Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
Charles Mingus と彼の音楽
今年の Proms をyoutubeで見て以来、管楽器とジャズと Charles Mingus
をずっと聴き続けている。

Mingusの言葉に、こんな言葉があるらしい。

I'm going to keep on finding out

what kind of man I am through

my music, That's the one place

I can be free.


いったい俺はどんな人間なのか、

自分の音楽を通してずっと

探り続けている。 音楽こそ、

俺が自由になれるたった1つの場所。



奴隷制が存在した国に生まれ、公民権運動の最中、
リトルロック高校事件に際して、
自分の音楽で抵抗した Mingus。

" Fables of Faubus " 日本語に訳すと「フォーバス州知事の寓話」
という意味だけれど、英語で書くと、まるで語呂合わせだ。
きっと、極度にレイシストなアーカンソー州知事を揶揄しているのだろう。

今年の Proms で、ジャズ・オーケストラの楽団員が、トランペットと
バス・クラリネットのソロに合わせて、「う〜あ〜う〜あ〜」とハモるのを
面白おかしく聞いていた無知の私は、この少し楽しく、耳に残る、
Mingus の音楽が、リトルロック高校事件に際して作られたと知った時、
本当に無知を思い知らされたのだった。Mingus の音楽は、
いつも何かを言いたくて仕方がない様子だったが、あっ、
そういうことだったのか。


彼自身の肉声が残っていた。

"(I am a) half blackman, half yellow ."

「半分ブラックで、半分イエロー(な俺)」

作家で友人でもあった Janet Coleman は語っている。

「彼は本当は自伝 "Beneath the Underdog" 『敗け犬の下で』には、

別のタイトルをつけたかった。

白人が許さないタイトル。それは、

Half yellow shit colour nigger よ。」



| Till*eulenspiegel | 人 - Menschen | 20:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
カトマンズへ - あるドイツ人女性のこと
この半年間何度も思い出していた、今年3月にドイツを訪れた時のエピソードを一つ記録しておこうと思う。

3月11日をドレスデンで過ごした後、翌日の早朝のフライトでフランクフルトを経由して関空へ帰ることになっていたから、ドレスデンのアルトシュタットにあるホテルを出たのが、5時前ころだった。タクシーを呼んでもらって、早朝のドレスデン駅に到着。

空港駅行きの電車の発車時刻まで時間があって、この朝のあまりの寒さに、エレベーターでなかなかホームに上がれず、下で待っていた。人間は私一人と、他に掃除人と駅のパン屋に荷物を運ぶ人、それだけ。寒くて心細い時間が過ぎていった。

ようやく電車がきたが、客は本当に少なく、コントロールもなかった。30分程乗って、ドレスデン空港駅に到着。こじんまりとした、親しみやすい、愛着も湧いている空港で、ほっと一息ついた。

空港には乗客がそこそこいて、皆かなりの早朝のフライトだから、眠気を抑えながらという感じだった。いろいろな国からの乗客がいたように思う。チェックインが済んで、地方空港からの小さな飛行機(左3列、右3列)にようやく座って、いよいよだな、と目をつぶってこの10日間の滞在を振り返っていただろうか。そして、今日これからの、けっこう厳しい帰路のことを考えていただろうか。

蛇足だが、ザクセン州都ドレスデンがどれ程地方かは、フランクフルトからトランジットを経験すればよく解る。なにしろ、国際空港から乗り換えるためには、端っこの端っこまで、もうこれ以上端っこの搭乗口はない、というところまで歩かないと、ドレスデン空港への飛行機には乗れない。

帰りはその逆をたどるわけである。

年齢とともに、いつでもトイレに行けるように、座席はいつも通路側を予約している。まだ離陸しない内で、ふと目を開けると視線を感じた。

それは同列の一番窓側の席に座っていた若いドイツ人女性だった。
私とその女性との間の席は空席だった。

愛想よく"Hallo!" と声をかけて、また目を閉じた。昨日訪れたSchlachthof 5 のことなど思い出していた。ふと目を開けるとまた視線を感じた。

あの若い女性が私を見ているのだ。しかもにこにこと。
こちらもにこにこと返して、結局会話することになった。

金髪を顎くらいの長さまで伸ばしていて、化粧気はなく、肌は抜けるように白く、頬が今珍しいほどポッと赤らんでいた。服装は山登り風の軽快さ。ザクセン方言はなく、とても聞き取りやすかった。

会話内容は、彼女のパートナーの叔父が日本人であること。なるほど、だから私にシンパシーを感じていたのだ。そして、彼女の行き先は、カトマンズだということだった。

何をしにカトマンズへ?

子供たちと遊ぶためです。

あっとういう間にフランクフルトに到着し、互いによい旅を言い合ってさよならし、フランクフルトの空港で友人と会う約束のあった私は、待ち合わせを場所を捜してあちこち広い空港内を歩きまわって私は、またふと視線を感じた。

彼女だった。

彼女はたまたま私の行く先にいたのかしら。それとも、私をつけてきたのかしら。だとしたら、なぜ?心配で??

どうやら心配でだったらしい。フランクフルト空港では、チェックインした後、空港内の喫茶店に行くには少し工夫が必要なのだ。私も係員に説明したのだが、埒があかず、幸い、私を心配してついてきてくれた彼女の口添えで、無事チェックインしたまま友人に会うことができたのである。

大きな大きなリュックザックを背負ってずっとついてきてくれた彼女のことを今も何度も思い出す。

彼女ならカトマンズで子供たちと楽しく遊ぶことができただろうな。その後、無事ザクセンに帰っただろうな。今はどうしているかな。

| Till*eulenspiegel | 人 - Menschen | 20:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
水木しげるの生涯のテーマ
フランクフルター・アルゲマイネ アーカイブから
2015年12月2日付け

良い妖怪は平和な時代にしか現れない

生涯のテーマは戦争:日本の漫画家 水木しげる氏の訃報に接して

武良茂は、あらゆる幻想を失い、かろうじて片腕だけは残って、第2次世界大戦から帰ってきた。ビスマルク諸島での出撃の時、1922年大阪生れのこの日本人は、二重の地獄を体験した。一つは、上官によるいじめであり、もう一つは、アメリカ軍による容赦無い爆撃である。学業後、すぐに召集され、障害を持つ身となったこの男は、日本の再軍備に対する徹底的な敵となったし、天皇裕仁が在位し続けることが象徴でもあった政治的連続性に対する批判者ともなった。彼の最も野心的な作品のタイトルは、嘲笑うかのように、ただあの元号のみだ。すなわち、1926年に裕仁がその元号とともに帝位につき、彼が在位し続けたが故に60年以上も続いた年月の名、輝かしい平和のエポック、Showaである。

武良が漫画家として名乗った、水木しげるは、この時代と決して仲直りしなかった。漫画 Showa は、彼自身60代の半ばにさしかかるころ、裕仁の死の直後に描き始めたもので、2000ページにもおよぶ物語であるにもかかわらず、二年後には完成していたという作品だ。この作品で、水木は1990年、日本の最高の漫画賞である、講談社漫画賞を受賞した。それは、片腕だけのこの漫画家にとって、どれ程困難に始まったものか、想像するに難くない彼の漫画家としてのキャリアへの王冠だった。傷痍軍人であるこの男は、1945年、まずは紙芝居絵師として、その障害を乗り越え、それと同時進行で漫画を描くことを覚えていった。1957年、最初の漫画、『ロケットマン』が出版された。これは、一見して、巨大な成功を収めることとなった、あの原子力を動力として空を飛ぶロボットの少年を描いた手塚治の『鉄腕アトム』を借用したことがわかる、というものだった。しかし、すぐに水木は彼自身のテーマである、妖怪に打ち込み始めた。妖怪とは、子供時代に物語によって知っていた、日本の精霊や悪霊のことである。1959年、彼は人間界と妖怪界の両界で行動する孤児の少年、鬼太郎を描いた漫画シリーズを描き始めた。この鬼太郎が、水木を日本のスターにしたのである。

水木は、ずっと彼を駆り立ててきたあのテーマを、今こそ漫画として描くために、この名声を使うことにした。1971年、ヒットラーの伝記を出版、1973年には、彼自身の戦争体験を描き語った。これは、Showa にも再録されたものだ。しかし、妖怪たちも、彼を離さなかった。1977年に日本で出版され、25年後フランスでも出版された『のんのんばあ』は、遅ればせながら彼に世界的な名声をもたらした。水木しげるはかつて、こう語った。妖怪たちは、平和な時代にだけ現れるんだ、と。さて、東京で、彼は93歳で亡くなった。恥ずかしいことに、彼の漫画のただの一冊もまだドイツ語で出版されていない。

アンドレアス・プラットハウス


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フランクフルター・アルゲマイネの Feuilleton 文芸欄に掲載された
記事を訳した。
そこには、2010年の水木しげる氏と鬼太郎&目玉おやじのフィギュア
が写ったカラー画像が掲載されている。

アンドレアス・プラットハウス氏は、これまで調べたところでは、過去に
『千と千尋の神隠し』についての記事を書いている。
そのドイツ語は、尊敬に満ち、感動しながら訳した。

訳文中の Showa は、『コミック昭和史』と日本語で呼ばれている作品
である。またビスマルク諸島とは、パプアニューギニア諸島のこと。
なお、Wikipediaによると、水木氏が戦地から引き上げたのは1946年で、
その後、紆余曲折を経て紙芝居絵師となったと思われ、Filmvorfuehrer は映画の前身者という意味なので、とりあへず紙芝居絵師と訳した。

大事な人を困難な時代に、また私たちは失ったけれど、この Showa を
読めば、彼に会えるわけです。



| Till*eulenspiegel | 人 - Menschen | 17:02 | comments(0) | trackbacks(0) |

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