Ein Notizbuch 2

人々の言葉を記録し、引き継ぐためのブログ
 
西宮こしき岩アスベスト裁判 証人尋問のお知らせ
第13回口頭弁論においては、証人尋問が行われます。
証人尋問においては、原告側から要請した証人すべてが
裁判所によって認定され、計3日にわたり行われます。
詳しくは、下記のリンク先のHPをご覧ください。

とりあへず、第一回目の証人尋問が11月21日水曜日に行われますので、
是非とも、一人でも多くの市民の方々に参加していただきたいと
思います。当日の証人の方々は次の通りです。

・中皮腫・じん肺・アスベストセンター永倉氏
・被告三栄建設代表者
・原告団長上田氏


11日には、この準備として訴訟報告会も開催され、証人尋問に臨む
準備をいたしました。
業者が、利益優先で、アスベストという恐ろしい物質を
いとも安易に解体・廃棄した現実を、それを管理監督する立場である
行政が、書類だけの管理監督でよいとして、反省することもなく、
市民を危険に晒した、まさに行政による人権侵害の現実を、
一人でも多くの人々に知って欲しい。
アスベストがこの国で2004年に全面禁止になってから、まだ14年しか
たっていないのです。


| Till*eulenspiegel | アスベスト−Asbest | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
東ドイツ人の作り話 2
西のマルク?それとも東のマルク?

多数の東ドイツ人が自らを二級市民であると感じている、その通りだ。
多数の西ドイツ人が東ドイツの重役の肘掛け椅子に座っている、その通りだ。
しかし、それが、多くの東ドイツのデモで示された怒りと憎しみを本当に
説明するというのか? カイデルは西ドイツの町だが、ここでも極右の
デモは行われている。

二級の市民、あるいは二級のドイツ人であるという感情は、ドイツ統一で
生じたものではない。東ドイツ人がその感情を統一の中に持ち込んだ
のだ。私の子供時代から、DDR という省略形は、「向こう側へ切り離され
てしまったわけではない」という哀れみのこもった "Der Dumme Rest"
(愚かな余り物)と揶揄されていた。(西の)親戚がDDR市民を訪問することが
許されても、DDR市民が西側の親戚を訪問することは許されなかった時、
西のメルセデスベンツが東のトラバントの隣に止まっていた時、
DDR市民は自信を失っていった。

西ドイツ人はブルガリアの黒海沿岸にあるネッカーマンホテルに泊まって
快適な休暇を過ごした。私たち東ドイツのキャンパーは、このホテルの
コーヒー一杯さえ、自分のお金で飲むことはできなかった。
「社会主義の兄弟国」だったのにである。誰かがドイツ語を
話そうものなら、当地の人たちは尋ねたものだ。

「ドイツ人?それともDDR ?」

このことは助力を惜しまない親切心というものに決定的に影響を及ぼした。
なぜなら、それは、西のマルク?それとも東のマルク?という意味だった
から。なぜこんなことになったのか? 4つの占領諸国はその功績によらず
配分されたが、人生の様々なチャンスを叶えるという点で
全く異なる結果をもたらした。

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多忙でブログの更新がままならない日々が続いております。
仕事が一段落いたしましたら更新いたします。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 18:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
東ドイツ人の作り話 1
8月末、ケムニッツで起きた、極右の人々による難民移民の狩りという
出来事からバイエルンの州議会選挙を経て、まもなくヘッセンの
州議会選挙が行われる。

今のドイツを知るための一つの資料として、10月3日の統一記念日に
フランクフルターアルゲマイネ紙に掲載されたリヒャルト・シュレーダー氏
の『東ドイツ人の作り話』"Die Erfindung des Ostdeutschen" を
訳したいと思う。


https://fazarchiv.faz.net/document?id=FAZN__20180930_5814890#start

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最初はペギダ、そして今ケムニッツ。東は一体どうしたのか?
東ドイツ人は統一のプロセスで自尊心を傷つけられたから、その怒りから
AfD (ドイツのための選択肢)を選ぶのか? 寄稿論文でお届けする。

東の複数の州の選挙でのAfDの躍進、および、移民による刺殺事件後に
ケムニッツで発生したデモが、ドイツ全体を混乱に陥れている。
統一後28年を経て、再び次ぎの問いがなげかけられているのだ。

東はどうしたのか?

東から帰ってくる注目すべき答えは、こうである。

東ドイツ人は統一のプロセスの中で自尊心を傷つけられた、当時受けた
侮辱が今、激しい怒りとなっている。


ここで、侮辱論の論拠となっている二つの言説を検証してみなくては
ならない。一つは、世論調査によるものである。すなわち、世論調査に
よれば、自分が二級市民であると感じる東ドイツ人がますます増えている、
という事実。もう一つは、ライプツィヒ大学が2015年に中央ドイツ放送
(MDR)の委託で行った調査によるものである。それによると、
東の各州の政治、行政、司法および経済の中枢のポジションの3分の2を
西ドイツ人が占めているという。この西ドイツ側の、外部による
コントロールという事実が東ドイツ人たちを憤慨させた、というのである。



| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 13:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
バイエルン州州議会選挙の結果
バイエルン州州都ミュンヘンで右傾化に反対するデモがあった後の、
10月14日の州議会選挙の結果が興味深い。

http://www.faz.net/aktuell/politik/inland/landtagswahl-bayern-warum-gruene-in-staedten-erfolgreich-sind-15841635.html

フランクフルターアルゲマイネによると、CSU(キリスト教民主同盟)の
牙城だったバイエルンで、CSU が前回の選挙から10,5%も減らすことに
なった。第二政党だったSPDも減らしており、第二政党になったのは
緑の党である。

上記の記事から、得票%を書き出してみる。


−10,5% CSU (キリスト教民主同盟) 47,7% → 37,2%

+ 8,9% Gruene (緑の党) 8,6% → 17,5%

+ 2,6% FW (自由な有権者バイエルン) 9,0% → 11,6%

+10,2% AfD (ドイツのための選択肢) 0 % → 10,2%

−10,9% SPD (社会民主党) 20,6% →  9,7%

+ 1,8% FDP (自由民主党) 3,3% → 5,1%

+ 1,1% Linke (左派党) 2,1% → 3,2%


0%だった「ドイツのための選択肢」が第4政党になった。上記の記事では
むしろ第2政党になった「緑の党」に注目して、バイエルン南西部の
小さな町Giesing の町がどのように変わり、人々の気持ちがどう
変化したのかを書いている。

この選挙結果を受けて、バイエルンのCSUからは、CSU党首で内務大臣の
ゼーホーファー氏の党首交替への要求が高まっている、という。
ゲオルク・マーセンを何があっても支持し続け、限りなく右へと
舵を切ったゼーホーファー氏を地元バイエルンの人々は許さなかった、
と言えるだろうが、AfDが第4政党になったということは、限りなく右へ
と向かう人々もそれ相応に増えたということである。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 13:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
"Internationale Solidalitaet." 「国を超えた連帯を」
2018年10月3日東西ドイツ統一記念日(南ドイツ新聞)

https://www.sueddeutsche.de/muenchen/muenchen-grossdemo-jetzt-gilts-1.4154404?sc_src=email_315166

「答えが AfD (ドイツのための選択肢)ですって。だったとしたら、その質問が愚かな質問だってことでは?」 


ミュンヘンの路上で数千人が社会の右傾化に反対の声を挙げる。

"Bayern ist bunt." 「バイエルンは多様な州」 レインボーのように。

"Internationale Solidalitaet."「国を超えた連帯を。」

人々はそうも呼びかけている。少しずつ分かってきた。
統一を成し遂げるためには有効だったスローガン”Wir sind das Volk." ではもうだめだ。それは Identitaet. アイデンティティー。ナショナリズムへと傾きかねない。それを超えていかなかればならない。

この頃、中野晃一氏が講演で語っていた。
今必要なのは、ソリダリティー(連帯 )だと。

イデオロギーよりアイデンティティー。
しかし、それを超えていかなかればならない。

だから、"Wir sind mehr." これこそ、
"Internationale Solidaritaet" 「国を超えた連帯」でしょう。


| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 08:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケムニッツ関連3−ハンス・ゲオルク・マーセン(追記あり)
AfD(ドイツのための選択肢)との不愉快な関係

2017年、次なる大胆不敵な仕業がこれである。マーセンは、
アニス・アムリ事件、あのベルリンのクリスマス市でのテロ攻撃に
関するフェイク情報を、連邦議会開会前に、故意に広めたのである。
彼自身のコメントによれば、連邦憲法擁護庁はアムリの周辺には
情報提供者を配置していなかったというものだ。2018年、全く反対で
あったことが判明した。さらにマーセンは、公的な弁護士の書状を使って
連邦憲法擁護庁のスパイについての報道を阻止しようとした。

この時点でマーセンはすでにかなり圧力を受けていた。というのも、彼に
ついては、AfDの上層部との「助言のための会談」が複数回
行われていると噂されていたからである。この会談においては、
機密の数字も複数伝えられたと言われている。一説にはマーセンは、
連邦憲法擁護庁による監視をどのようにすればすり抜ける
ことができるか、をこの政党に教えていたのだ、と言われている。 
会談が複数回行われたことは、連邦内務省も確認した。
なるほど、その際、いかなるアドバイスもなされなかったと言われて
いるのではあるが。

2018年8月になって、現在のAfD代表アレクサンダー・ガウラントも、
当時の代表であったフラウケ・ペトリーも含め、党首脳部との複数回に
わたる会談があったと断言した。「私には引っかかる事があったのだ。
それは、我々の会派内にモスクワのスパイがいるのではないかという疑惑
だった。このことを私は解明しようとした。マーセン氏は、いくつか
審査した後で、こう言ってくれた。そのようなことはないと。」
こうガウラントは語った。

AfDと連邦憲法擁護庁との間の不愉快な関係は、ケムニッツとケーテンの
事件以降、公的な議論の真ん中に躍り出ることになった。ケーテンでは、
9月始め、一人の男性がアフガニスタン人らと乱闘となった結果、心不全
で死亡した。AfDは、ケーテンで「弔いの行進」を開催、これには550人が
参加した。

ケーテンとは異なり、ケムニッツでは、極右のフーリガンたちの激しい
暴行が起きた。ケムニッツでは、市民祭りで、35歳の男性が刺し殺された。
容疑者と見られていた22歳のイラク人男性は、すでに釈放された。

これまでの捜査の結果、この男性の人身保護の点でも、通常の事情聴取の
点でも、この男性に対する緊急の容疑はもはやかけられないと、
警察は発表した。第二の容疑者に対する逮捕状はもちろん出たままである。
この男性に対しては、殺害の共犯の容疑が固まったという。多数の
目撃者が、この男性を凶器のナイフを持っていた中の一人と証言した、
という。イラク出身と言われる第3の犯罪関与者は緊急国際手配中である
という。

ケムニッツにもAfDはいた。ここ何年もAfDの代表者たちと極右の者たち
との接触について複数の報道がされ続けている。連邦憲法擁護庁は、この
政党を全体的に監視することを当然ながら拒否してきた。この役所は
たった二党の青少年団組織を監視しているだけだ。このことが、多数の
政治家の激しい批判に晒される結果となっている。

マーセンの辞任要求は、すでに繰り返しなされてきた。がこれまでは
何の結果ももたらさなかった。毎日の政治への彼の介入、および、
ケムニッツで「人間狩り」があったことを示すビデオの信憑性に
対して示された彼の疑義は、しかしながら、メルケルが決断する際、
ことわざ通り、樽を溢れさせる一滴に、すなわち、
我慢ならないものとなったはずだ。SPD(社会民主党)の首脳部では、
週末にはすでに、マーセンが辞職しなければならないことは確実視されて
いた。「彼は辞めるだろう」とSPD代表アンドレア・ナーレスは予告
していた。内務大臣ホルスト・ゼーホーファーは沈黙していた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このような詳細な記事が出た後、マーセンは、連邦憲法擁護庁長官は
解任されたものの、内務省次官の地位に就くことがわかった。
この内務省次官の権力は、連邦憲法擁護庁長官の権力よりも大きい
とのことだ。

ドイツはどこへ行くのだろうか。


(追記)

フランクフルターアルゲマイネ9月24日付け記事によれば、結局
SPD ナーレス党首の強い意向があり、マーセンは内務省次官ではなく、
内務大臣特別顧問に就任することになった、と発表された。
内務次官であれば昇給も(€3,000)あったということだが、
特別顧問では昇給はない、ということである。
なお仕事としては、ヨーロッパ及び国際的な業務にあたる。
例えば、入国を拒否された亡命者の本国送還に関する国際的協定、
ヨーロッパ全体の社会福祉政策およびアフリカ諸国との連携と
いうことである。

同紙は、結局この一件はメルケル政権がレームダックと化しつつある
ことを明らかにしたという方向で報道している。

私としては、権力とAfD、極右との関係がどうなっていくのか、
気になってならない。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 11:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケムニッツ関連2ー ハンス・ゲオルク・マーセン
論争含みで長官をスタート

当時マーセンは、内務部局の外国人法課長の職に就いていた。アメリカの
グアンタナモ刑務所に拘留され、拷問を受けながら、クルナーツは、
ドイツへの帰国を待っていた。ブレーメン生まれのクルナーツは、
パキスタンで空港へ向かう路上の定期的なコントロールで逮捕され、
その後身代金目的で、アメリカ当局に引き渡されたのだった。

ドイツ連邦政府は、このドイツ生まれのトルコ人の解放のために
尽力すべきではない、という見解をリードしたのがマーセンだった。
彼は、法的文書を作成し、これを、赤緑連立政権は、クルナーツの
再入国を拒否する根拠とした。クルナーツは、ほぼ5年間、アメリカの
収容所で拘留され続けたのだった。

2007年、BND(連邦情報局)委員会開催を前にして、マーセンは
以下の決定の正当性を証明しなければならなかった。すなわち、
クルナーツのビザは、6ヶ月以上外国に滞在し自分のビザの延長を
申告しなかったために、法によって無効であるという決定である。
この決定に際して、外国での滞在が自由意志によるものか、そうでないか
は重要ではない、とされた。ブレーメンの行政裁判所は、全く異なる
見方をした。すなわち、クルナーツは2006年の8月にやっと解放
されたと判断したのである。アンゲラ・メルケルがアメリカ合衆国への
公式訪問の際に、個人的に彼の解放のために尽力したのだった。

ジャーナリズム報道に圧力をかけようとした

2012年長官の職に就いて以降、マーセンがスキャンダルに巻き込ま
れなかった年はない。2013年、『南ドイツ新聞』がある報道を
行った。それによると、連邦憲法擁護庁が、マーセンの指示のもと、
定期的に、機密データをアメリカ合衆国の最大の秘密情報機関である
NSA(国家安全保障局)へ伝えていたというのである。内部告発者の
エドワード・スノーデンが、アメリカの秘密情報機関のITスペシャリスト
として12年間勤務した後に、このことを暴露するドキュメントを発表
したのだった。

さらに、ドイツの秘密情報機関がアメリカの"XKeyscore"という名称の
スパイソフトウェアを使用していたことも明らかになった。
このプログラムを使えば、インターネットユーザーの接続データを把握
できるし、分析もできる。この暴露に関し、連邦憲法擁護庁は
とりあへず沈黙したが、しばらくたってからソフトウェアのテストを
したことだけは認めた。これを使い続ければ、マーセンは、
収集した全データをアメリカの秘密情報機関に引き渡さなければ
ならなかったのである。このソフトウェアによって、アメリカのNSAは
毎年総計5億件のデータベースレコードにアクセスしていた。

NSA事件は、XKeyscoreプロジェクトグループのリーダーが、
連邦憲法擁護庁において、このシステムはIT保証がなければ投入されない
ことを明らかにした2016年まで長引いた。「我々はこのシステム
がインターネットに接続された場合、どうなるかは分からない。」
"netzpolitik.org"にはこのように、リーダーの言葉が引用されている。
マーセンは、当時この記事に食ってかかった。

マーセンがこの情報プラットフォームと衝突したのは、この時一度だけでは
なかった。すでに2015年に、この連邦憲法擁護庁長官は、連邦検事総長
ハラルド・ランゲの力を借りて、表向きは国家反逆罪という名目で、
"netzpolitik.org"の二人のブロガーに対し法的措置を執った。この
"netzpolitik.org"で一つの機密ドキュメントが公表されたからで、
そこから明らかになったのは、連邦憲法擁護庁では「大量データ取得」
のために、ほぼ300万ユーロが自由に使えるようになっているという
ことだった。

以前からマーセンは、役所の職員のどんなミスもスキャンダルに
しないよう警告していた。実際のスキャンダルが全く気づかれなくなった
結果、「機密と証拠資料」がメディアに届くのは連邦議会に提出された
後だった。マーセンは起訴することで、二重スパイが誰なのかを
突き止めようと、躍起になっていたと言われている。

レナーテ・キュナスト(元緑の党党首)や、クリスティアン・リントナー
(現自由民主党党首)を含む多数の政治家が当時からすでにマーセンの
辞任を要求していた。キュナストはマーセンについて、「民主主義原則を
妨害する人間」であるとさえ述べていた。二人のブロガーに対する
マーセンの訴訟は失敗し、連邦検事総長であったランゲは辞職に
追い込まれた。

| Till*eulenspiegel | ドイツの人種差別主義 - Rassismus | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |

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