Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
バイエルン州州議会選挙の結果
バイエルン州州都ミュンヘンで右傾化に反対するデモがあった後の、
10月14日の州議会選挙の結果が興味深い。

http://www.faz.net/aktuell/politik/inland/landtagswahl-bayern-warum-gruene-in-staedten-erfolgreich-sind-15841635.html

フランクフルターアルゲマイネによると、CSU(キリスト教民主同盟)の
牙城だったバイエルンで、CSU が前回の選挙から10,5%も減らすことに
なった。第二政党だったSPDも減らしており、第二政党になったのは
緑の党である。

上記の記事から、得票%を書き出してみる。


−10,5% CSU (キリスト教民主同盟) 47,7% → 37,2%

+ 8,9% Gruene (緑の党) 8,6% → 17,5%

+ 2,6% FW (自由な有権者バイエルン) 9,0% → 11,6%

+10,2% AfD (ドイツのための選択肢) 0 % → 10,2%

−10,9% SPD (社会民主党) 20,6% →  9,7%

+ 1,8% FDP (自由民主党) 3,3% → 5,1%

+ 1,1% Linke (左派党) 2,1% → 3,2%


0%だった「ドイツのための選択肢」が第4政党になった。上記の記事では
むしろ第2政党になった「緑の党」に注目して、バイエルン南西部の
小さな町Giesing の町がどのように変わり、人々の気持ちがどう
変化したのかを書いている。

この選挙結果を受けて、バイエルンのCSUからは、CSU党首で内務大臣の
ゼーホーファー氏の党首交替への要求が高まっている、という。
ゲオルク・マーセンを何があっても支持し続け、限りなく右へと
舵を切ったゼーホーファー氏を地元バイエルンの人々は許さなかった、
と言えるだろうが、AfDが第4政党になったということは、限りなく右へ
と向かう人々もそれ相応に増えたということである。

| Till*eulenspiegel | ドイツ-Deutschland | 13:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
たぶん『スローターハウス5(Schlachthof 5)』の風景(追記あり)
3月の上旬、ドレスデンを訪れた。

ここ数年ペギダについて学んできた。ネオナチの町・ドレスデンという実態を
知った。シュトリッツェル・マルクト(シュトレン・マルクトという意味の
クリスマス市)の素晴らしさに触れた。聖母教会の再建のドラマに感動した。
はっきり言って、良きにつけ悪しきにつけ、ドレスデンの魅力に
はまってしまった。

今回はどうしても『スローターハウス5』の場所に実際に行ってみようと
市電を乗り継ぎ乗り継ぎ、かつての屠殺場を捜した。

タブレットで検索した情報では、Schlachthof 5 は現在 Gothaer Strasse
になっているという。アルトシュタットのホテルから聖母教会へまず
向かった。教会は、前回と全く同じように美しかった。3月11日で、
教会前のルター像の前に真っ黒に塗られたオブジェが置かれており、
いくつもの立て看板に見慣れた福島原発についての情報が書かれていた。
グリーンピースの反原発のアクションだった。

声をかけてみた。

これらはあなたたちのアクションですか?

彼は Ja 今日は11日だから、Gedaechtnistag メモリアル・デイだからね。
と言った後、今朝ラジオで聞いたんだけど、福島からの避難者が
差別されているって本当か?と質問した。

私は、本当です。と答え、昔、広島と長崎に原爆が投下された後、
被爆者たちも差別された、それと同じです。と答えた。

私の世代は、テレビでも映画でも、その差別の光景を見てきて記憶して
いる。差別の構造は、何も変わらない。

バッグについていた、「さようなら原発」の世界共通マークを
見せて、「さようなら」は通常ドイツ語では Wiedersehen
「また会おう」だけど、これじゃだめだね、と言うと、
彼は、Nie Wiedersehen 「二度と会わないよ」だよね、と
訂正してくれた。ちなみに、ドイツでは、このマークには

Nein danke, Atomkraft. と書かれていて、その意味は

No thank you, Nuclear power.

「原発はもう結構」という意味である。

ああ、今日は11日だったな、と教会の裏の道を
エルベ河に架かるアウグストゥス橋のたもとまで歩き、河の対岸の
ノイシュタットにある現在のGothaer Strasse に行くために、
市電に乗ることにした。

念のため若い女性に質問したら、この市電で間違いないと言う。
彼女は親切にも離れずに、にこにこと気にしてくれて、降りる駅も
教えてくれる。市電の中でも話が続いた。

ドレスデンに住んでるの?と質問すると、

Ja と答えて、ドレスデンの大学に通っている、と言う。

専攻は?と聞くと、

Architektur 建築学と答えた。

Schlachthof5 はカート・ヴォネガットというアメリカ人作家の小説で、
彼は、ドレスデンで捕虜となって、このSchlachthof 5(第5屠殺場)で、
イギリスとアメリカの連合国空軍の爆撃を受けたんですよ、と伝えた。
ドイツ語にも訳されているはずだから、読んでみて。と言うと、

そうします、と言ってくれた。

小さな停留所で降りて、歩いて歩いてやっと探し当てたSchlachthof 5は
ここだった。壁に以下の文字が読める。

Alter Schlachthof

Gothaer Strasse





やっと探し当てた、と思ったら、今はライブハウスで、しかもこの
日は閉館日。ベンチに腰掛けていた年輩の男性たちに Schlachthof5 に
ついて尋ねてもよくわからない、ということで。そこに、建物から
一人のさらに年輩の男性が出てきて教えてくれたのは、
そこは、エルベ河を挟んで全く反対側だよ、というのだった。

お礼を言って再び市電に乗ろうとして、二人連れに Dresden Messe 方面に
行きたいのだけど、と尋ねると親切に、何番目の停留所で降りて、
何番の市電に乗り換えて、さらに何番目で降りて、何番に乗り換えてと
教えてくれた。それで、一生懸命にその通りにしたはずが、
結構ドレスデンの市電は複雑で、初めての私には難しく、
どういうわけか、市電の中でまたさっきの二人連れに出くわすことに。

二人連れは、親切にも向こうから近寄ってきて、
あなたは間違えてるから、今度はここで降りて、乗り換えて、
何番に乗って、とそれはとても親切だった。

ネオナチの町・ドレスデン。ペギダの町・ドレスデンで出会う、
一人のアジア人に親切な地元の人々。

そしてやっとたどり着いた Schlachthof 5 はおそらくこのあたり。
もう夕方で、寒かった。Schlachthof は通の名前で残っているだけで、
そこは車と市電が頻繁に通る橋だった。その下にこんな風景が
広がっていて、きっとここに違いない。屠殺場跡では、民家を
建てるわけにはいかないだろうから。そう結論づけて、
撮ってきた画像を貼っておくことにする。

市電停留所 Messering からの風景



ちなみに、ドレスデンが州都であるザクセン州は、ドイツでも
最も差別がキツい州として有名で、難民収容所の放火や難民への暴力
など、事件も多い。ドレスデンは、観光地だから、私のようなアジア人も
見かけるが、一度ドレスデンを出れば、そこは田舎で、
私が滞在したケムニッツ(ドレスデンから電車で1時間)には、
日本人は2家庭しか住んでおらず、アジア人ということで言えば、
中国人と韓国人がもう少しだけ多く住んでいるとのことである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つい先日、このページでupした最初の画像 Alter Schlachthof が
どうしても気になって、そのまま検索してみた。
それで解ったことは、この建物が1904年まで、屠殺場として
使われていた、古い屠殺場、すなわち、Alter Schlachthof に
間違いないということだった。

Wikipedia によると、ドレスデンの人口が増え、古い屠殺場では
賄いきれなくなって新しい屠殺場を建設した。それが Ostragehege
と呼ばれる地区。間違いない。Messe方面だ。

そして、解ったことがもう一つ。1945年2月の米英空軍による
ドレスデン戦略爆撃(絨毯爆撃とも)の目標地点が当時の
DSCドレスデンスポーツクラブ・サッカースタジアムだった
ということだ。その地点が、Messe の入り口に位置する現在の
Heinz-Steyer-Stadion である。

このページに up した2枚めの Messering から撮った画像は、
間違いなく Ostragehege オストラゲへーゲと呼ばれる地区であり、
1900年代初頭に屠殺場が建設され、1945年の爆撃を受けたことも
記録されていた。そして地下室がそれに堪えたことも。

焼夷弾で地上は焼かれ、瓦礫の山となったが、地下室に収容されていた、
カート・ヴォネガットと約100人のアメリカ人兵士たちの
生命はこの屠殺場で助かったのだった。

書きそびれていたが、カート・ボネガットは、ドイツ系アメリカ人であり、
だからこそ、ドイツ戦線に送られたのだろう。




| Till*eulenspiegel | ドイツ-Deutschland | 02:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドレスデンのアドヴェントコンサート
ZDF(第2ドイツ放送)がドレスデンの聖母教会で4日に開催された
アドヴェントコンサートを配信しています。
日本時間で、12月24日午前2時まで鑑賞できるということです。

https://www.zdf.de/show/musik-im-zdf/adventskonzert-aus-dresden-104.html

右下の facebook から是非どうぞ。

この聖母教会については、報告すべきことが多々あります。
興味のある方は、『ドレスデン』という映画を是非どうぞ。

Frauenkirche/Dresden

frauenkirche/frueher



| Till*eulenspiegel | ドイツ-Deutschland | 04:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドレスデン
数年前、小さな集まりで、ドレスデンについて報告したことがある。
マイセン磁器の世界と、第二次世界大戦時の連合軍による戦略爆撃と、
聖母教会の再建のドラマについて。

そこで知ることになったのが、カート・ヴォネガットの
『スローターハウス5』だった。スローターハウスとは、ドイツ語で
Schlachthof シュラフトホーフ 「屠殺場」を意味する。

小説の最後近く、おそらく作者の絵であろう、乳房とその谷間にペンダント
が描かれている。そのペンダントには、英語で次のように、書かれている。

God grant me the serenity to accept the things

I cannot change, courage to change the things I can,

and wisdom always to tell the difference.


神よ願わくばわたしに変えることのできない物事をうけいれる
  
落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、

その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ。


これはカート・ヴォネガットが行き着いた
乳房の谷間の真実なのだろうか。

アメリカ人捕虜として、自国も含めた連合軍の戦略絨毯爆撃を
経験した作者が、長い時を経てようやく発表したことは
知っていながら、なかなか読み終えることができなかった。

今、小鳥の「プーティーウイッ?」で終わるこの小説を読み終えてみて、
これは小説の中の小説だと感じている。

小説には意味があると、20年ぶりに感じている。

| Till*eulenspiegel | ドイツ-Deutschland | 07:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
カール・マルクスの言葉


Working Men Of All Countries Unite !

Proletarier Aller Länder Vereinigt Euch !

すべての国の労働者よ、団結せよ!


旧東独時代カール・マルクスシュタットと呼ばれた、現在のケムニッツ市には
遺物のように、巨大なマルクスの頭の記念碑がある。
背後の建物も、旧東独を思わせる巨大なもの。ほとんど使われていないような
建物をバックにしながらも、彼の言葉は、力強く訴えかけてきた。
これは、共産主義でも、資本主義でもなく、人権を訴える言葉だよ。

現在、マルクスは見直され、読み直されて、学び直されているそうです。

かつては共産主義の偉大さを表すためにこれ程の大きさにしたのでしょう。
今は、マルクスの頭脳の偉大さを表すもののように思えました。

訪問された方は、是非この画像をコピーして、拡散していただけると
嬉しいです。
この画像は、昨年末、実際に訪れて私が撮影してきたものです。

| Till*eulenspiegel | ドイツ-Deutschland | 10:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
私は寛容の大ファン 3
- とはいえ、新しいことを目の前にすると不安を抱えてしまう人間も
 います。彼らが、月曜ごとに路上を行く人々なわけではありません。
 そのような人々に対しどのように接するべきでしょうか?

「彼らがこのような不安に駆られることを当然と認めざるを得ません。不愉快さを表明することも許されてしかるべきでしょう。しかし、どのようになされるか、それが問題です。人々が抱くあらゆる心配や不安に対してすら、人々は感情移入をも示すべきだろうと、私は考えます。

苦境に陥ったり、戦争が起こった時には、誰もが家族と共に逃れるでしょう。もちろん、ドレスデンやエアフルトで、ペギダや AFD ( ドイツのための選択肢 )のために路上を行く人々が皆ナチスだというわけではありません。しかし、そのような人々はナチスの尻馬に乗っているのです。そしてそのことを彼らにはっきりと分からせることが必要です。

私は寛容の大ファンです。しかし、人種差別的な人はもちろん、不寛容な人ですら決して大目に見たりはしない。人を踏みつけにすることはどんな時もみっともないことです。この点では、いつだって私は反対するし、いつだって大声を上げます。」

- 貴方はいつも他者のために全身全霊を持って取り組まれています。スケジュー ルも満杯です。自分自身のためにはどうしていらっしゃいますか?

「音楽を演奏しています。家でも演奏しています。歌い、ピアノを弾いています。それに読書も大好きなんです。貴方がしていることと同じことです。」

- 近距離交通を利用されますか?

「いいえ、滅多に乗りません。市内は多くの場合自転車です。でも、ライプツィヒ市内にソーシャルチケット(ライプツィヒ-パス-モバイルカード)があるのは本当に良いことだと思います。あって当然というものではないと思います。」

- 最後の質問です。ライプツィヒ市内で、貴方のお気に入りの場所はどこですか?

「大好きでよく自転車を走らせるのは、アウバルトです。コスプーデーナー湖にも行きます。自転車で行けるんですよ。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*アウバルト -- かつては針葉樹林帯だったが、幾度も洪水にあった後、人々の手によって、広葉樹林帯となっている、ライプツィヒの一画。以下のウィキペディアのサイトの画像で様子が見れる。日本由来の鹿が生息している、と書かれている。それにバイソンも。

https://de.wikipedia.org/wiki/Leipziger_Auwald

 
*コスプーデーナー湖 -- ライプツィヒ南部の人工湖

https://de.wikipedia.org/wiki/Cospudener_See


Mein Fahrrad 「ぼくの自転車」をアカペラで演奏している動画を見つけたので参考までに。

https://www.youtube.com/watch?v=g2DsC3xHgYU





| Till*eulenspiegel | ドイツ-Deutschland | 23:39 | - | - |
私は寛容の大ファン 2
- あなたは、ライプツィヒ・クラージュ・ツァイゲン(ライプツィヒ
 で勇気を示そう)、いわゆる反レイシズムフェスティバルの発起人の
 一人でいらっしゃいます。
 これは、1998年に始まり、現在は以前よりずっとアクチュアルに
 (時局にかなったものに)なっているように思われます。

「はい。もうかなり長いこと続いていますね。その間、人々は私に、なぜこれを続けるのか、と何度も何度も尋ねました。なんだかんだ言って、1990年代の始めほど悪くはないということにしておきましょう。その頃は、NSU(ナチ・アンダーグラウンド)が起こった頃で、私たちには、多くの人々が思っている以上に、私たちはアクチュアルだということが分かっていたんです。現在ももちろんそうです。

- あなたにとって、目下の状況はどのようなものですか?

「難民よりも、この状況を受け入れている一般の態度のほうに不安を感じる。政治が互いに罪をかぶせ合っているのを、不審に思っている。このことが、多くの人々を不安定にしている。加えて、特にこの東ドイツで、私はこんな風に願っているんです。つまり、(東西ドイツ再統一を目前に控えた)1989年ドイツ民主共和国での政治的方向転換の時期( Wendezeit )とは一体どのような状況だったのか、を人々に思い出して欲しいということです。」

「当時、多くの人々は、現在の経済難民と呼ばれるだろう人々で、彼らは西側で諸手を挙げて受け入れられた。そして、今日、とりもなおさず、このザクセンから、本当に恥ずかしいシグナルが発せられている。ちょうど、ニューヨークにいた時、CNNのニュースで Montag Abend (月曜晩のデモ)を見ました。そこには、ドレスデン−ナチの町、とありました。その時、私は考えましたよ。一体ここザクセンでは何が起こっているのか? どれ程遠くまで来てしまったのか? ここまで大きくなってしまったその共犯者は、ザクセンの州政府、政治、そして司法だと。」

「毎年、ドレスデン爆撃の記念日(2月14日)に、ドレスデンではナチパレードが行われて、平和のためにそれに反対した人々が犯罪者とされると、多くの人々はそれを見て見ないふりをしてきた。そして、私自身も恐ろしくて、敢えてそうしていたんです。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ライプツィヒとドレスデンは、旧東独のザクセン州を代表する2大都市で、両市の中心部に位置するケムニッツ市からドレスデンへは、西に電車で1時間、ライプツィヒへは東に電車で1時間という距離である。それぞれ都市部を過ぎれば、のどかな田園風景、森林風景が続き、時々、巨大な風力発電の風車が見える。

Leipzig Courage Zeigen に関しては以下がオフィシャルサイト。

http://www.leipzig-courage-zeigen.de/index.php?id=6


2015年4月30日の Leipzig Courage Zeigen のクロージングでセバスチャン・クルムビーゲルが歌ったという "International" Kein Mensch ist illegal. 「不当に扱われていい人間などいない」の動画を探していて、同年1月12日の No Pegida/Legida Demo の際の動画を見つけたので、参考までに。

https://www.youtube.com/watch?v=bZZx0EPnBOA


第二次世界大戦末期の 1945年 2月13〜15日、イギリス軍を主とする連合軍によるドレスデン戦略爆撃で、エルベ川のヴェニスと言われたこの町は徹底的に破壊された。人々は少しずつ町を元通りに再建する努力を重ね、2005年に、60年の時を経て、聖母教会が元通りに再建されたことは、記憶に新しい。現在も、ドレスデンでは、ヴァレンタインディを祝う人はいない、と聞くが、他方、毎年ナチスのパレードが行われていたとは。探したら、2015年のパレードが。

https://www.youtube.com/watch?v=JymWHUL5Tp0








| Till*eulenspiegel | ドイツ-Deutschland | 02:36 | - | - |
私は寛容の大ファン 1
中央ドイツ交通局の機関誌 "Hin & Weg" 『向こうへ』で、
ライプツィヒ出身のグループ「プリンツェン」の主要メンバー、
ゼバスチャン・クルムビーゲルがインタビューに応じて次のように語った。

- クルムビーゲルさん。プリンツェンが新しいレコードを出しました。
 個人的に気に入っている曲はどれですか?

「新しいレコードを出した時、いつも難しいのはそのことですね。
どの曲もすごくいいと思っているから。それは、母親に向かって
どの子どもが一番好きかと質問するのと同じなのです。我々メンバーは皆、
このレコードで打楽器以外の楽器を一切使わなかったことを、
とても嬉しく思っています。ただ声だけ。そして、打楽器だけです。
これが、今度のレコードの本質なんです。」

- しかし、大ヒット曲の中には、気に入っている曲があるでしょう。

「いいえ、そうとも言えません。幸いなことに、私たちには人々がよく
知っている大ヒット曲がたくさんあります。ツアーの前になると、
私たちはいつもどの歌を演奏するか、しないかで、よく言い争いに
なります。けれども本物のヒット曲では一致し、それをいつも演奏する
のです。来年のツアーでもそうなるでしょう。」

- お気に入りのバンドはありますか?もちろん、プリンツェン以外で
 ということですが。

「ええ、いくつかありますよ。私は Beatles の大ファンです。けれど、
Queen も、Blur もすごくいいと思う。若い人達のバンドでは、
Kraftklub や K.I.Z. 、それにオーストリアの Wanda もいいですね。」

- 貴方は、何年もレイシズムや不寛容との闘いに参加して
いらっしゃいます。動機はなんなのでしょうか。

「私はそう育てられたのです。両親は、そのように礼儀をつくし、
感情移入できるように私を育てようとしました。結局、なぜ私は
そんな考え方をするのか、と言われるようになりました。そして、
同じようにそんな考え方を持つ人々がたくさんいることが、とても
嬉しいのです。それが、特に難民の人々に対する多数の積極的な
親切心となって現れているのです。」

- ところで、難民収容所の火災の映像も報じられています。

「はい。これらの映像がとても心配です。この国、私たちの国の
人々が、野球のバットで他の人々に襲いかかる、しかも自分たちとは
違うという理由だけで。私はこのことを危険だと思います。
私たちは、今、非常に用心深くならなくてはならない。というのは、
そのような酷い行為には先だって、言葉があるからです。それは、路上の
様々なデモで聞く言葉だったり、あるいはまた、残念ながら、
トークショーや、いわゆるソーシャル・ネットワーク上で出会う言葉
だったりするのです。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

セバスチャン・クルムビーゲルは、1966年ライプツィヒ生まれ。
トーマス教会少年合唱団員だった彼は、現在ソロの芸術家、
あるいはまた、プリンツェンのシンガーとして活躍中。プリンツェンは
ドイツで最も成功を収めたバンドとして、2015年2月から、
"25 Jahre auf Bewährung Tour"「25年執行猶予中ツアー」を全ドイツで
行っている最中である。




参考までに。
プリンツェンの大ヒット曲の1つ Mein Fahrrad 「ぼくの自転車」


https://www.youtube.com/watch?v=jQ6vG0JoG9c


| Till*eulenspiegel | ドイツ-Deutschland | 20:20 | - | - |
ドイツの政治教育3原則
昨日、yahooニュースで読んだ記事で、とても参考になったのでメモした。
こちらで記録しておこうと思う。
すでに見た方も多いと思うが、こちらで今一度 url. を。

http://news.yahoo.co.jp/feature/61

動画が見れるので、是非見て欲しい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1972年に、ドイツが選挙権を18歳に引き下げた時に設けた3原則、
ボイステルバッハ・コンセンサスというもの。これによって、
現場の教師は安心して政治教育に取り組めるようになった、という。


 ゞ技佞琉娶が生徒の判断を圧倒してはならない。

◆\治的論争のある話題は、論争があるものとして扱う。

 自分の関心・利害に基づいた政治参加能力を獲得させる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

歴史教育も政治教育もおざなりにされていた、と感じる自分の中学生・
高校生時代のことを思うと、残念だ。ただうっすらと、中学時代の
記憶として、当時、水俣病に関する新聞記事をスクラップした記憶が
あり、それはやはり自分が社会を見る1つの目となった、という
実感がある。

SEALDsのメンバーは、高校生の時に、東北の大震災、福島原発事故を
経験した世代、それが大きく、現在の活動に影響を与えた、と聞く。
先日、SEALDs KANSAI の第一回目 SALON に参加することができた。
質問者の一人として手を挙げた一人の女性が、「私は中学生です。」と
言った時、会場はどよめいた。

教師たちと、生徒たちと、保護者たちと、周囲で見守る私たちとで、
民主主義を一歩一歩進めていけたら。

1972年当時、高校教師で、政治教育に携わってきた、
シビル・ラインハード博士(教育学)は、動画の中で、その目的は、
民主主義 Demokratie のためである
と語っている。

| Till*eulenspiegel | ドイツ-Deutschland | 07:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
抵抗権
過去のログで、『ベトナム・反対する力』というタイトルを、
『ベトナム・抵抗する力』に替えた。

英語では、protest で、ずっと迷っていたが、今回の市民のデモの動画を
何度も見ながら、Videonews.com で神保氏と宮台氏が語るのを見ながら、
特に、宮台氏の語った、ドイツの基本法に書かれているという「抵抗権」
という言葉を聞いて調べてみて、いつか、日本国憲法で、この「抵抗権」が
私達、市民の権利として認められる日が来ることを願って。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Wikipedia から

抵抗権とは、人民により信託された政府による権力の不当な行使に対して人民が抵抗する権利。

ドイツ基本法における「抵抗権」

(1) ドイツ連邦共和国は、民主的かつ社会的連邦国家である。

(2) すべての国家権力は、国民より発する。国家権力は、国民により、
    選挙および投票によって、ならびに立法、執行権および司法の
    特別の機関を通じて行使される。

(3) 立法は、憲法的秩序に拘束され、執行権および司法は、
    法律および法に拘束される。

(4) すべてのドイツ人は、この秩序を除去しようと企てる何人に対しても、
    他の救済手段が存在しないときは、抵抗権を有する。



| Till*eulenspiegel | ドイツ-Deutschland | 15:58 | comments(0) | trackbacks(0) |

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