Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
種を粉に碾いてはならない - ケーテ・コルビッツ
最近、大学で『ベルリン』について講義をした際、質問してみた。

「種を粉に碾いてはならない」とはどのような意味でしょう。

ある学生が答えてくれた。

 種を粉にしてパンを作ったほうが美味しいのではないですか。

私の咄嗟の返答は、

 そうですね。きっと栄養たっぷりで美味しいでしょう。でも、今度収穫するための種をどうしたらいいでしょう。

 ああ、そうですね。

種は土に植えられ、芽を出し、やがて成長して実り、新たな種となるように、若者の命は世に出て成長し、世代を担い、次世代の礎となる。

学生たちが書いてくれたアンケートの中に、このコルビッツの言葉の反響があり、改めて、過去ログから、ケーテ・コルビッツの画業について投稿したいと思う。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
君はどこにいるの?




愛しい息子

子供の頃はまるで女の子みたいだった、あの優しいペーターが何が何でも戦争に行くという。
これがペーターの最後の写真だ。



そして、ペーターは従軍直後に戦死した。
母であり、ドイツで最も名高い芸術家の一人であるケーテ・コルビッツKäthe Kollwitz は、自分の息子のために碑を刻んだ。ピエタ Pieta である。




Berlin Neue Wache


ケーテ・コルビッツは、一人の母の身に起こり得る最悪の出来事、すなわち、子どもの死を体験した。日記の中で、芸術家はその苦悩について語っている。それは、その苦悩に耐えて生き延びるためである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記は、ドイツ発行で、自称、ヨーロッパ最大級の歴史雑誌という、P.M. HISTORY 2016年1月号 の中の、Thomas Röbke トーマス・レブケ氏による興味深い記事である。

ドイツの、ある程度の都市ならば、どこにでも存在する

「ケーテ・コルビッツ通り」

の名の芸術家が残した日記についての記事だ。

沖縄にある佐喜真美術館に彼女のいくつかの作品が収蔵されている。
まだその作品群を見たことがなく、ベルリンの美術館でも見るチャンスに恵まれず、いつか見たいという気持がつのるばかり。ここ1年、「だれの子どもも殺させない」という言葉と彼女の彫刻とがいつもリンクしていた。
いつか見る時のためにも、彼女の日記からいくつか訳してみたいと思う。

彼女の日記の紹介文には次のように書かれている。

「ドイツの三つの帝国を生き、二つの世界大戦を生きた、ケーテ・コルビッツの35年間にわたる日記は、ドイツ史の激動のエポックを記しているのみならず、革命の熱狂から批判的冷静さを取り戻すまでの政治的立場の変遷をも包括するものである。

とりわけ、驚くほど飾り気のない、しかし的確な表現で、これらの日記が描き出すのは、母であり芸術家である一人の女性の、不安と疑念、そして、苦悩と希望である。」

Käthe Kollwitz Die Tagebücher 1908〜1943

『ケーテ・コルビッツ 日記 1908〜1943』2012年

画像は P.M.HISTORY 1月号から。

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画家、版画家、そして彫刻家であったケーテ・コルビッツは1867年〜1945年を生きた。彼女の作品が創りだしたのは、表現主義と写実主義の間に位置する独自のスタイルだった。1891年、彼女は医者であったカール・コルビッツと結婚し、夫とともに、ベルリンのプレンツラウアー・ベルク地区バイセンブルガ―通りに居を移した。現在この通りは、コルビッツ通りと呼ばれている。1892年、彼女は、息子のハンスを出産。4年後に次男のペーターを、愛くるしい男の子を出産した。ペーターは、母と同様に画家を目指していた。

戦争がやってきた時、息子たちは二人ともすぐに戦争に志願した。ペーター・コルビッツは、戦場に来てまだ一週間にもなっていなかった、1914年10月23日の夜にフランドルのディスクムイデ近郊で死んだ。18歳だった。


ケーテ・コルビッツにとって、このことは「中間休止、区切り」を意味した。なんとか彼女が造形創作に再びとりかかることができたのは、亡くなった息子のために碑を創ろうという強い願望に急き立てられた時だった。

後に孫娘のユッタ・ボーンケ・コルビッツが日記の前書きに書いているように、

「彼女は、17年という長い間、様々に変転する構想、常に新たに取り掛かるものの続かない創作、疑念と抑圧とほんのわずかな信念しか得られない状態と悪戦苦闘する。」

「それは、1932年、息子が埋葬されている兵士の墓地に、ようやく、あの悲しみに沈む両親の像が設置される時まで続く。」



画像は Wikipedia から。


この長い年月、ケーテ・コルビッツは自分の日々の考え、感情を、文字で書き留めていた。第一次世界大戦の最中でも。以下、いくつかを抜粋する。


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1914年10月30日 「貴方のご子息は戦死しました。」

1914年11月14日
ペーターの去年の日記を読むといつも、一人ぼっちで置き去りにされた気持ちになる。できることなら、若者たちのために、私たちが死にたかったのに、それなのに置き去りにされて、誰もが一人ぼっちだ。まるで、息の吸えない真空に取り囲まれているように一人ぼっちだ。君はどこにいるのか?どこを彷徨っているのか?なぜ君は私のところへ来ないのか?君が生きていた時よりもずっとずっと寂しい。もうハンスしかいない。

1914年12月1日
夜、ペーターのために碑を創ろうという構想が浮かんだが、また諦めてしまった。創り果せるとは思えなかった。朝になって、突然ライケを通じて、自分に場所を提供してくれるよう、市に頼めるかもしれないという考えが浮かんだ。もし、お金がかかるなら、かき集めなければならないだろう。
碑はハーフェル川を見晴らせる場所で、旅館シルドホルンの高さに建立されなくては。素晴らしい夏のうちには完成して、除幕式が行われるはずだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

訳者注

die Zäsur「中間休止、区切り」とは、

詩学上の専門用語で「詩の行の中間での、特に意味の切れによる休止」を表し、読者にインパクトを与える手法である。また、

音楽上の専門用語で「楽節中の中間休止や、動機や主題の切れ目」を意味する手法でもある。


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1914年12月4日
私は君を記念碑で讃えたい。君を愛してくれた人達みんなが心のなかで
君を覚えてくれているし、これからも、君が、君を知っていた人達や、
君の死を聞いた人達に影響を及ぼしてゆくだろう。けれども、私は
もっと別の方法で君を讃えたい。君たちの死、若くて自ら戦争に志願した
君たち全員の死を、私は、君の姿で具現化したい。鉄とブロンズの
中へと、その死は鋳込まれて、そうして、何百年も存在し続ける。

1914年12月9日
私の息子!君の記念碑の上では、私は、君の姿を両親の上に
置きたい。君は手足を伸ばして寝そべっていてほしい、必死な呼びかけに
両手が答えて言う。「ぼくはここだよ。」目は、おそらく、
大きく開いたまま、だから、君は君の上に広がる青空を見れるし、
雲も鳥たちも見れる。口は微笑むようにしよう。胸には、私が君に
あげたナデシコを飾ろう。

1914年12月23日
去年のクリスマス、君はピエロの衣装を着た。今年のクリスマス、
君は腕に小銃を持って大地の下で固くなって横たわっている。

1914年12月24日
クリスマスイブ。.....君のベッドの後ろには、一本の低い若木を
置いてある。ロウソクの炎が次から次へと燃えていって、その後で、
再た、真っ暗になってしまった。

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 彼女は何百年も存在し続ける彫刻を創ろうとする。なぜなら、
 最も尊いものが破壊されてしまったからだ。それは、若者の生命。


                        トーマス・レブケ




| Till*eulenspiegel | 反戦-gegen den Krieg | 12:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
南北の塔、山雨の塔。
3月20日に札幌で、北海道知事選立候補者石川ともひろ氏の道民集会があり、沖縄県知事玉城デニー氏が行った応援演説を、youtube で聞いた。

半ばを過ぎたころ、玉城氏は語った。

「沖縄と北海道の繋がりについて二つ話させてください。」

一つは昆布。北前船が境まで昆布を運ぶ。薩摩藩が統治していた琉球の砂糖を境に運び、換わりに昆布を薩摩藩経由で琉球に運ぶ。
中国に売るためである。琉球の人々はその一部を食する。

薩摩に虐げられてはいたものの、自分たちの食文化に置き換えていった琉球の人々。

もう一つが沖縄戦。平和の礎いしじ(糸満市摩文仁)に名を刻まれた軍民の数は24万人。終戦後の1946〜47年、糸満市の真栄平(まえひら)の人々が、村に帰ることを許されて村に帰ってみると、そこにはたくさんの遺体(遺骨)があった。多くの遺骨をいったんガマ(洞穴)に安置した後、塚を作り慰霊を行った。その遺骨が移されるという話が持ち上がったが、村人たちは、ここでこそ弔う場所ということで、浄財が寄せられ「南北の塔」ができた。どなたのものかわからないが、(日本の)南から北までの人々の慰霊の塔である。そして、この中には、山部隊(やまぶたい)と呼ばれる、北海道の兵士たちが多くいた。彼らは、寒さに強いので満州に派兵され、その後、沖縄戦に従軍した。実は、沖縄戦で沖縄県民以外で、最も多く亡くなっているのは北海道の方々である。真栄平の人々は、このようにして、平和の尊さを今にしっかりと伝えている。

沖縄と北海道は、食で繋がり、命どぅ宝(ぬちどぅたから)、命こそ宝という絆で繋がっている。

・・・・・・・・・・・・・・

地図で南北の塔を探したが見つからなかった。もちろんネット上に画像はあった。そして、ウィキペディアでは、山部隊の中に相当数のアイヌ民族の人々がいたことも解った。アイヌ民族の弟子氏と真栄平の人々との縁についても。私は道産子で、小さい頃、近所にアイヌ民族の家族が住んでいた。

地図をあちこち探していて、「山雨(やまあめ)の塔」を見つけた。そして調べた。この塔の側にはクラガー(暗川)ガマ(洞穴)があり、そこは第24師団第89連隊、すなわち山部隊が陣地として使用したガマだった。この近くの宇江城一帯は、日本軍最後の抵抗拠点の一つとなったところ、ということだ。糸満市の公式サイトにはこのように説明書きがある。

「1945年6月28日、壕入り口を米軍が爆破。30日、師団長の雨宮中将がこの壕で自決。軍旗の奉焼も行われた。」

http://www.city.itoman.lg.jp/kankou-navi/docs-kankou/2013022300315/

戦後しばらくたって、元軍人たちにより、この塔は立てられ、山部隊の山、雨宮中将の雨から名づけられということだ。500柱が合祀されている、という。

そして、このクラガーガマにはこのような記述もある。

「住民を追い出したり、食糧を強奪したり、更には住民を虐殺したという証言がある壕でもあります。」

https://www.web-gis.jp/GS_Okinawa-Gama/Itoman-14-sm.html

沖縄戦について知らず、故郷を同じくする兵士たちが多く沖縄で死んだことを知らず、中には少数民族のアイヌの人々がいたことを知らず、守るべき住民を虐殺した部隊があると聞き知ってはいたが、それが山部隊の兵士であったことを知らなかった。











| Till*eulenspiegel | 反戦-gegen den Krieg | 02:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
君はどこにいるのか? 2
P.M.HISTORY トーマス・レブケ氏の記事。

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画家、版画家、そして彫刻家であったケーテ・コルビッツは1867年〜1945年を生きた。彼女の作品が創りだしたのは、表現主義と写実主義の間に位置する独自のスタイルだった。1891年、彼女は医者であったカール・コルビッツと結婚し、夫とともに、ベルリンのプレンツラウアー・ベルク地区バイセンブルガ―通りに居を移した。現在この通りは、コルビッツ通りと呼ばれている。1892年、彼女は、息子のハンスを出産。4年後に次男のペーターを、愛くるしい男の子を出産した。ペーターは、母と同様に画家を目指していた。

戦争がやってきた時、息子たちは二人ともすぐに戦争に志願した。ペーター・コルビッツは、戦場に来てまだ一週間にもなっていなかった、1914年10月23日の夜にフランドルのディスクムイデ近郊で死んだ。18歳だった。


ケーテ・コルビッツにとって、このことは「中間休止、区切り」を意味した。なんとか彼女が造形創作に再びとりかかることができたのは、亡くなった息子のために碑を創ろうという強い願望に急き立てられた時だった。

後に孫娘のユッタ・ボーンケ・コルビッツが日記の前書きに書いているように、

「彼女は、17年という長い間、様々に変転する構想、常に新たに取り掛かるものの続かない創作、疑念と抑圧とほんのわずかな信念しか得られない状態と悪戦苦闘する。」

「それは、1932年、息子が埋葬されている兵士の墓地に、ようやく、あの悲しみに沈む両親の像が設置される時まで続く。」



画像は Wikipedia から。


この長い年月、ケーテ・コルビッツは自分の日々の考え、感情を、文字で書き留めていた。第一次世界大戦の最中でも。以下、いくつかを抜粋する。


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1914年10月30日 「貴方のご子息は戦死しました。」

1914年11月14日
ペーターの去年の日記を読むといつも、一人ぼっちで置き去りにされた気持ちになる。できることなら、若者たちのために、私たちが死にたかったのに、それなのに置き去りにされて、誰もが一人ぼっちだ。まるで、息の吸えない真空に取り囲まれているように一人ぼっちだ。君はどこにいるのか?どこを彷徨っているのか?なぜ君は私のところへ来ないのか?君が生きていた時よりもずっとずっと寂しい。もうハンスしかいない。

1914年12月1日
夜、ペーターのために碑を創ろうという構想が浮かんだが、また諦めてしまった。創り果せるとは思えなかった。朝になって、突然ライケを通じて、自分に場所を提供してくれるよう、市に頼めるかもしれないという考えが浮かんだ。もし、お金がかかるなら、かき集めなければならないだろう。
碑はハーフェル川を見晴らせる場所で、旅館シルドホルンの高さに建立されなくては。素晴らしい夏のうちには完成して、除幕式が行われるはずだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

die Zäsur「中間休止、区切り」とは、

詩学上の専門用語で「詩の行の中間での、特に意味の切れによる休止」を表し、読者にインパクトを与える手法である。また、

音楽上の専門用語で「楽節中の中間休止や、動機や主題の切れ目」を意味する手法でもある。


| Till*eulenspiegel | 反戦-gegen den Krieg | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
君はどこにいるのか? 1



愛しい息子

子供の頃はまるで女の子みたいだった、あの優しいペーターが
何が何でも戦争に行くという。
これがペーターの最後の写真だ。



そして、ペーターは従軍直後に戦死した。
母であり、ドイツで最も名高い芸術家の一人である
ケーテ・コルビッツ Käthe Kollwitz は、自分の息子のために
碑を刻んだ。ピエタ Pieta である。




ケーテ・コルビッツは、一人の母の身に起こり得る最悪の出来事、
すなわち、子どもの死を体験した。日記の中で、芸術家は
その苦悩について語っている。それは、その苦悩に耐えて生き延びる
ためである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記は、ドイツ発行で、自称、ヨーロッパ最大級の歴史雑誌という、
P.M. HISTORY 2016年1月号 の中の、
Thomas Röbke トーマス・レブケ氏による興味深い記事である。

ドイツの、ある程度の都市ならば、どこにでも存在する

「ケーテ・コルビッツ通り」

の名の芸術家が残した日記についての記事だ。

沖縄にある佐喜真美術館に彼女のいくつかの作品が収蔵されている。
まだその作品群を見たことがなく、ベルリンの美術館でも見るチャンスに恵まれず、いつか見たいという気持がつのるばかり。ここ1年、「だれの子どもも殺させない」という言葉と彼女の彫刻とがいつもリンクしていた。
いつか見る時のためにも、彼女の日記からいくつか訳してみたいと思う。

彼女の日記の紹介文には次のように書かれている。

「ドイツの三つの帝国を生き、二つの世界大戦を生きた、
ケーテ・コルビッツの35年間にわたる日記は、ドイツ史の激動のエポックを
記しているのみならず、革命の熱狂から批判的冷静さを取り戻すまでの
政治的立場の変遷をも包括するものである。

とりわけ、驚くほど飾り気のない、しかし的確な表現で、これらの日記が
描き出すのは、母であり芸術家である一人の女性の、不安と疑念、
そして、苦悩と希望である。」

Käthe Kollwitz Die Tagebücher 1908〜1943

『ケーテ・コルビッツ 日記 1908〜1943』2012年

画像は P.M.HISTORY 1月号から。

| Till*eulenspiegel | 反戦-gegen den Krieg | 02:01 | - | - |
9月18日 フランクフルター・アルゲマイネ(安保法制)
19日未明、可決された安保法制に関するフランクフルター・アルゲマイネ
の記事は、やはり、無記名記事。

http://www.faz.net/aktuell/politik/ausland/asien/abkehr-vom-pazifismus-japan-darf-soldaten-ins-ausland-schicken-13811616.html

画像は・・・・

背景に夜の国会議事堂。手前に安倍ヒトラーのお面の人形。右手を
ハイル・ヒトラーという風にかかげ、左手に何か黄色いスティックの
ような物を持ち、胸に、おそらく

「これより わが軍は 参戦します」

と読める、カードをぶらさげている。
その手前に大きく、

「賛成議員は、落選させよう」

遠くに、赤羽聖書教会の

「殺してはならない」

その他、「属国」と書いたカードも見える。

記事は、市民の大多数の反対を押し切り、金曜から土曜にかけて、
アジェンダを政府が断行したこと、これにより、
集団的自衛権を行使できること、
たとえ自国が直接攻撃を受けていなくても同盟国の戦争で戦えること、
安倍晋三が彼の最重要と掲げる目標の1つを実現したことを伝えている。

毎晩続いた市民のデモについても伝え、ここで特筆すべきは、
野党民主党の福山哲郎氏の名前を挙げ、そのスピーチを、
leidenschaftlich「情熱的な」という形容詞で伝えたことだ。

「あなたたちは、市民を騙そうとし、そして、市民はそれに気づいたのだ。
だから、人々はそれに反対なのだ。」

「確かに、私達はこの闘いに負けた。しかし、同時に勝ったのだ。
政治と人々とがこれ程近づいたことは、かつてなかったことだからだ。」

その福山氏の言葉を、記事担当者は次のように言い換えている。

Nun habe der Kampf um die Demokratie im Lande erst richtig begonnen.

「今、ようやくこの国の民主主義のための闘いが、始まったと、
いうことだろう。」

| Till*eulenspiegel | 反戦-gegen den Krieg | 23:30 | - | - |
『フリーダム・ライダース』ドキュメンタリー映画
『フリーダム・ライダース』に関して、詳しくは述べない。

1961年、白人と非白人との差別が禁止されていたにもかかわらず、
依然として差別が残っていた南部で、白人と非白人が一緒にバスに乗り、
人権を訴えた運動だ。

http://www.nichimyus.jp/2011/05/14/%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E5%85%AC%E6%96%87%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88-%E6%98%A0%E7%94%BB-freedom-riders/

上記のサイトに比較的詳しく載っているのと、Democracy Now の
サイトでも説明があるので、詳しくはそちらで確認して欲しい。

http://democracynow.jp/video/20100201-1

問題は、非暴力不服従の運動が、差別でできた法を犯すというところだ。


今回の安保法制に反対するデモに関して、よく、ネット上で

「憲法守れ、という人たちが、警察の人の鎖を犯したり、
柵を壊したりしていいんですかね。」

という発言を目にする。この発言に何がしか、納得できないものを
感じ、言葉を探して彷徨っていた時、この、『フリーダム・ライダース』
について、中野真紀子氏がこのように書いているのに出会った。


非暴力不服従は、無抵抗主義ではありません。

決して融和的でも、遵法主義でもなく、

あえて法を破ることも辞さない対決姿勢です。

この戦術を貫くことがいかに効果的であるかが

よく伝わる感動の物語です。




よくよく、じっくりと考えたいところだ。
歩道にあふれた市民のデモが、道路交通法を破って、車道にも
あふれたとして、柵を倒したとして、先の非難はあたるだろうか。

今日15日の国会前デモを、IWJのライブで見ていた。
あまりの警官の多さに驚く。

しかも、昨日14日のデモでは、警備車両を数珠つなぎのように
配置して、歩道をふさぎ、アイドリングをやめず、排気ガスを出し続けて
いたというのだ。
だだでさえ、デモに参加する市民でごった返していた場所に。

2015年、日本での市民のデモに対する、このような過剰な警備が
なされていることを決して忘れないようにしよう。
これが示しているのは、彼らの恐れ以外何ものでもない、と思う。

彼らとは、もちろん、安倍政権だ。


| Till*eulenspiegel | 反戦-gegen den Krieg | 00:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
ある投稿
投稿の機会があり、文章をまとめたので、ここにも
メモしておきたいと思う。ここでも書いた、キング牧師の言葉に
支えられての文章である。人の言葉は、多くの人々の言葉に
支えられているのだ、と実感する。

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フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)の記者、
カルステン・ゲルミス氏(2010年東京赴任)の記事は、2014年前半だけでも、
読者の意見の多い記事(50件以上)を挙げると、
犯罪の少ない社会と市民の不安(57)、東電の新原発建設(124)、
安倍の原発推進(60)、原発回帰(72)、閣僚の靖国参拝(51)、
少子化と人口減少(51)、後半〜2015年3月まではなぜか一件のみで
政府によるアメリカの教科書への介入(歴史修正主義問題、69)だった。

今年に入ってからは、読者の意見はどれも多くはなかったが、
改憲、従軍慰安婦、IS人質事件、メルケル氏訪日、反原発運動が
テーマだった。いずれも記者名入で、長文で、日本を熟知し、
批判精神と示唆に富んだ記事が魅力だったが、様々な情報によれば、
日本外務省関係者からフランクフルトの本社に直接クレームがあり、
ゲルミス氏は3月末にドイツに戻った。
その後のFAZの記事は、記者名もない短い事象報告書が増えた。

権力を用いて、ドイツの人々からさえも、事実を深掘りする真実の言葉を奪う。
安倍政権の代表的手法が現れていると感じる。これは、最悪の人権侵害、
最悪の不正であり、これが今、日本の私達を覆い尽くそうとしている。

キング牧師は語っている。

「平和は単なる戦争の不在ではない。公正さの存在が平和なのだ。」

今、私達は、至るところで公正さを奪われている、
と感じているのではないか。
戦争に反対し、平和を求める声を、挙げ続けなければ、挙げられない時が
来るのでは、と不安なのではないか。
だからデモに参加するのだ。彼らはその時を狙っている。だから、
声を挙げ続けなければならない。彼らに聞こえるように。
安保法案だけでなく、安倍政権の不正を告発するために。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

投稿する機会が与えられたことに感謝している。
自分が一体、何に怒り、何を訴えたいのか。

一昨日、大阪の靭公園から御堂筋パレードに参加した。
新しいコールがあった。

「自衛隊員の生命を守れ」「自衛隊員に人殺しさせるな」
「僕達の暮らしと権利を守れ」

私がひときわ心をこめるのは、
「誰の子どもも殺させない」

そして、周囲の人々も私も思い切り声を出していたのは、
「憲法」+「守れ」、「安倍は」+「やめろ」。そして、

「民主主義ってなんだ」+「これだ」だった。


| Till*eulenspiegel | 反戦-gegen den Krieg | 10:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
830 大阪扇町公園デモ
この群衆の中にいたので、こんな様子とは知らなかった。
ネットからもらってきた画像。

背後のレゴブロックのような建物は関西テレビ。カンテーレ。

これをまともに報道しない報道機関は、もはや報道機関では
ないと思う。


巨大なレゴブロックのような関西テレビとデモ「戦争アカン」を掲げる人々


動画は以下参照。

https://www.youtube.com/watch?v=9jT5D4r9gx0
| Till*eulenspiegel | 反戦-gegen den Krieg | 23:25 | - | - |
830 大阪扇町公園デモ
8月30日、大阪扇町公園でのデモに参加した。

JR天満から天神筋商店街を通って、扇町公園へ
ものすごいボリュームで街宣車のアナウンスが聞こえてきた。
通りがかりの初老の男性が、

「あれは、右翼じゃない。自民党が雇った暴力団だよ。」

扇町公園は、巨大なレゴブロックのような関西テレビビルのすぐ隣。

なるほど。60年安保の時も、岸首相は暴力団を使って、デモを
鎮静化しようとした、と聞く。というか、自衛隊に
出動するよう要請し、時の隊長が断ったとか。

多くの人が集まった。主催者発表で、2万5000人。
公園が人で埋まったよね。
だから、国会前が3万人のはずがない。

けれど、関西テレビは一切報道しなかったということだ。



| Till*eulenspiegel | 反戦-gegen den Krieg | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
8月30日のデモについて
フランクフルター・アルゲマイネ記事の概要

http://www.faz.net/aktuell/politik/ausland/asien/tausende-demonstrieren-in-japan-gegen-verfassungsreform-13776747.html

タイトルは、
政府計画中の安保法制に対する大規模反対行動

何万人という人々が反対のデモ活動、安部首相の辞任を求める

人殺めず土と共に生きる
Down with Abe, live together with Korean, Chinese people

この旗を大きく写した画像を掲載

「アベ政治を許さない」 「九条守る 平和日本」 「戦争させない」

「私達は戦争法案に反対するために。。。」

「君、人殺めたまふことなかれ」 「MAKE SENSE NOT WAR」

「9条壊すな!」「百姓一揆」などのプラカードが見える  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下、記事の概要。

東京とその他諸都市で、安部首相が推進する平和主義からの
転換への反対デモが行われた。
主催者側発表は、12万。警察発表3万。
この度の安保法制は、第二次世界大戦後、初めて、海外での
日本の軍隊の活動を可能とするもの。
衆院で可決の後、参院で審議中。安倍は、
9月末までの決議を希望。

第二次世界大戦後、アメリカによって押し付けられた憲法9条は、
自国以外での軍隊の活動を禁止。安倍は、日本あるいは、
国民がたとへ危機になくとも、同盟国を守るために、
アメリカのごとく自国外で戦うつもりだ。

安倍がその根拠としているのが、中国と北朝鮮の軍事的脅威。
アメリカは安倍の安保進路変更を歓迎。野党は、
ワシントンによって開始された遠隔地での紛争に
巻き込まれるのではないか、と恐れている。また、これらの
法制が憲法を破壊するものだと論じている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

通常、この種の記事は記者名が載るのだが、記者名はなし。

以前、Carsten Germis 記者が担当していて、安倍政権に
クレームを付けられ、本国へ帰られたことを思い出す。

あの当時のフランクフルター・アルゲマイネの記事に比べれば、
なんという、短く、事象連絡型記事。

それとも、文章で語れないので、写真で語ろうとしているのか。

日本国憲法について、あまりにもありきたりに、
あるいは、安倍政権の主張に沿って、

die von den Vereinigten Staaten nach dem Zweiten Weltkrieg
aufgezwungene Verfassung

第二次世界大戦後、アメリカによって aufgezwungene 「押し付けられた」
憲法

という表現をしているのが、気になった。第3者から見れば、
やはりそうなのだろうね。そして、日本の中にもそういう人がいる。
でも、私としては、今はもう、

人々が「守ってきた、育ててきた」憲法

という気がしてならない。だから、これだけ、多くの人々が
闘っているのだ。

もう一つ、この日のデモを報告するたくさんの動画を見た。
これまで、一度たりと行進できなかった、車道のど真ん中、
議事堂のまん前へ、SEALSを先頭に人々が行進し、警察もそれを
許さざるを得ず、けれど、それ以上、前へ出ることはせず、
SEALSの一人が、SIT IN を指示し、多くの人々がそれに従った時、
その数分の間、人々がコールし続けたのは、

あべは やめろ

この言葉だけだった。

ああ、人々の心底の思いは、これなのだ、と改めて、自分も含めて
そう思った。



| Till*eulenspiegel | 反戦-gegen den Krieg | 16:50 | - | - |
2015年8月の核弾頭数
広島と長崎の原爆忌にあわせて、フランクフルター・アルゲマイネでも
数件の記事が掲載された。その中に、現在の核弾頭数を概算だが
載せていたので、記録しておこうと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  ロシア      7500
  アメリカ     7260
  フランス      300
  中 国       260
  イギリス      215
  パキスタン     100〜120
  インド        90〜110
  イスラエル      80
  北朝鮮         6〜8

現在、核兵器を持っているのは以上の9カ国。核弾頭の総数は
約16,000に上る。国連は、これ以上他の国々が持つことを
協定によって阻止しようとしている。

http://www.faz.net/aktuell/wissen/70-jahre-hiroshima-die-bomben-der-apokalypse-13735684.html#

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

雑誌『世界』8月号、本間龍氏の「甦る原発プロパガンダ」によると、
現在、日本には、核燃サイクルの破綻により、余剰プルトニウムが
すでに約45トン存在する。本間氏の文章を引用する。

「これは核爆弾5,000発以上を製造可能な量であり、
米ソのような核兵器大国にでもならない限り、絶対に消化できない
量だ。核兵器を持たない国でこれほどのプルトニウムを保有して
いるのは世界中でも日本だけであり、同盟国の米国さえも
その処理をどうするのか、何度も懸念を表明している。」


自民党の石破茂氏などの発言として、本間氏は次のように、
一部の政治家の隠れた本音についても述べている。

「原発に伴う核燃サイクルを維持することは、原爆を製造できる
プルトニウム保有を前提にしているため、エネルギー安全保障上
のみならず、軍事的安全保障上でも不可欠だという隠れた
本音を語る論者も現れた。....が、現状の日本の原発はミサイル攻撃や
テロに対して極めて脆弱であり、有事の際には弱点にしか
なりえないのだから、まったくナンセンスな話だ。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上のリストに決して日本が載らないように、私たち一人一人が
決して諦めずに声を発してゆくしかない。

| Till*eulenspiegel | 反戦-gegen den Krieg | 14:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
「自由と平和のための京大有志の会」の声明書(全文)
ここでも掲載させていただきます。
一人でも多くの人々に読んでいただきたいと思います。

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■「自由と平和のための京大有志の会」の声明書(全文)

戦争は、防衛を名目に始まる。

戦争は、兵器産業に富をもたらす。

戦争は、すぐに制御が効かなくなる。

戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。

戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。

戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。

精神は、操作の対象物ではない。

生命は、誰かの持ち駒ではない。

海は、基地に押しつぶされてはならない。

空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。

血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、

知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

学問は、戦争の武器ではない。

学問は、商売の道具ではない。

学問は、権力の下僕ではない。

生きる場所と考える自由を守り、創るために、

私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。

(朝日新聞デジタル 2015年7月18日22時20分)

| Till*eulenspiegel | 反戦-gegen den Krieg | 17:03 | comments(0) | trackbacks(0) |

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