Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 12
現在、政治に幻滅している者の数は増大しているように思われる。一方で、増え続ける棄権者セグメントに、再び見い出すことのできるポテンシャルがある。他方で、ソーシャルメディアや、時には、政治的アドホック・イニシアティブの中にも、憤慨を公的に表明するチャンスを掴もうとするポテンシャルがある。この、とりわけ「中道右派」に位置づけられるポテンシャルは(訳者注:ペギダのこと)、イデオロギーによって裏付られた運動、あるいは、カリスマ的な「民衆煽動者」によって、 常に政治的に活性化される可能性を孕んでいる。政治的空間で、かつ路上で、不安にかられた市民と、過激な勢力と、今のところはまだ、憤慨と、息を潜めて待機中の暴力の中でしか身動きのとれない例のフォロワーたちの間に、新しい信頼関係が作られるかもしれない。ドイツの民主主義は、本格的なストレステストの前に立っているように見える。


フォアレンダー氏の論考終わり。

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カッコ付きで書かれている  "Volkstribunen" は、(ローマの)「護民官」に当たるドイツ語だが、Tribun だけだと「煽動者」という訳語もある。本文ではこちらを採って、「民衆煽動者」と訳した。一応、「護民官」をWikipediaで調べてみた。簡単にまとめると、平民(民衆)の側に立った、圧倒的権力を持ったリーダー、ということだろうか。

Volkstribun:(ローマの)護民官、この官職は、平民(プレブス、プレプス)を保護する目的で創設された古代ローマの公職のこと。

ローマの拡大に伴い貴族(パトリキ)とプレブスの間の貧富の差が広がると、紀元前494年にプレブス達はモンテ・サクロ(聖山)に立て篭もり、自分達の政治的発言力の強化を求めた。聖山事件と呼ばれるこの事件において、プレブス側はそれまでのローマの政治体制を拒否し、立て篭もった山で自分達を中心とした新たな国家を樹立する動きまで見せた。プレブス側はトリブヌス・プレビス、直訳すると「プレブス身分のトリブヌス(三族の長)」と呼ばれる代表を選び、その元で結束し、彼らの身体を不可侵とすることを神に誓った。これに対して日本語では「護民官」の訳語が与えられている。平民国家の代表である護民官は、当時のパトリキ国家の代表である執政官(コンスル)と対応して2名が選ばれ、同様に民会に対応して、平民のみで構成された平民会が議決機関として設置された。

こうしたプレブス側の行動に対して、パトリキ側も妥協せざるを得ず、平民会を正規の民会として認めるのみならず、プレブス達が勝手に選出した護民官についても国家の官職とし、さらにプレブス達によって誓われていた護民官の神聖不可侵をも承認した。こうしてローマの既存国家体制に組み込まれた護民官は、プレブスの保護をその任務とし、そのための職権としてほとんどの決定に対する拒否権が与えられた。

Wikipedia より。


| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 11
このような自己確認の物語によって、ドレスデンの教養ある市民層の多数は、
--- 彼らはテルカンプの小説『塔』の中で、文学で永遠化された --- SEDドイツ社会主義統一党体制に対して、免疫を持つことができた。と同時に、DDR時代もずっと生き残ってきた、ノスタルジックな美化というコクーンの中へ閉じこもって繭を作り続けてきた。ドレスデン特有の保守主義はこのような振る舞いを食べて栄養としている。この保守主義は、自分たちの文化、伝統そしてアイデンティティを強調し、守ることにだけ義務付けられているようには見えない。この保守主義を味方につけて、推測にしかすぎない危険、あるいは、この「無傷な世界のノスタルジア」を脅かすものに、強力な防衛反射というべき運動体が悠然と立ち向かってゆく。グローバリゼーション、イスラムのテロ、そして膨大な移民・難民行動の、正しく現下の帰結は、正常さ、安定性そして安全性を保ったこの状態を脅かす、言い換えれば、過去数十年に及んだ、深刻な所得記録、社会経済、および人口統計の大変革の後に、ようやく再び到来したこの状態を脅かすものだと解釈される。

ペギダはザクセンを揺さぶり、ドレスデンを引き裂いた。長い間、共和国の成功の歴史によって覆い隠されてきた緊張と軋轢がはっきりと目に見えるようになった。ドレスデンの市民社会は、政治的関心を呼び覚まされ、静観主義や無力状態にとどまらないで、旗幟鮮明にするよう求められているように思われる。ペギダは「道化芝居」をはるかにしのぐものである。この運動は、ここ数年のうちに、移民社会におけるアイデンティティをめぐる政治的文化的軋轢と意味付けの戦いの前触れと意味づけられることになるかもしれない。ルサンチマン構造は、ペギダとは無関係に広く存在するだろうし、政治的に影響を及ぼし続けるだろう。

基本的に、民主主義的秩序にあって、ポピュリズムを充電した憤慨運動の役割というのは、矛盾を内蔵したものと評価される。憤慨運動というのは、民主主義の脅威とも、あるいは、民主主義の退化の兆候とも解釈される。なぜなら、憤慨運動は、民主主義的秩序への病的な関係にあるからである。しかしながら、この運動はまた、大衆の関与による民主主義の政治的約束を果たすための、民主主義への要請とも理解される。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 14:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 10
もし、誰かが、ドレスデンで、というよりむしろザクセンでペギダが生れ、持続していることについて、挙げられる局地的また地域的な特徴は何かと尋ねるなら、関連し合う政治的および文化的な二つの説明が思い浮かぶ。その1つは、ザクセンが強固な自意識と伝統意識という点で際立っているということである。政治的独自性を持つ長い歴史、芸術と(宮廷の)綺羅びやかな発展と技術の「発明の精神」が一体となった、いわゆるザクセンの「輝き」という伝統が、その特徴として挙げられる。これを土台にして、集団的自己中心性と強情、と表現される「地元民の団結」が栄えてきたのだ。この自己認識は、DDR時代にも守られ続けた。1990年以降の社会経済崩壊の困難な年月の間、例外なくCDUによって導かれてきた政府はこの規範を受け継ぐものだった。すなわち、我々は、東ドイツにおける経済的、社会的、そして文化的発展の先駆者となるべき誇り高き者たちだ、という規範である。

「外国人」、同じく「馴染みがない」と感じる政治的エリート、またメディアエリートに対する敵対的な考え方を集団で、しかも公の場で饒舌に言葉に載せる態勢がどうやらできていることも、とりわけ、大ぴらに大事に守られてきた民族文化的中道主義の証拠と解釈できる。「ザクセンの熱狂的国粋主義」は、自分たちのグループは過大評価し、外国人を過小評価し、現地人の特権を強烈に主張しながら、悠然と歩いてゆく。

メディア上で、ドレスデンが、あらゆるデモと呼ばれるデモを強く印象づける舞台となっているという事情を、軽く見過ごしてはならない。毎年2月13日になると、「アングロ・アメリカンの爆撃機部隊」によるこの「バロック」都市の破壊が、儀式のように、追憶の中に呼び覚まされてきたことは、ドレスデンを、ヨーロッパ中から結集したネオ・ナチたちが行進してゆく光景を映し出す舞台にさせてしまった。と同時に、ドレスデンの市民社会は、数十年以上にも渡って、常にドレスデンが自分には罪のない事情の犠牲者として描かれてきた自画像を大事に守り育ててきた。それによって、この都市のナチの過去は黙殺され、過去の都市計画の美しさや文化の輝きの再興というノスタルジックなヴィジョンが作り出されることになったのだった。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 19:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
2月20日 ザクセン州クラウズニッツ村
現在、ドイツのペギダはどうなっているかというと、2月6日に、大々的に呼びかけられて集会が行われたが、数千人しか集まらず、結局、失敗と言われるほどだった。しかし、運動は、いろいろな形で行われていると思われる。


たとへば、2月20日のフランクフルター・アルゲマイネの記事。

『クラウズニッツ村:警察は難民にも罪はあると見る』

http://www.faz.net/aktuell/politik/fluechtlingskrise/clausnitz-polizei-verteidigt-einsatz-von-zwang-gegen-fluechtlinge-14081286.html#GEPC;s2


「クラウズニッツ村の難民収容施設を目の前にして起こった騒動で、警察が複数(3人)の難民に激しく掴みかかった。警察は、当然のことと発表。」

クラウズニッツ村は、Pegida 運動が生まれたザクセン州のチェコとの国境に近いエルツ山脈の村。難民家族を乗せたバスが施設前に到着したところ、多数の人々(警察は、これらが村民ではなく、他の地域から来た、と分析している)が大声を挙げながらブロック、そこへ連邦警察官と、管轄するツヴィッカウの警察官30人が出動。

ケムニッツ署長ウーヴェ・ライスマン氏は、「今回の警察の出動は当然。無造作に直に強制したのも、難民をバスから施設へと移動させるための必然のもの。」と語ったという。しかし、動画があり、それを見ると、警察が少年と思われる難民の一人を、あたかも襲うように、バスからひきずりおろすように見える。

タイトルを訳しかねていて、様々に情報収集した結果、訂正した。全く反対の意味になってしまい、反省中。なお、「無造作に直に強制した」という部分は、昨日は単に「暴力」と訳していたのだが、警察署長のこの言葉は、各媒体で取り上げられており、慎重を期すべきと思い、訳し直した。


原文は、

Der Chemnitzer Polizeipräsident Uwe Reißmann sagte am Samstag bei drei Flüchtlingen sei der Einsatz von "einfachem unmittelbaren Zwang" notwendig gewesen.

Spiegel Online では、なぜレポーターがそこにいて、Videoを撮っていたのか、という疑問提起がなされている。また、facebook でこの時刻に15人の難民を乗せたバスが来ることも広まり、約100人のデモ参加者が集まっていた、ということだ。また、難民の少年が中指で抵抗を示し、警察を挑発した、という。

アメリカで警察官がアフリカ系アメリカ人の人々に対し暴力をふるっている。同様のことが、ドイツで、難民に対してないように、これ以上のことがないように、願うばかりだ。なお、その後のニュースでは、同じザクセン州のバウツェン村の難民収容施設の屋根が放火された、とも報じられている。もちろん、バスを取り囲んだ人々がペギダだと発表されたわけではない。

なお付け加えると、ブロックした人々が大声で叫んでいた言葉は、

Wir sind das Volk. (We are the people.) 我々が民衆だ。

1989年に平和革命を成し遂げた時に人々が口にした言葉。彼らが、難民を前にして、なぜこの言葉を叫ぶのか。実はこのスローガンは、現在ペギダのスローガンでもあると、Wikipedia には載っている。

参考までに。クラウズニッツ村騒動についての主な報道は以下の通り。

Spiegel Online

http://www.spiegel.de/politik/deutschland/clausnitz-und-die-attacke-auf-fluechtlinge-jetzt-will-es-keiner-gewesen-sein-a-1078492.html

Zeit Online   "Die Sächsische Illusion" 『ザクセンの幻想』

http://www.zeit.de/gesellschaft/zeitgeschehen/2016-02/sachsen-clausnitz-demokratie

これは記事ではなく、上記のタイトルを持つ、2月22日 Christian Bangel 氏の名前入論考。現時点で、1,156件のコメントが寄せられている。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 9
ドレスデン、というより、ザクセン州で、ペギダが特に成果を出したのはなぜなのかという問に対しては、繰り返し繰り返し、とりわけ顕著な反外国人と反イスラムに関する推察で、答えとされてきた。それは不思議なことではない。なぜなら、スピーチ担当者たちは、自分たちがイスラム教とイスラム教信者をひっくるめて拒否するということに、何の懐疑も持っていなかったからである。しかしながら、「イスラム教」、なかんずく、「イスラム化」というテーマが、さしあたり抵抗の中心的な動機ではなく、支持者動員の主要素でもないことが分かってきた。そればかりか、反イスラムに関して、デモ参加者たちは、全住民の平均的な思考規範と全く違っていなかったのである。

西ドイツでは、反イスラム的考え方は、多くの場合、日常の感覚によって刻み込まれている。ドレスデンのペギダの反イスラムというのは、始めはむしろ漠然とあっただけで、押し寄せる異文化の影響が過度に及ぶのではという抽象的な観念から噴出したものだった。イスラム教信者は、見知らぬ人、新参者、いわゆる、他者全体、の拒絶を映し出すスクリーン上で彼らを代表する者として使われたのだ。とにかく、危惧の念というものが、難民危機の様子を見て具体化していると思われるのである。ペギダの支持者たちは、彼らの認識では、自分たちは正しいと感じており、「我々がそのことをこれまで常に言ってきたんだ」というポーズで自らの行動の果実を収穫することができる。反抗的な「ザクセンが、どうなるか思い知らせる」という言葉は、舵取りのいない移住問題に対する単なる抵抗原則となっているだけではない。同時にそれは、誇るべき、特別な「ザクセン的展望」の表現と見なされているのである。

算出し確定された反外国人ペギダデモ参加者たちの規模は、これまでの長期研究で東ドイツに関し定期的に測られてきたレベルと合致した。実証結果はまた、ザクセンの州都(ドレスデン)とその周辺地域の住民が、その他の地域と同程度に反外国人的ではないことを示した。このため、一般的に東ザクセンが反外国人的行動の動機の理想的な温床である、という見方の論拠を示すことはできない。にもかかわらず、正にこのザクセンで、反外国人の暴力行為は激しく増加していった。間違いなく、ペギダは、ここで、政治文化の野蛮化に貢献してきたのだ。加えてザクセンは、長い年月、よく組織された、強固な極右的光景を温存してきているため、路上での、レトリックな開放と、物理的な開放との境界はぼやけさだかでなくなりつつある。


| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 18:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダ:ベルリン大司教の警告
フランクフルター・アルゲマイネに、次のような記事が掲載されました。

facebook でリンクと共に載せた記事

http://www.faz.net/aktuell/politik/inland/berliner-erzbischof-warnt-vor-entwicklungen-um-pegida-14070981.html#GEPC;s2


フランクフルター・アルゲマイネ 2月15日版

『ペギダ:ベルリン大司教があたかも「第三帝国」のようなペギダの運動の進展に対し警告』

「社会の空気が、まるで「第三帝国」の時のように進んでいる、とベルリンの大司教ハイナー・コッホ氏が語った。コッホ氏は、ペギダ支持者たちと、徹底して関わるよう求めた。--- ベルリンに赴任する前、ドレスデンの司教だったコッホ氏は、ドレスデンのペギダ支持者たちとの対話を模索していた。」


全文は以下の通り。太字はコッホ氏の言葉。


ベルリン大司教ハイナー・コッホ氏は、外国人排斥のペギダ運動について、あたかも、ナチ運動の進展のようだと警告した。

私は、「第三帝国」で起こった運動の広がりがまだ阻止可能だった時に、人々が反応するのが遅すぎた、あるいはまた、十分にそれに反応しなかったと、考えている。 

と、カトリックの司教は、「ドイツの編集者ネット」に対し語った。

ナチが再び起こってはならない。

コッホ氏は、ペギダ支持者たちとは徹底して関わることが必要だと求めた。

私たちが越えようとしない境界とはどこにあるのか、誤解の怖れのないように、疑問の余地のないように語る、慈悲に満ちた言葉があるはずだ。それは、一人一人の人間の尊厳を思った言葉、難民の尊厳をも思った言葉であるはずだ。

ベルリンの勤務先に足を踏み入れるに際し、これまでドレスデンの司教だったコッホ氏が語った。

当初、ザクセン州のプロテスタント司教とコッホ氏とは、ペギダの代表者たちとの対話を模索した。

しかし、2015年ムードが先鋭化した。相互理解という意味でのコミュニケーションはもはや不可能だった。

この社会で共同生活を営む中での、すべての人々に、いかなる傾向を持った急進者にも、彼らのスピーチと行動に対する限界を示すよう求められている、ということだろう。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 10:35 | - | - |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 8
従って、ペギダには、過去25年の間に生じはしたが、これまではほとんど可視化していなかった、東西の断絶も反映されているのである。実証結果では、確かに、東西のドイツ人の、政治的かつ文化的考えの様々な側面はほとんど違わない。これらの側面は、民主主義という理念のための一般的な一致点として重要な意味を持つ。しかし、この民主主義が果たして本当に上手く機能しているかどうなのか、という点で、両側の見解は常に異なっている。ペギダの参加者の中には、日々の民主主義への強い不満があるのだ。

1つには、彼らは、連邦ドイツの、メディアによって媒介されるディスカッション文化に慣れ親しみを感じず、政治的諸機関を「自分たちのもの」ではなく、「西側によってすっぽり被せられた見せかけの民主主義」の道具と感じてしまう。従って、この「システム」にのっとった代議士たちも、意思決定プロセスも、「固いかさぶたのようであり」、「眩惑するようであり」、あるいはまた「腐敗している」とも思えて、DDR 旧東ドイツへの漠然とした追憶を呼び覚ましてしまう。また1つには、もっと直接的な民主主義の到来が呼びかけられてもいる。すなわち、そこでは、「素朴な市民」が発言権を持ち、政治家たちは、無力で、従属的で、直々に釈明しなければならない「民衆の意志の雇われ者」として行動するというわけである。

このような「野卑な民主主義」(エルンスト・フレンケル)という立場は、政治的意見形成と意思決定プロセスの、複雑性も時間的徹底性も妥協の必要性も否定する。「純粋な」民衆意志の達成、すなわち直接性から生まれた住民投票という手法が、救済策を作り出すはずだ、というわけである。政治的プロセスは、「正しいか誤りか」、「原因と影響」、あるいは「問題と解決」という厳しい二者対立によって評価される。「分配しないものは解雇だ」、このようにペギダの支持者の一人は言う。民衆が代議士を解雇するというわけだ。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 17:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 7
同様に徹底的な変化が、体制側民主主義の諸機関に起こっている。これらの諸機関は、今日、メディアが何に注目するかに盛んに順応し、現下の展開に「リアルタイムで」答えるように努めなければならない。こうして、次のような1つの政治的状況が生まれている。関係者たちが互いに対して免疫状態になっているだけでなく、それ以上に互いに疎遠になっているという状況である。つまり、こちら側にいるのが、体制側政治で起こったことがらを、原則として拒絶するソーシャルメディアであり、他方、向こう側にいるのが、「インターネットコミュニティ」の中の混沌状況によってもそれ程強く影響を受けずに済んでいる政治である。このため政治は相変わらずある程度合理的で政治的な決断のプロセスが可能な状況にある、というわけである。

従って、ペギダは「目下機能中のエリートたちの民主主義」に対する抵抗と解釈できるだろう。言い換えれば、次のような政治的秩序に対する反対勢力と解釈できるだろう。つまり、経済的権力と、国家および政権を司る機能を操作するエリートたちが、政治的決断のグランドデザインを描くと同時に、市民たちが主張するものから、ないしは市民たちにとって依然として民主主義的かつ正統的なことと思われていることから遠ざかってしまっているということである。

市民と代議政治が信頼関係で互いに結ばれる基盤、つまり機能的な代議制システムが持つあの両側合同提議は、失われてしまっている。複雑化した、構造、諸機関および手続きからなる体制側代議制民主主義には、ほとんど見通すことのできない帰結が待つばかりという状態だ。

東ドイツでは、すでに一度、生活条件を後々まで尾を引くほど変えることになった、あの転換期の影響が、過去二十年以上にわたって残っているため、民主的システムのこのような変容の帰結が、一層強められているのである。1989年の平和革命の只中で、一部に、民主的決断到達プロセスを強力に単純化した考えが生まれ、一部ではまた、新しい自由民主主義的システムに対する当然の期待が生まれた。これらの期待は、社会的、および経済的奪取の経験という背景もあって、次第に、激しい政治的幻滅モデルをもたらすこととなった。さらにこれに、ドイツ全体の政治文化を、不完全に、一部には、理解できないままに取り入れたことの帰結が加わる。多くのペギダデモ参加者から見れば、この政治文化は、依然として、典型的に西ドイツの、追憶の場所であり、経験の地平線であり、また解釈のパラダイム(理論的枠組)に沿ったものと定義される。集団的な疎外感情、特に自身の生を意味付ける主権の喪失は、今日もなお、新たなオピニオンリーダーや政治エリートによって、文化およびコミュニケーションの没収と記述されているのである。ペギダにおいて、攻撃的な言葉で表現される、あのルサンチマンを充電したエリート排外主義こそが、ペギダという出来事なのだ。


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ペギダがドレスデンで起こったことは必然、東西ドイツの関係で起こるべくして起こったという、フォアレンダー氏の分析です。

Dr. ハンス・フォアレンダー氏の分析はまだまだ続きます。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 16:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 6
このように公に表現される憤慨の言葉は、グローバル化を批判する抵抗として生れ、シュテファン・ヘッセルのような知識階級によって、政治的にまた綱領的にも鼓舞されるなど、これまでは専ら、かつての左翼政治陣営のものと言われてきた。ペギダは世間の注目を惹くために、類似のメカニズムと象徴的な形式を踏襲したのだ。その際、ペギダの誕生の時も、頂点に達した時も、決定的な役割を果たしたのが、ソーシャルメディアだった。しかも、コミュニケーション(伝達)と組織化のヴァーチャル空間として。

しかし、ペギダが1つの運動になったのは、名だたる通りや広場を、要するにリアルな空間を、一般大衆に効き目があるように専有することを戦略とした瞬間だった。ペギダがそれを実行したから、参加者は増えたのだ。大衆運動としてのペギダのパフォーマンス的儀式、およびその式次第は一体だった。月曜日ごとに、集会と「夕べのお散歩」によって構成されているこの行事は、1つの儀式となったのだ。規則的に繰り返すことによって参加者には、同じ思いを持った人々の共同体に属しているのだ、という感情が生まれた。このような公の場で演出されることにのみ、無力感を克服し、コミュニカティブな力を獲得できる可能性が含まれていたのである。

この限りでは、ペギダは、代表民主制のシステム変更の反映と見ることもできる。一面では、民主主義のソーシャルインフラ(社会的経済基盤)の前進的解体と書き留めることもできる。政党、組合、常連客の集まる会合、諸団体は、政治的に結合し組織化し、さらに統合する性格を次第に失いつつある。恒常的な政治参加への態勢づくりも減少し、アドホック・イニシアティブ(その場その場の主導権)や、インターネット上の匿名のフォーラムコメントが、新しい活動形式になっている。今後、民主主義的な関与や参加の既成の方法は、空回りする状況が一段と差し迫っている。


| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 17:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 5
その後も、ドレスデンでは毎月曜にペギダのデモが続いている。

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反イスラム、イスラム敵視は、ペギダにとって、説明不十分なまま、
しかも不手際に実行された難民政策に対する憤慨を、個人の身近な領域
から、根本原理に移し替える、いわゆる「スパーク」だった。
反イスラムによって、戦場は整った。この戦場で、ありとあらゆる
幻滅や欲求不満が、「政治」や「政治家」あるいは「メディア」への
誹謗中傷として、公的に演じられることが可能となったのである。

だからと言って、この現象を単純に、既存の抵抗の研究、および運動
研究のカテゴリ−を用いて記述することはできない。既存の研究は、
伝統的に、時に、市民の不服従という言葉で表現される、とりわけ
「良い」抵抗運動に専ら寄与してきたのだ。「草の根運動」、
「社会運動」あるいは、「新社会運動」これらは、ペギダとは違う。
諸概念は、中身に関してすでに出来上がっていた。
特に、「進歩的」で「啓蒙的」および「開放的」と認められることを
志向する抵抗プロジェクトのために使われてきたからだ。そして、
この抵抗プロジェクトが、資本主義には批判的に振るまい、平和、
平等、環境政策の重心となってきたのだ。

ドイツのいくつもの大都市の通りや広場でペギダの名のもとで、
最初に姿を現した抵抗は、従って、必然的に市民社会の「暗黒の」
側面と見なさざるを得ない。特に、その批判が、不寛容、国家愛国主義、
そして外国人排斥という言葉を、公的に表現しているためだ。

さらに言えば、過剰な感情、対決的姿勢、ポーズ的な憤慨の見せ方、
権威のある場所・通りでコミュニケーション力を生み出そうとする
試みの成功、これらが、ペギダを新しいスタイルの抵抗運動に、
言い換えれば、右派ポピュリズム憤慨運動にしたと言える。

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2015年11月現在、ドイツでは、ペギダだけではなく、ベルリンでも、
『AfD-ドイツのための選択肢』のデモが行われた。しかし、
1938年11月9日から77回目の記念日 Reichspogromnacht
「帝国のポグロムの夜」を迎える9日にペギダデモをさせまいと、
数万人のネット署名活動が行われたり、実際に"Herz statt Hetze"
「扇動ではなく心を」の大規模な反ペギダデモも行われたという。

帝国のポグロムの夜、とは、ユダヤ人のシナゴーグ、商店などが放火され、
ユダヤ人に対する不当な迫害が始まった夜のこと。
ポグロムとは、ロシア語で迫害を意味する。
この日を水晶の夜と呼ぶのは、ナチが破壊した多くの商店の
ショーウィンドウのガラスの破片が散乱したことをシニカルに
命名したもの。しかし、この命名が、実際の迫害の真実を薄める表現
であるということで、この表現に代わるものとして、
Reichspogromnacht 帝国ポグロムの夜、と言うようになった、と次の
サイトに書かれている。

https://www.lpb-bw.de/reichspogromnacht.html

なお、このサイトをずっと下へ読み進むと、1938年の実際の動画がある。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 14:16 | - | - |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 4
ペギダ抵抗運動の成立段階では、多数の要因が作用し合ったと
考えられる。いわゆる「イスラム国」(IS) の暴力行為に関し、
強化された公式報道、また、ドイツの諸都市での民族的・宗教的に
動機づけられた衝突の数々、北部イラクのクルド人たちに武器を供給して
きたPKK(クルド労働者党)支持者たちが行ったドレスデンでのデモ、
さらに難民収容施設についての地方自治体の計画の公表である。
これらが1つに結晶した。そしてその周りにいくつかの反抗の動機が
堆積していったのだ。

1つは、すでに広まっていて、ドイツ中で確認できた反イスラム、
および反外国人ルサンチマンに結び付けられたこと。
もう1つは、感情をたっぷりと充電したこの触媒が、政治とメディア
のエリートたちに対する長期に渡って鬱積していたとみられる怒りを
解き放ったことだ。ここで言う感情とは、ペギダの場合、社会経済的な
原因によるのではなく、言ってみれば、経済的な不利を被ることへの
恐怖、社会的な没落への恐怖だった。支配していたのは、日常の体験
でほんの少ししか知らないイスラム教によって、伝統を喪失するの
ではないか、地方の、ひいては国家的なアイデンティティをも喪失するの
ではないか、という漠然とした不安だったのだ。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 21:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 3
この運動は、ドレスデンに端を発したものである。運動の担い手は、Facebook 上で結集が呼びかけられ、メディアでの反響が数を増やすことにもなったのだが、最初は友人や知人のサークルだった。
公開批判、注意深さ、「今がその時」というリアクション、これらが、25,000人もの参加者が集まるほど、この抵抗運動を膨張させた。

2014年から2015年への変わり目にこの運動が迎えた最盛期において、ドレスデンのペギダの大多数は、すぐに世間が推測したような反イスラム、また反外国人という極右主義者たちの運動ではなかったのである。集会や「夜のお散歩」の参加者の約3分の1はあちらこちらでイスラムフォビアの動機また立場を示していたものの、多数は、政治・メディア、そして実践的な民主主義の機能方法への根本的な批判をしていたのである。

ペギダは、最初はザクセン市民の中間層とその脆いセグメントをも構成員としていた。社会人口統計学上の構成体という点で、目を惹いたのは、自営業者と被雇用者の参加率が比較的高かったことで、ザクセンの所得構造に関して言えば、この人達は単純に平均以上の裕福な人達だった。主催者たちの伝記的な背景は、多方面に渡っており、変則的かつ、困難な職業生活にあることをうかがわせた。

ドレスデンのペギダは分裂後の、2015年の2月以降は、2000〜3000人がせいぜいで、それ以上の動員はできなかった。2015年6月のドレスデン市長選の際、最初の投票で、ペギダの立候補者が約21000票、つまり9,6%得票したこと。この相対的な成果がペギダを1つの戦略選択と認めることになった。将来的に、地方自治体選挙、また州議会選挙でも、候補者が擁立されるだろう。
「ドイツの選択肢」(AfD)などの既存の政党との選挙協力に頼ることを、ペギダは拒んできた。その代わりに、主催者たちが努めてきたのは、国際的な右派、しかも右派扇動的なネットワークとのコンタクトを取ることだった。これまで、成果はなかったけれども。


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「Segmenten セグメント」という言葉が気になって調べてみた。

Sanseido Word Wise Webから

幅広い分野で登場する語です。例えばマーケティングの分野では「消費者全体を何らかの基準で分けた、同質なグループ」のことをセグメントと呼んでいます。また経営の分野では、企業グループの財務状況を事業別・地域別などによって区分して算出・開示する情報のことを「セグメント情報」と呼んでいます。さらに情報通信の分野でも、CPU・ネットワークケーブル・デジタル放送など、さまざまな技術分野においてセグメントの語が用いられています。

日本語に言い換える場合は、「分節・細分・切片・断片」」など。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 17:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 2
月曜ごとのデモによって、有に一年間をかけて、この東ドイツの
模範的な州の明るく描かれた絵の上に、黒いシミは広がっていった。
経済的な繁栄、財政上の一致団結、政治的安定、風景の美しさと
文化的な輝きとが、あたかも規範を示すかのごとくに、互いに
調和しあっているように見えた、この州の絵を覆うように。

他のどの州よりも強力に、絶え間なく、このザクセンの路上で
行われてきたことは、その間それに対する対抗運動が著しく弱く
見えることも相まって、不安を増幅させてきた。その結果、
外国人憎悪やイスラモフォビア(イスラム恐怖症)的な考え方が
他の連邦州のどこよりもザクセンで広まり、この自由国家が
1つの右派扇動運動の揺りかごになるかもしれない実態だ。
では、ペギダとは何だったのか、何なのか?

ペギダとは、統一された運動でもなかったし、今でもそうではない。
組織的でも、部局的でも、動機的でも、綱領的でもない見地に立って
いた。ペギダ-ドレスデンが考えてきたこと、それは、
1つの新しいドイツの運動の核になることだった。

しかし、この一地方の、言い換えれば局地的な分派の人々は
集合体となって違う様相をみせた。特に、路上で彼らが成果をあげた
時がそうだった。あちこちで極右の勢力が影響を及ぼそうとした。
ドレスデンでは、ルッツ・バッハマンをスポークスマンとするグループが
いつも支配的だった。至るところで、常に、多数の反ペギダデモ者
たちの姿があったが、「夜のお散歩」をするドレスデンのペギダは
常に、数の上で、反対者たちを圧倒していた。

様々に異なる分派やその代表者たちを繋ぐ鎹(かすがい)が、
イスラム教徒や政治的難民および外国人に対する、拡散しやすく、
平易なルサンチマンの、攻撃的表明であり、
連邦共和国を司る政治とメディアのエリートたちに対する
ヘイトスピーチとアジ演説(扇動的演説)だったのである。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 11:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペギダとは何か?なぜペギダなのか? 1
10月20日のペギダ一周年前後にあふれたペギダ関連の記事の中で、
19日にフランクフルター・アルゲマイネに掲載された
ドレスデン工科大学、憲法&民主主義研究センター長
Dr. ハンス・フォアレンダー氏
の長文の記事が気になったので、
読んでみることにした。

http://www.faz.net/aktuell/politik/die-gegenwart/protestbewegungen-was-ist-pegida-und-warum-13863310.html

シェア数も10月28日現在で、686を数え、通常ペギダに関する記事には
ほとんど読者の意見もないが、この記事にはすでに54件の意見が寄せられ、
それぞれに「同意」をクリックした人々も多く、ある意見には400人を
越す「同意」が表明されている文章だ。

長文なので、訳ができ次第、その都度少しづつではあるが、ここで報告していこうと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

抵抗運動
『ペギダとは何か?なぜペギダなのか?』

過剰な感情、対決的姿勢、ポーズ的な憤慨の見せ方、権威のある
場所・通りでコミュニケーション力を生み出そうとする試みの成功、
これらが、ペギダを、新しいスタイルの抵抗グループに押し上げた。

この夏であれば、ペギダの終息を予想するのに十分な根拠も
あっただろう。かつて、何万人も動員可能だったこの運動の中で、残って
いたのは、変わらず抵抗し続けていた、過激な市民からなる
小さなグループだけだった。

主催者たちは、ペギダに新しい生命を吹きこもうとして、
オランダの右翼扇動家ゲールト・ヴィルダースを招いたが
無駄に終わっていた。汎発的な抵抗運動で右翼扇動的な流れを
将来的に作って行こうという試みは、成果もないままだった。
けれども、彼らは諦めなかった。

今、「愛国主義的なヨーロッパ人たち」は再びそこにいる。彼らが
初めて、ドレスデンの中心部で、いわゆる「西洋のイスラム化」に
対してデモを行って以来の1年という時が、難民危機を、
ルッツ・バッハマンの周りに群がる主催者たちの手にこっそりと
手渡した。そして、それだけではない。もともとレトリックは自制心を
失わせるものだから、今度は路上での過激行動が増大した。

難民収容所への攻撃、難民補助者・警察官・政治家・ジャーナリスト
への侵害、通りの封鎖も、政治家についての大雑把な侮辱的発言も
ペギダとペギダが作った環境に起因している。
もし、路上を野蛮化したこのペギダという運動が、その基盤を固め
ることになったら、ペギダはレトリック上の放火を実行すると
いうのか?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このフォアレンダー氏の文章から、かつてのドイツで、
ユダヤ人に対する差別が、シナゴーグへの放火で始まったこと
(水晶の夜・Kristallnacht)を連想する人は少なくないだろう。

しかも、ペギダでレトリックで語られる放火は、すでに40件以上とも
言われる放火や犯罪に現実化している。ショアー(ホロコースト)への
悔悟の念からだろう、ドイツの良心を示し、難民を受け入れている
人々の気持ちを思うといたたまれない。

日本ではヘイトスピーチとネトウヨ。。
歴史修正主義者というより歴史歪曲主義者の、南京大虐殺はなかった、従軍慰安婦はいなかった、
という欺瞞。鶴橋大虐殺とネット炎上。
鈴木邦男さんは、語っている。

「また、この国はやりますよ、大虐殺。」

少なくともドイツと日本のレイシズムから、目は絶対そらさない。

| Till*eulenspiegel | ドイツ- Pegida | 19:28 | comments(0) | trackbacks(0) |

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