内務大臣特別顧問に就任することになった、と発表された。
内務次官であれば昇給も(€3,000)あったということだが、
特別顧問では昇給はない、ということである。
なお仕事としては、ヨーロッパ及び国際的な業務にあたる。
例えば、入国を拒否された亡命者の本国送還に関する国際的協定、
ヨーロッパ全体の社会福祉政策およびアフリカ諸国との連携と
いうことである。

同紙は、結局この一件はメルケル政権がレームダックと化しつつある
ことを明らかにしたという方向で報道している。

私としては、権力とAfD、極右との関係がどうなっていくのか、
気になってならない。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 11:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケムニッツ関連2ー ハンス・ゲオルク・マーセン
論争含みで長官をスタート

当時マーセンは、内務部局の外国人法課長の職に就いていた。アメリカの
グアンタナモ刑務所に拘留され、拷問を受けながら、クルナーツは、
ドイツへの帰国を待っていた。ブレーメン生まれのクルナーツは、
パキスタンで空港へ向かう路上の定期的なコントロールで逮捕され、
その後身代金目的で、アメリカ当局に引き渡されたのだった。

ドイツ連邦政府は、このドイツ生まれのトルコ人の解放のために
尽力すべきではない、という見解をリードしたのがマーセンだった。
彼は、法的文書を作成し、これを、赤緑連立政権は、クルナーツの
再入国を拒否する根拠とした。クルナーツは、ほぼ5年間、アメリカの
収容所で拘留され続けたのだった。

2007年、BND(連邦情報局)委員会開催を前にして、マーセンは
以下の決定の正当性を証明しなければならなかった。すなわち、
クルナーツのビザは、6ヶ月以上外国に滞在し自分のビザの延長を
申告しなかったために、法によって無効であるという決定である。
この決定に際して、外国での滞在が自由意志によるものか、そうでないか
は重要ではない、とされた。ブレーメンの行政裁判所は、全く異なる
見方をした。すなわち、クルナーツは2006年の8月にやっと解放
されたと判断したのである。アンゲラ・メルケルがアメリカ合衆国への
公式訪問の際に、個人的に彼の解放のために尽力したのだった。

ジャーナリズム報道に圧力をかけようとした

2012年長官の職に就いて以降、マーセンがスキャンダルに巻き込ま
れなかった年はない。2013年、『南ドイツ新聞』がある報道を
行った。それによると、連邦憲法擁護庁が、マーセンの指示のもと、
定期的に、機密データをアメリカ合衆国の最大の秘密情報機関である
NSA(国家安全保障局)へ伝えていたというのである。内部告発者の
エドワード・スノーデンが、アメリカの秘密情報機関のITスペシャリスト
として12年間勤務した後に、このことを暴露するドキュメントを発表
したのだった。

さらに、ドイツの秘密情報機関がアメリカの"XKeyscore"という名称の
スパイソフトウェアを使用していたことも明らかになった。
このプログラムを使えば、インターネットユーザーの接続データを把握
できるし、分析もできる。この暴露に関し、連邦憲法擁護庁は
とりあへず沈黙したが、しばらくたってからソフトウェアのテストを
したことだけは認めた。これを使い続ければ、マーセンは、
収集した全データをアメリカの秘密情報機関に引き渡さなければ
ならなかったのである。このソフトウェアによって、アメリカのNSAは
毎年総計5億件のデータベースレコードにアクセスしていた。

NSA事件は、XKeyscoreプロジェクトグループのリーダーが、
連邦憲法擁護庁において、このシステムはIT保証がなければ投入されない
ことを明らかにした2016年まで長引いた。「我々はこのシステム
がインターネットに接続された場合、どうなるかは分からない。」
"netzpolitik.org"にはこのように、リーダーの言葉が引用されている。
マーセンは、当時この記事に食ってかかった。

マーセンがこの情報プラットフォームと衝突したのは、この時一度だけでは
なかった。すでに2015年に、この連邦憲法擁護庁長官は、連邦検事総長
ハラルド・ランゲの力を借りて、表向きは国家反逆罪という名目で、
"netzpolitik.org"の二人のブロガーに対し法的措置を執った。この
"netzpolitik.org"で一つの機密ドキュメントが公表されたからで、
そこから明らかになったのは、連邦憲法擁護庁では「大量データ取得」
のために、ほぼ300万ユーロが自由に使えるようになっているという
ことだった。

以前からマーセンは、役所の職員のどんなミスもスキャンダルに
しないよう警告していた。実際のスキャンダルが全く気づかれなくなった
結果、「機密と証拠資料」がメディアに届くのは連邦議会に提出された
後だった。マーセンは起訴することで、二重スパイが誰なのかを
突き止めようと、躍起になっていたと言われている。

レナーテ・キュナスト(元緑の党党首)や、クリスティアン・リントナー
(現自由民主党党首)を含む多数の政治家が当時からすでにマーセンの
辞任を要求していた。キュナストはマーセンについて、「民主主義原則を
妨害する人間」であるとさえ述べていた。二人のブロガーに対する
マーセンの訴訟は失敗し、連邦検事総長であったランゲは辞職に
追い込まれた。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケムニッツ関連1−ハンス・ゲオルク・マーセン
その後、19日になって、8月26日未明にケムニッツで起きた殺人事件の
容疑者の一人、22歳のイラク人男性が、目撃者もなく、凶器のDNA鑑定
からも全く事件に関与していなかったとして、釈放されたという報道が
あった。さらに、別の容疑者が一人、容疑者として追われていると
いうことである。

この殺人事件が、極右の人々によって悪用されて、扇動的なデモや暴動に
つながったわけだが、19日付けの SZ Sueddeutsche Zeitung
『南ドイツ新聞』によれば、連邦議会で第3政党となったAfDの幹部らは、
AfDが、例えばフーリガンの Kaotic Chemnitz などの極右団体と
混同されることを嫌がり、今度デモをする際の注意点などを、AfD組織に
通達したようである。

また、ドイツ国内の極右団体がこのころ、ケムニッツに集結していたという
文章も読んだ。極右的な動きとザクセン、そしてケムニッツ(ドレスデンも)
との関係から目が離せない状況が続いている。

この状況に関連し、連邦政府に問題が生じた。
連邦憲法擁護庁の長官である、ハンス・ゲオルク・マーセンが、
ケムニッツで撮られた動画に疑義を表明したこと、それを内務大臣の
ゼーホーファーが容認したことである。
連立政権からは、マーセンの解任を求める声がやまず、メルケル政権
は18日、マーセンを解任したものの、内務省次官に任命する人事を
発表した。記事によると、給料も上がるということだ。

連立政権から、さらなる非難が起こっているようである。

以下、フランクフルター・アルゲマイネの18日13時57分発表の
レベッカ・ロライ氏の記事から。


http://www.faz.net/aktuell/politik/inland/hans-georg-maassens-umstrittene-entscheidungen-im-ueberblick-15793951.html?GEPC=s2


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スキャンダルが無い年はなかった

今日、ハンス・ゲオルク・マーセンが連邦憲法擁護庁長官を解任される
という。マーセンにたいする批判はケムニッツでの事件の後、ずっと
続いてきたのだ。しかし、これは単に彼に対する最も熟慮の欠けた、
かつ問題含みの決定であると言うしかない。振り返ってみる。

2012年8月1日、ハンス・ゲオルク・マーセンが連邦憲法擁護庁の長官の
職に就いたときから始めなければならない。当時、彼はこう告げた。
「憲法擁護庁の失われた信頼を再び回復するつもりである」と。
なぜか?なぜなら、12年間この職にあった彼の前任者である
ハインツ・フロムがその信頼を失わせたからである。

2011年、3人の右翼のテロリストたちが9人の移民と一人の警官を殺害して
いたことが明らかにされた。(NSU事件)連邦憲法擁護庁はこの事実を
何も知らず、対処することとなった。この直後、役所の一人の職員が
重要な公文書をシュレッダーにかけてしまった。それは、このNSU事件
(国家社会主義地下組織)についての諸官庁の失敗が相当深く解明される
ことになるだろうと言われていたものだった。世間の懐疑は最高潮に
達した。


扱いが難しい遺産を、マーセンは引き継いだ。彼自身、長官の仕事に就く
前からすでに一つの論争と格闘しなければならなかったことは、長官と
いう仕事のスタートを一層困難にした。2002年、マーセンは、
連邦内務大臣オットー・シリーのもとで、ムラート・クルナーツ事件を
担当することとなったのである。


| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 20:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
9月3日 ケムニッツで − Wir sind mehr.
その後、8月27日の午後から夜にかけて、マルクス記念像前を中心に、
AfD や、Pegidaの呼びかけで、極右とそれに加担する5000人の人々が
集まってきた。
大通りを挟んでその反対側には、カウンターの人々も集まって対峙した。
警察は600人で両側が衝突するのを抑えたという。
また、9月1日にも、AfDの政治家や Pegida の人々が、列をなして、
ケムニッツの大通りを行進した。
これらは、 Chemnitz Ausschreitungenで検索すれば、youtube 動画を
かなりの数、見ることができる。

"Wir sind das Volk."「我々こそが人民だ」
これは、東西統一時の合い言葉であり、Pegidaをはじめ極右の人々は
この言葉をしばしば叫ぶ。

"Wir sind mehr."「我々はそれ以上だ」
9月3日、この合い言葉をもとに、右翼および極右の人々に対し、
すなわち憎しみの暴動に対し、カウンターの人々のコンサートが開催され、
ケムニッツ市民だけでなく、ドイツ各都市から、外国からも人々は
集まってきて、約65,000人が参加した、という。
コンサートを納めた4時間を超える動画が100万回以上再生されている
ので、是非 youtube で Wir sind mehr. で検索して欲しい。




『南ドイツ新聞』web版から

そこでは、コンサートの開始に当たって、女性がこのように語っている。

Wir geben keinen Platz fuer Rassismus.「私たちは、レイシズム(人種差別主義)にはいかなる場所も与えない。」

人々はこのように叫んでいる。
Nazis raus !「ナチは、出て行け!」


以下の url は、Sueddeutsche Zeitung 『南ドイツ新聞』が公開している
その時の画像である。掲げているプラカードには、

Toleranz ist supi cool ! 寛容がめちゃめちゃかっこいい。

DEN NAZIS ENTGEGENSTELLEN ナチズムに立ち向かおう

RASSISMUS ist keine Meinung, sondern ein VERBRECHEN
レイシズムは意見などではなく、破壊にすぎない。

LIEBER SOLIDARISCH ALS SOLIDE ARISCH !
お堅いアーリア人でなく、愛ある連帯を。

AUF LINKS BUEGELN!
(ナチズムではなく)左側にアイロンをかけよう!

https://www.sueddeutsche.de/politik/konzert-in-chemnitz-mit-rap-rock-und-sahne-gegen-rechts-1.4115766


それはそうと、コンサートが終わった後の広場のゴミが気になったよ。


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その後、ザクセン・アンハルト州のケーテンでも、22歳のドイツ人男性が
亡くなりデモが行われたことはメモした。極右の人々、それに加担する
人々が破壊しようとしている民主主義。虹色の旗を掲げ、カウンターの人々
が必死に守ろうとしている民主主義。

どちらにも言い分はあるだろう。
けれど、いくつかの動画を見ていて、レポーターがインタビューしたとき、
カウンターの人々は拒否することなく答えるのに対し、極右の人々は
無視するか、激しく撮影を拒むか、"Luegen Presse"「嘘つきメディア」
と叫ぶか、"Weg!" 「失せろ!」だった。時には、カメラマンは倒され、
カメラは空を写した。
そして、AfDの参加者は言ったのである。

第一に言いたいことは、"Merkel, weg !" 「メルケルよ、失せろ!」

極右の人々に加担している人々は歴史を思い起こして欲しい。
Hitler のように AfD も Pegida も、この状況を利用しているにすぎず、
こんなことをしていたら、自分が帰属する社会を自分で壊してしまう危険が
すぐそこにあることを。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 08:35 | - | - |
ケムニッツで - 3
Sueddeutsche Zeitung 『南ドイツ新聞』デジタル版
14時26分発表の記事から。

https://www.sueddeutsche.de/politik/eil-zwei-haftbefehle-nach-tod-eines-mannes-in-chemnitz-beantragt-1.4106202?

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何が起こったのか?

日曜の未明、ケムニッツの市民祭りで争いが起こり、死者1名とけが人は
2名。ナイフによる刺殺で犯行の時刻は3時15分ごろ。35歳の男は病院で死亡。
けが人は33歳と38歳の男でともに重傷。3人すべてドイツ市民。

逮捕された22歳と23歳の男の国籍について、警察は当初明らかにしようと
しなかった。彼らがこの事件に関わっているかどうかがはっきりして
いなかったためである。27日月曜、検察は二人の容疑者に対し2件の
逮捕状を請求したと発表した。23歳の男はシリア人、22歳の男はイラク人
である。彼らが、争いの後、ナイフで35歳のドイツ人を数回にわたって
刺した嫌疑は濃厚とみられている。凶器であるナイフは、Freien Presse
の情報によると、日曜に ブリュッケン通り(Brueckenstrasse)
の市民祭りの舞台上で発見された。

男たちの争いの前に(性的?)嫌がらせがあったという憶測に対しては、
警察は否定。2人目の犠牲者が出たというSNS上で広まっている噂も
ツイッターできっぱりと否定。


その後どうなったのか?

ザクセンAfD(ドイツのための選択肢)が26日日曜に、犠牲者を悼む
デモを呼びかけた。この呼びかけに答えて約100人が妨害行為はなく
集まってきた。SNS上で、ケムニッツの中心街に集まるよう、さらに
呼びかけが行われた。

ケムニッツの Freie Presse が伝えるところによれば、
状況がエスカレートしたのは、極右の、暴力もためらわないサッカーファンが
SNS上で、マルクス記念像に集まるよう呼びかけた後の、午後4時30分ころの
集会でのことだった。
市当局が暴動を恐れたことは明らかで、この状況から、中心街で
開催中の市民祭りの中断という結果になった。開催者側は
中断の理由として犠牲者を悼むためとしたが、明らかに
祭りの参加者をパニックに陥らせないためだった。そのころ
マルクス記念像には約800人が集まっていた。

激しい暴行があったし、警察との衝突もあった。ケムニッツの警察幹部が
語ったところによると、警察に向かって複数の瓶が投げられた。さらに
通行人が攻撃された。ある動画では、一人の男が二人の若い男たちに
対し、「Kanaken」 と罵り、「おまえたちは歓迎なんかされてないぞ」
と追いかけ、つかみかかろうとするのを見ることができる。
また別の動画では、かなり大きいグループが商店街を練り歩いて、
繰り返し"Wir sind das Volk" 「我々が人民だ」(東西統一時の合い言葉)
を叫んでいるのを見ることができる。


この暴動の首謀者はどのグループか?

最初の呼びかけを行ったのは、ザクセンAfDである。2番目の呼びかけは、
Freien Presse によると、極右のフーリガングループ "Kaotic Chemnitz"
である。連邦憲法擁護庁は、"Kaotic Chemnitz"を極右組織と分類している。


警察はどのように行動したか?

明らかなのは、警察はデモ参加者の数に驚いたということである。デモの
最初は、少数の動員のみだったが、ドレスデンとライプツィヒから応援の
動員があった。デモの参加者は、警察の命令に従わず、協力の姿勢も
見せなかった。夜になって、デモはゆっくりと解散していった。その後、
多数の届け出がなされた、特に傷害と脅迫。月曜に向かって、状況は
落ち着いていった。


政治はどのように反応したか?

連邦政府はケムニッツの事件を厳しく非難した。彼らがやったことは
"Hetzjagden"「追い立て猟」であり、"Selbstjustiz"「私的制裁」は
言語道断である、と政府のスポークスマンであるザイベルトは語った。
ケムニッツ市長バーバラ・ルートヴィヒ(SPD)は、「このような蛮行を
行う者は、この法治国家から出て行くように」と語った。

ザクセンのSPD代表マルティン・ドゥーリッヒは、私的制裁と風評操作を
非難。ザクセン州首相代行でもある彼は、ケムニッツ市民祭りで起こった
犯行に関しては「事件のすべての概要が、いかなる偏見も憶測もなく
解明されなくてはならない」と述べた。27日月曜の午後になってようやく、
州首相クレッチマーが「極右主義者たちがネットで世論を操作し、
暴力を呼びかけたことは、忌まわしいことである」、さらに
「警察と司法当局は、日曜のこの悲劇的な出来事の全容解明に全力で
当たっている」と、ツイ−トした。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 09:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケムニッツで−2の2
平和の祭典の後援者だけでは十分ではない

州政府の機能不全があまりに進んでしまっている。過去数十年、
ザクセン州政府は極右主義を過小評価してきだ。広範囲に及ぶ組織に
成長することを許してきた。それどころか、これらの組織に立ちはだかる
者たちを犯罪者とさえ見なしたのである。今日なお、ザクセンのCDU
(ドイツキリスト教民主同盟)を、古いメカニズムが支配している。
差別主義と極右主義をテーマとして扱う者は、ザクセンバッシングを
受けることになるというメカニズムだ。メディアはというと、なるほど
美しいザクセン州について、表向きいつもわずかばかりネガティブに
報告するにすぎない。このような態度が、司法にも、治安当局にも、
そして自治体にも潜り込んでしまっている。

醜い真実との誠実な対決は、政治的最高レベルでは、今日まで一度も
なされたことが無かった。CDUの州首相ミヒャエル・クレッチマーが
極右主義に対抗する平和の祭典の後援を引き受けるだけでは不十分だ。
フライタールのテログループのメンバーに厳しい禁固刑を下すだけでは
不十分なのだ。その結成に手を貸しさえしてきた極右主義の様々な組織が
依然として存在している限り。ケムニッツの若者たちの様々なシーンを
目の当たりにしていると、次のテログループがエルツ山脈で、
ザクセンスイスで、もう成長しつつあるのではないのか、という疑いが
起こってくる。

ザクセン州政府は、極右主義が脅威となっていることをもうそろそろ
認めなくてはならない。異なる皮膚の色を持つ人々への脅威であり、
社会の団結に対する脅威であることを。それは、あらゆる力を尽くして
戦わなければならない脅威だということを。しかし、州首相クレッチマーは、
暴行の後、極右主義者たちの不当な世論操縦だと断罪するに至るまでに
長く沈黙した。このことは、ザクセンにとっての恥辱というべきである。
| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 18:25 | - | - |
ケムニッツで−2の1
Sueddeutsche Zeitung 『南ドイツ新聞』デジタル版
8月27日12時41分発表の記事から


https://www.sueddeutsche.de/politik/meinung-am-mittag-sachsen-in-chemnitz-hat-der-staat-versagt-1.4106092?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

極右主義がザクセン州の脅威であることを、ザクセン自らが受け入れなくては
ならない時がきている。それなのに、ケムニッツでの事件に関して、州首相の
意見表明があまりに遅かった。

アントニー・リッチェル氏(ライプツィヒ)の署名入り記事

ザクセン州政府の長い沈黙が酷い

一人の男性が亡くなった。彼は、ケムニッツで開催された市民祭りで
生じた争いで亡くなった。正確な諸事情はまだ不明である。警察はこれまで
のところ、二人の容疑者に対し逮捕命令を発した。一人のシリア人と一人の
イラク人に対してである。ケムニッツのような町で、このことは
弔うに十分な理由であるし、祭りを中断し、花を犯行現場に手向けるに
十分な動機となるだろう。ケムニッツでも数人が日曜にそうした。しかし
すべての人々がしたのではない。

極右主義者たちは男性の死を、自分たちの目的のために悪用している。
このことはとっくに明々白々なことだったし、おそらく誰がその首謀者で
あるかも分かっていた。この町が日曜日に体験したことは、
葬送行進などではなかった。SNSで拡散された様々な画像は、
サッカーのブンデスリーガで危険なプレイを目の当たりにして起きる
暴動を思い起こさせた。800人の極右主義者たちが吠え立てながら、
通りを行進した。行進先にいて動揺した移民たちは、罵倒され、攻撃された
と目撃者たちが報告している。それらは、2015年の、あの不安を彷彿と
させる光景である。ザクセンのハイデナウで、200人のネオナチたちが
難民収容施設の前で暴れ回ったあのときのことである。

ハイデナウ、クラウズニッツ、フライタール。いずれもザクセンの土地を
挙げなければならないのだ。ザクセンのこれらの土地での暴行から3年が
経過した。当時の乱暴者たちがさらに過激化したこの3年で、ネットワーク化も
さらに進んだ。フーリガンたちにとっても同じだ。この3年で、明らかに
人々にはその場限りの叫び声が必要になり、そればかりでなく、
800人もの人々が憎悪のパレードに集まってくるようになった。

この3年間、警察はこのような状況に対処するよう過大な重荷を
背負わされ続けている。ハイデナウでは、当時、警察は、引き下がらずを
得ず、ネオナチに戦場を明け渡さざるを得なかった。ケムニッツでも、
警察は無力である。800人の極右主義者たちが市内を行進できたのである。
まるで町が彼らのものであるかのように。もっと酷いことが起きなかった
のは幸運だったにすぎない。州政府の機能不全について語ることは、従って
大げさでもなんでもない。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 16:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケムニッツで−1の3
警察は動機についての噂を否定

35歳のドイツ人がケムニッツの市民祭りで、多数の国籍の人々の
間に起きた争いがもとで、日曜の夜に死亡した。何が口論の原因となった
のか、はまだ明らかにされていない。警察は、女性が性的に襲われたのが
原因だというツイッター上の噂は否定した。その根拠は全くないという。

警察は、現場から立ち去っていた22歳と23歳の二人の男をすでに逮捕して
いる。国籍がどこかについての発表はなく、これら二人の男たちが、
この争いに巻き込まれていたのかどうか、もしそうならどのように
巻き込まれていたのか、精査されるという。検察と警察は殺人容疑で
捜査中である。

35歳の重傷の犠牲者は、病院で死亡した。さらに33歳と38歳の二人の
男たちが傷を負い同様に病院に搬送された。スポークスマンによれば、
すでに日曜に数人の証人に対し尋問が行われたということである。
捜査上という理由で、これ以上の情報を警察は明らかにしようとしない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なお、今日9月10日付けの Sueddeutsche Zeitung デジタル版が
ザクセン・アンハルト州のケーテンでも、22歳のドイツ人男性が
亡くなり、二人のアフガニスタン出身者に逮捕命令が出たことを
報じている。





| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 13:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケムニッツで−1の2
メディア(MDR)が伝えるところによると、その場の雰囲気は熱気を帯びて
いた。移民たちを脅し、攻撃するものだったという。

「あるグループは、市の中心部の公園を走り回り、
"Kanakenklatschen"(Kanake=南方出身の外国人に対する侮蔑表現、
klatschen=平手打ちを食らわせる)と叫んでいた。
その後、ある移民たちのグループが襲われた。一人の若い男が、その場に
倒れ、殴られ、蹴られた。警察の報告では、さらなる暴動を防いだことに
なってはいるが。

ツイッターで出回っている動画を見ると、男たちのグループが、大通りで、
外国の出身であるとはっきり見て取れる数人の若者たちを襲っているのが
わかる。失せろとか、おまえたちは歓迎されてない、という叫び声が聞こえる。画像の右端に突然一人の男が現れて、若者たちの一人を追いかけている。これは明らかに路上の狩りだ。」

ケムニッツ市は、安全を考慮して、早々に市民祭りを中止した。警察に
よれば、現在4件の告発がなされているという。2件は傷害事件であり、
1件は脅迫事件であり、もう1件は公務執行妨害である。

「この日曜の数時間にここで起こったことをもし私が目撃していたら、
驚愕しただろう」と、MDRに対し、ケムニッツ市長の
バーバラ・ルートヴィヒは語っている。
「集まってきて、市民祭りを中断させ、町を走り回り、人々を脅して
歩く、そんなことが可能で、そんなことを人々が示し合わせてやった、
酷いことだ。」

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 12:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケムニッツで−1の1
私事都合でほぼ2週間ネットから離れていた間の8月26日日曜日、
ここ数年に渡って、3度訪問していたドイツのザクセン州の小都市ケムニッツで
事件が起こった。

その後、2週間が経過している今、ネットをいろいろ検索して、主に SZ、 
すなわち Sueddeutsche Zeitung 『南ドイツ新聞』デジタル版から
いくつか情報を得たので、まとめておこうと思う。

昨年の総選挙で、極右の政党である AfD(ドイツのための選択肢)が第3政党
にまで成長し、不気味さを感じ続けていた。ケムニッツを訪れる度に、
言葉で、態度で、視線で差別を受け続けてきた。この町で事件が起こり、
その結果、どんどん動きが悪くも、また良い方向でも拡大していっている
現実に、舞台がケムニッツであることに、「やっぱり」という思いを隠せない。

時系列を整理するのが難しいので、ほぼ直訳しておく。

南ドイツ新聞での最初の報道は、8月27日午前6時12分である。

https://www.sueddeutsche.de/politik/nach-toedlicher-messerattacke-rechte-ziehen-durch-chemnitz-1.4106033?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

右翼主義者たちがケムニッツを行進− 移民たちへの不当な暴力

警察の発表によれば、26日日曜日の夜、ケムニッツの中心街を、
約800人の右翼主義者たちが行進した。

35歳の男性の死という、様々に異なる国籍の人々の間で生じた争いが、
結果的に不幸な結果を生んだことが背景にある。

検察と警察は殺人容疑で犯人を捜査中である。

ケムニッツのスポークスマンは、日曜の出来事については、分析が必要だ、
と語っており、警察のスポークスマンは、市内への警察の動員が強化された
こともあり、行進は静かに行われた。夜に特別な出来事はなかった、と
語っている。

警察によると、26日の日曜日に、中心街に集まるように、
インターネットで多数呼びかけが行われた。まず、午後3時ころに
100人が集まってきた。彼らは妨害行為をすることもなく集まってきた。
AfDへ賛同する声をあげていた。午後4時30分ごろ、別のグループがこれに
加わった。MDR(中央ドイツ放送)の発表によると、このグループには、
ケムニッツの極右のサッカー統一団体 Ultra-Fussballvereinigung Kaotic Chemnitz が加わっていた。警察によると、この時、叫ぶ人々の数は
すでに800人になっていた。

担当者の話によると「人々のグループは警察の呼びかけに答えることも
なく、協力の姿勢を見せることもなかった。」グループは突然動き出した。
警察は最初は少ない動員でこれに対処していたが、その後、ドレスデンと
ライプツィヒからの応援の動員で対処できたという。集会は、この夜は
流れ解散していった、という。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 10:41 | comments(0) | trackbacks(0) |

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